藤元健太郎氏 日本におけるネット・ビジネスの黎明期からコンサルタントとして幅広く活躍してきた藤元健太郎氏が,間もなく活動を“再開”する。藤元氏は6月にコンサルティング会社「D4DR」の代表取締役社長/コンサルタントに就任し,ネット・ビジネス分野のコンサルティング活動を始める。大手ISPにおけるiモードのオープン化やブロードバンド事業など,すでに複数の案件について準備に入っているという。

 藤元氏は1995年,当時在籍していた野村総合研究所で,電子商取引の草分けとなった実験プロジェクト「サイバービジネスパーク」の立ち上げにプロデューサとしてかかわった。1999年には故・大川功CSK会長の出資を受け,フロントライン・ドット・ジェーピー(FLJ)を設立。BtoC分野を中心に,ネット・ビジネスの企画やWebサイト構築・運用を行う,いわゆる「SIPS」事業や,ログ解析のASPサービスを手がけてきた。

 D4DRの設立は4月。現在藤元氏はFLJを“畳む”処理をしながら,D4DRの準備をしている。5月末にはFLJの後処理を完了させ,6月から本格的にD4DRでの活動に取りかかる。FLJは大川氏の資産だった部分をそのまま残して,資産管理会社として継続する。これまでのSIPS事業とASP事業は3月末で営業停止した。ASP事業についてはリンクアット・ジャパンに営業譲渡した。

 大川氏の死後,FLJの親会社であるCSKがBtoCからBtoBへビジネスの軸足を移す方針を打ち出した。また,藤元氏はSIPS事業の難しさにも直面し,FLJの“店じまい”を決意したという。

「知識」を「工学」する

 D4DRの最大の売りは,従来型の戦略・戦術コンサルティングに,「コンセプト」の立案コンサルティングを組み合わせることである。藤元氏によれば,コンセプトとは「右脳に訴えるような,アイデア的なもの」という。

 コンセプトから生まれたものとして,藤元氏はソニー銀行のWebサイトで用意しているユーザー・インタフェース「MONEYKit(マネーキット)」を例に挙げる。「MONEYKitというインタフェース作りは,戦略や戦術の立案とは性格が異なる別のもの。ところが,このインタフェースがソニー銀行という企業の独自性を演出し,ブランド力を高めている。このようなアイデアを戦略や戦術と絡めながら作っていくことが,今後のネット・ビジネスでは焦点になってくる」(藤元氏)。

 コンセプトについて説明する際に,藤元氏は「ナレッジ・エンジニアリング」という言葉を口にした。知識を蓄積し共有する「ナレッジ・マネジメント」を,実際のサービス作りやモノ作りに応用していくことを指す。

 「センスのある人はどんどんコンセプトを生み出せる。しかし,普通の人には難しい。だからといって,一部のセンスのある人に頼っていては,何も進展はない。そこで,普通の人でもコンセプトを生み出せるようにするための方法論を考えていく。この方法論が,ナレッジ・エンジニアリングだ。また,ナレッジ・エンジニアリングを支援するためのツールも開発していく。この方法論やツールを使いながら,顧客が商品やサービスのアイデアを生み出していくことを支援していく」(藤元氏)。

「SIPS」事業に限界を感じた

 藤元氏はFLJでの活動を通して,「SIPS事業の難しさをひしひしと感じた」と打ち明ける。

 「SIPS事業者が強みとする『一気通貫』は,確かに顧客から見れば望ましい姿だ。しかし,それを請け負う事業者の社内では,コンサルティングや開発など各フェーズを担当するメンバーによって,意識に差が生じることが多い」(藤元氏)。こうした意識の差をうまく平準化しながらプロジェクトを推進するのが,なかなか難しいという。

 また,現実には他のベンダーと協力しながらプロジェクトを進めるケースも少なくない。結局のところ,複数のベンダーが互いのスキルを補完しながら顧客企業のコンサルティングやWebシステム構築に当たるため,SIPS事業そのものの色も薄れてきている。

 結果として各フェーズごとにそれぞれ別のベンダーがかかわるのであれば,「ベンダーは最初から,自らの得意分野を明確に打ち出したほうが,顧客に分かりやすくアピールできる。特定の分野に資源を集中させることで,得意分野をさらに伸ばすことも容易になる」(藤元氏)。そこで藤元氏はD4DRでの活動を始めるにあたって,「あらためてコンサルティングに自らの腰を据えることにした」と話す。

高下 義弘=日経コンピュータ