2007年以降に本格化するベテラン・エンジニアの引退は日本のIT業界に何をもたらすのか。ベテランが中心となって構築・保守した基幹系システムを維持できなくなるとの懸念は本当か。そもそもベテランの持つスキル/ノウハウとは何なのか。2007年問題の真相を徹底検証する。

(高下 義弘、大和田 尚孝)

警鐘 間近に迫る断絶の危機
挑戦 スキル断絶はこう防ぐ
実態 2007年問題のウソ・ホント


本記事は日経コンピュータ2004年11月1日号からの抜粋です。そのため図や表が一部割愛されていることをあらかじめご了承ください。

ゼロから考える力はあるか
CSK代表取締役
有賀 貞一 1947年10月生まれ 

 1947年から49年生まれの団塊世代700万~800万人が、2007年以降引退し始めると、企業の情報化にかなりの影響が出る。そう考え、1年半ほど前から「2007年問題」という言葉を使ってIT業界に警鐘を鳴らしている。

 単にCOBOLやPL/Iで記述されたレガシー(旧式)・システムの保守問題ととらえる向きもあるようだが、本意ではない。ベテランの引退によって、ゼロ・ベースでシステムを考える力が失われてしまうことが、2007年問題の本質と考えている。

 60年代から70年代にかけて、鉄道、銀行、製鉄所をはじめとする企業がこぞってオンライン・システムを構築した。何もなかったところにコンピュータを導入したわけだから、「コンピュータとは何か」といった基本から周囲を啓蒙せざるを得なかった。

 情報化の意義も厳しく問われた。当時のコンピュータは、今では想像できないほど高価だった。私は70年に、野村電子計算センター(現在の野村総合研究所)に入社し情報システムの仕事を始めたのだが、「コンピュータを入れると会社がどう変わるのか」や「投資の元を取れるのか」を(野村証券の)利用部門からさんざん問いつめられた記憶がある。なにしろ野村証券の資本金が約100億円だった時代に、同程度のシステム投資をするのだから真剣だった。

 こうした環境で悩み、考え、開拓し、情報化の本質を体得してきたのが、団塊世代のエンジニアである。後にも先にも、企業システムをゼロから作り上げた経験を持つのは、この世代だけではないか。ITを使ったビジネス・プロセスやシステム・アーキテクチャの立案から、社内外の調整、プログラミングまで何でもこなした。

 誤解を恐れずに言うと、団塊後の世代は、出来上がったシステムに手を入れているに過ぎない。こうした若いエンジニアが、ゼロ・ベースで考える力を持っているのだろうか。残念ながら「極めて怪しい」と私は見ている。

 責任の一端は、自分たちの経験を若手に伝える努力を怠ってきた団塊世代にある。これでは育つ若手も育たない。今からでも遅くはない。団塊世代は自分たちの経験を「形式知」に変え、若手に伝える努力をすべきだろう。


二〇〇七年問題はあり得ない
グロバール ナレッジ ネットワーク副社長
馬場 史郎=1941年6月生まれ

 団塊世代が辞めたらシステムが突然止まる」なんてあり得ない。ほとんどが管理職になっており、第一線にいる人はそう多くないからだ。スキル継承の面でも、いつ辞めるかわかっていれば、その前にドキュメントを残すなりして引き継げる。だから、狭い意味での2007年問題は存在しない。

 ただし、エンジニア個人が頭の中に持っているプロジェクトマネジメントのコツやシステム設計の勘どころなどは、ドキュメントによる継承が難しい。スキル継承で本当に重要なのは、エンジニア個人が積み重ねてきた経験を、おとぎ話のように口移しで伝えていくことだろう。


ベンダーが危ない
八千代銀行会長
小泉 次郎=1939年1月生まれ

 昨年5月、勘定系を26年ぶりに全面刷新した。難産だったが、おかげで社内のスキル継承のメドが立った。

 問題があるのは、むしろITベンダーではないか。「間に合わない」といって、終盤になって100人単位でエンジニアを追加投入するような人海戦術を繰り返していたらノウハウを継承できるわけがない


