コンピュータの性能や機能は、劇的に進歩してきたように見える。だが現在のコンピュータの基盤となっている理論は、半世紀以上前に提案されたものだ。
量子コンピュータは、現在のコンピュータとは全く異なる理論体系に立脚する。現在の“古典的コンピュータ”では実用的な時間内では解けないとされてきた問題を、解ける可能性がある。例えば、社会基盤として重要な「公開鍵暗号」を揺るがすかもしれない。
“21世紀のコンピュータ”研究の先端を追った。

「チューリング・マシン、ノイマン型コンピュータ、シャノンの情報理論」。現在のコンピュータは、スーパーコンピュータからパソコンに至るまで、20世紀前半に確立された基礎理論の枠の中にある。こうした理論の支えの上で、情報技術は飛躍的な進歩を遂げた。だがこの“古典的コンピュータ”は、その基礎理論に根ざした、様々な限界も抱えている。
その代表格は、大規模になると実用上処理できない“難しい”問題だ。例えば2000ケタの整数の因数分解は「宇宙に存在するすべての分子で最高速のコンピュータを作り、宇宙の寿命の全部の時間をかけて計算しても完了しない」(電気通信大学 情報通信工学科の西野哲朗助教授)という。
「量子コンピュータ」は、この壁を軽々と飛び越える(図1[拡大表示])。
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図1●量子コンピュータの実用化への道 |
量子コンピュータは、原子や電子、光子などのミクロな世界で起こる、「0であると同時に1でもある」という量子状態を用いるコンピュータだ。その特異な並列処理能力により、因数分解のような難問を、実用的な規模のシステムで、実用的な時間内で処理できる可能性がある。
日本で年内に基本回路が実現へ
ただし、量子コンピュータの特異な能力を発揮させるには、その計算モデルを有効に働かせるアルゴリズムを発案しなければならない。「古典的コンピュータで使っているプログラムを再コンパイルして移植」というような使い方では、量子コンピュータの真価は発揮されないのだ。
現時点で量子コンピュータが実現すれば劇的な高速化を達成できると実証されているのは、1994年に解法アルゴリズムが発表された「因数分解」だけ。だがこれにより、「ケタ数が大きい因数分解は実質的に不可能」という前提に立脚している公開鍵暗号が、解読されてしまう可能性が出てきた。
量子コンピュータは1980年代半ばの理論基盤の提唱以来、様々な実現方式で実験・試作されてきた。そのうち実用的なシステムの実現に最も近いといわれるのは、古典的コンピュータと同じ半導体技術を使う「固体素子」方式である。そしてこの固体素子方式で、量子コンピュータを作り上げるための基本回路が、実は日本で年内にも完成されようとしている。
10年かかるか、数年でできるか
量子コンピュータの実現は「(古典的コンピュータで言えば)50年前の“トランジスタをどう作るか”の段階」(富士通研究所ナノテクノロジ研究センターの横山直樹センター長)、「やっと滑走路に出たところで、試験飛行もしていない段階」(NTT物性科学基礎研究所の高柳英明R&Dフェロー)である。「公開鍵暗号を破る」ような大規模な量子コンピュータの実現には、少なくとも5~10年かかるというのが一般的な見方だ。
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図2●コンピュータにとって“難しい”問題とは「指数関数的に処理量が増える問題」である |
また量子コンピュータで“劇的に高速化できる問題”の発見も、因数分解の後、10年ほど足踏み状態である。
しかし、同じ量子現象を用いる「量子暗号」や「量子通信」といった通信用途に使う量子コンピュータなら、間もなく実現可能になる数個の量子ビットで実用化できる。以下、「量子コンピュータには何ができ、何ができないのか」、「量子コンピュータはどこまで実現できているのか」の現状を紹介し、後半では量子コンピュータの原理、計算モデルを解説する。
量子コンピュータには
何ができ、何ができないのか
量子コンピュータは、古典的コンピュータに不可能などんなことができるのか。実は、理論上の「問題を解く能力」という意味では、現在体系化されている量子コンピュータ(量子チューリング・マシン)は、古典的コンピュータと同等とされている。量子コンピュータができるのは、古典的コンピュータにとって“難しい”問題の一部を、“容易に”解くことなのである。
続きは日経コンピュータ2003年8月11日号をお読み下さい。この号のご購入はバックナンバー、または日経コンピュータの定期ご購読をご利用ください。