写真:室川イサオ

 英オックスフォード大学は今年、データ中心アプローチ(DOA)やRAD、CASEなどIT分野で数々の手法を提唱してきたコンサルタントのジェームス・マーチン氏の協力を得て、二つの機関を設立する。研究機関「James Martin Insititute for Science and Civilization(ジェームス・マーチン科学文明研究所」と、教育機関「The James Martin 21st Century School(ジェームス・マーチン21世紀スクール)」だ。設立の発端は、「森林や鉱物、石油、海洋生物といった人類の共通資源である『コモン(common)』が、この21世紀中に危機的な状況に陥る」というマーチン氏の問題意識である。IT分野で著名なマーチン氏に、設立の意図を聞いた。(聞き手は高下 義弘=日経コンピュータ

——ITはコモンの保全に、どう貢献できるのでしょうか。

 環境や経済など、いまの世の中は深刻な問題がたくさんあります。しかし、ITを最大限に活用すれば、それらの問題の多くを解決できます。一見関係ないように思われますが、ITはそれだけ革新的な道具だということです。

 前世紀は企業の経営にしろ何にしろ、コモンという制約条件を無視してきました。コモンがあってこその企業活動であるにもかかわらず、です。コモンが枯渇しては、何も生み出すことができません。この地球にいる以上、社会や経済がバランス良く発展するためには、環境への負荷の低減と生産性の向上を同時に図るべきです。なのに、それがなされていなかった。21世紀の今こそ、コモンをどう保全し、どう効率的に使うか、もっと注意を払うべきでしょう。

 コモンが減りつつある現在、同じ量の資源で、より多くのものを生産する方法を考え、工場を再設計したり、工場で生産する製品自体を再設計することが喫緊の課題です。

 「ファクター4」という考え方があります。これは、「半分の資源で今までの2倍の製品を作る」というものです。現代的な生活は大量消費を前提としています。これまで少量消費であった中国でも現代的な消費生活を送る人が増えていることから、ファクター4を実現しても、コモンの減少を食い止めることが難しくなりつつあります。「ファクター4」どころか、「ファクター10」が必要、とまで言われています。

 生産性の向上には、ITの活用が欠かせません。生産プロセス全体を大々的に見直して大規模なサプライチェーンを構成したり、CADやCG、PDM(製品データ管理)などのテクノロジを使いながら効率的に部品を使うような製品を設計する、といったことは、IT活用の典型例でしょう。

——そういう意味では、ITエンジニアは非常にやりがいのある仕事と言えそうですね。

 その通りです。ただ、コンピュータ自体がよりパワフルになればなるほど、ITエンジニアに求められる能力の質が変わってきます。高性能なコンピュータを生かし、コモンの保全につなげるためには、ITエンジニアには「知恵(wisdom)」や高い「倫理観」が求められます。

 しかし現在のエンジニアは、「高いスキルはあるが知恵がない」という傾向にあります。スキルと知恵のギャップは、社会のひずみとして表出してきました。深い知識や熟達したスキルを身につけることばかりが優先されて、それを社会でどうやってよりよく生かしていくか、じっくり考える余裕がないのが原因でしょう。今後は知恵を高めることを、もっと大切にするべきです。

 エンジニアの倫理観もクローズアップされてきます。技術の発展に従って、使いようによってはこれまで以上に危険な存在になる恐れがあるからです。

 エンジニアや科学者に倫理を教えることは、非常に大事です。オックスフォード大学の「The James Martin 21st Century School」は、社会問題を解決するための学際的な教育を提供していきますが、倫理をコア・カリキュラムの一つに設定しています。