経験を若手に継ぐのが責務
PMリサーチ 代表取締役
岡村 正司=1948年1月生まれ

 大型プロジェクトをこなせるプロジェクト・マネジャが減りつつある。ここ10数年、若手は育つ機会を得にくくなった。団塊世代が若いころは、大型プロジェクトが目白押しで、スキルを磨く機会がいくらでもあった。私もその一人。おかげで日本IBM在籍中は銀行の3次オンや、JALとJASのシステム統合といった大型プロジェクトのマネジャをなんとかこなせた。

 団塊世代は、自分たちのスキルやノウハウを若手に体系的かつ効率的に伝承すべきだろう。ただ体験談を話すだけでは若手の参考にならない。


私自身が二〇〇七年問題
ダイヤモンドリース 情報システム部長
保田 徳太郎=1950年10月生まれ

 2010年で60歳になる。正直、いつシステム部を去るかわからない。そのせいか「自分がいなくなったらシステム部がどうなるのだろう」と最近よく考える。

 入社した30年前は、システム部員が数人しかいなかったこともあり、あらゆる領域を担当せざるを得なかった。要件定義から成果物の検収まで、徹夜をいとわず取り組んだ。こうした修羅場を経て、自分なりのノウハウを身に付けた。

 2001年に稼働させた新基幹系システムのプロジェクトを通じて、若手は確実に育った。でも、経営とシステムの整合性を確保する力や、システム全体を構成する力などはまだ弱い。今のうちに彼らのスキルを引き上げないと、私がいなくなったとき、会社として困る。そうした意味では、私自身が2007年問題だ。


若手を信じることが解決策
新日鉄ソリューションズ 常務取締役 鉄鋼ソリューション事業部長
岩橋 良雄=1946年11月生まれ

 ベテランの経験が貴重な財産なのは確か。でも、私を含めた団塊世代がいなくなったら困るかといえば、そうでもない。若手だって必要に迫られれば、一からシステムを作る。団塊世代だって若いころ、何もないところからシステムを作った。昔の若手にできて、今の若手にできないはずはない。日進月歩のITの世界では、昔を知っていることがマイナスの場合もある。ベテランはどんどん若手に仕事を任せたほうが良い。いつの時代も上司は部下が心配なもの。若手を信じることが、2007年問題の解決策だ。


教育を怠けたツケ
三井生命保険 システム企画グループマネージャー
小野 誠=1957年1月生まれ

 誰かが辞めたら後任が困るような組織は、日ごろからスキルの継承や若手の教育を怠けていたのではないか。2007年問題が騒ぎになる根っ子には継承・教育のマネジメント不足がある。当社は基幹系システムの開発・運用を日本IBMにアウトソーシングしているが、スキル継承や教育は自前で主体的にやっている。

 自分の持つスキルを後輩に伝えるのは、ベテランの業務上の責務だ。教わるほうも、受け身でとらえるのでなく、自ら学ぶ姿勢が欠かせない。


体験談は役に立たない
豆蔵 取締役
萩本 順三=1960年1月生まれ

 ひと回り下の世代から見ると、団塊のベテラン・エンジニアはコンピュータの原理原則をよく知っている。これは若手も見習うべきだろう。技術が進歩しようと、核のところはさほど変わらないのだから。

 今からでも遅くはない。ベテランと若手はそれぞれ協力し合い、スキルの継承を図るべきだ。その前提としてベテランには、自らのスキルや体験を棚卸ししてほしい。ただ単に「このときはこうした」と体験を語られても、若手の役に立たない。当時の目的や背景、自分の判断の理由まで踏み込んでもう1段抽象化してくれれば、時代が変わっても役に立つ知恵に変換できるだろう。


若者はそんなにふぬけじゃない
ウルシステムズ社長
漆原 茂=1965年2月生まれ

 むやみにベテランを賞賛する風潮には疑問を感じる。確かに見習うべき点も多いが、いまの若者だってベテランに劣らず優秀だ。オジサンからすると頼りなく見えるかもしれないが、取り組んでいるシステムの難易度は昔よりも格段に上がっている

 ただし若者は経験が少なく、しばしば重要なポイントを見落とす。オジサンは本来、そうした若者に適切なアドバイスをしてほしいのだが、今はできていない。昔のことばかり持ち出して敬遠されている。お互いの世代の良い面を認め合い、知識や考え方の交流を進めるべきではないか。


(写真=柳生 貴也、乾 芳江、周 慧、新関 雅士、的野 弘路、丸毛 透)


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