アルゴ21技術担当特別顧問の戸田氏は、実に50年間にわたって現役のSEを続けている。日本におけるコンピュータ創世記には、「何の役に立つのか」と仕事内容を馬鹿にされたこともあった。「こんちくしょう、システムめ!」とシステムと格闘を続けた戸田氏は「困難にぶつかったからこそ50年続いた。SEはあまりにも魅力的な仕事」と語る。そして「失敗しても絶対にくじけるな。こんな面白い仕事は他にないぞ」と、SEにエールを送る。

日経コンピュータ 2003年1月27日号52ページ掲載。本誌で掲載できなかった部分も含めて、5時間に及んだインタビューの、全てのやりとりを再録しました

通信からシステム・エンジニアリングの世界に踏み込んだ
情報の流れの側面から会社の仕事を見たことが肥やしに
システムと闘い、システムに鍛えられた
おおらかで夢のあるシステムを作りたい
新しい技術を知っていても、あえて使わないところにSEの醍醐味
お客さんの業務を知るということを難しく考えてはいけない
SEを3カ月で鍛えよ
上からシステムを見るように心がける
SEを極めれば社長が務まる
プロジェクトマネジメントには経営のセンスが必要
“お陰さま”の気持ちが大事
SE35歳定年説なんて大ウソ

――戸田さんは、SE一筋50年を迎えられました。戸田さんにとってSEとは何ですか。

 SEの仕事というのは、ニーズを理解して、それに対するソリューションを考えて作ることです。コンピュータができたときに、ニーズというような言葉はまだなかったでしょうし、ましてやソリューションという言葉はコンピュータの世界ではなかったかもしれませんけどね。

写真撮影:周 慧

 ただ、コンピュータの初期段階においても現在においても、SEに求められているもの、それに対してどう応えるかということは、そう大きく変わっていません。私が1953年(昭和28年)に野村証券に入ったときは、野村証券が通信の機械化に力を入れたいという経営の方針から、通信工学科に求人を出した。それで通信工学科の出身者が4人、野村証券に入った。

 そのころ日本には、コンピュータはまだなかった。だから野村証券のトップは、コンピュータをすぐにでも入れるという意識ではなかったと思います。だけど、戦後の日本の証券界を立て直すために何が必要かということで、何回か米国に視察に行っているんです。そのときにいくつか感心したなかの一つが、事務や通信の機械化の問題です。

 当時、米国ではコンピュータが一部で動き始めていた。だから、野村証券のトップの頭にはコンピュータというものがあったかもしれません。ただ、まずは通信の機械化でした。それまで通信といったら、電話しかありませんでした。電話に加えて、テレタイプだとか超短波無線を導入し、証券会社にとって極めて大事だなと思う通信の世界を機械化して近代化しようと考えた。このとき機械を導入するのと同時に人間も入れた。その一人が私だったわけです。

 もちろん、当時はSEという言葉はなかった。やがてコンピュータの世界にどっぷり何十年もつかるようになるだろうとは思いもよらなかったですよ。

 その後、野村証券は1955年(昭和30年)にユニバック120を輸入した。意外と早くコンピュータの時代が日本にきたわけです。おそらく野村証券としても、想像していたよりも早くコンピュータの時代に踏み込んだんでしょう。当時はまだ、プログラムというものがあっても、ソフトウエアという概念はほとんどなかった。少なくともユーザーはソフトウエアを考えていませんでした。したがって、SEという仕事の位置づけもなかったのです。

 私がコンピュータに直接携わるようになったのは、それから2年後のことです。大阪支店にユニバック120が導入されたときです。その時からコンピュータと付き合うようになったわけです。だから厳密にいえば、1953年(昭和28年)からSEを意識してやっていたわけじゃない。ただ、システム・エンジニアリングの世界というのはコンピュータが中心とはいえ、通信が絡むわけです。それでオフィスにおける通信のエンジニアリングを考えるという意味では、「俺は1953年(昭和28年)、野村証券に入ったときからSEだ」と自分自身で決めてかかっているんですよ。

 やがてコンピュータの時代が来て全国をネットワークで結ぶシステムを作るようになった。こうした時代がきて、電話やテレタイプ、超短波無線を使った通信のシステム化の経験が役に立ったんです。そんなことから私は、「野村証券に入ったときからシステム屋なんだ」とつくづくそう思うようになった。その後は文字通りシステム人生で、50年経ってしまったんです。

通信からシステム・エンジニアリングの世界に踏み込んだ

――通信の仕事から始められたわけですが、そのころのSEの仕事はどのようなものでしたか。

 高級な仕事ではありません。一つはネットワークや機械の運用です。保守というべきでしょうか。電話やテレタイプ、超短波無線の保守です。

 当時は正直なところ、「こんな仕事をいつまでやるんだろう」という思いがしました。「電話が聞こえんぞ」となったら、「すぐ直せ、直せ。まだ直らんのか」というようなことを言われたり。週末といえば、ほとんど出勤して電話の配線工事をやったり。とにかく決してカタカナで呼ぶようなスマートな仕事じゃなかったですよ。

――今だと、証券会社にとって情報システムはなくてはならない存在です。ダウンしたら大変なことになってしまいます。当時の戸田さんが担当なされた通信のネットワークはどうでしたか。

 やっぱり困りました。電話が通じなければ株式の注文を受けることも、出すこともできない。テレタイプは、本店と支店を専用回線で結んだんですけれど、それでイロハニホヘトを送っている分にはいいんです。だけど、商売に関係したデータを送り始めると、ダウンしても困るし、間違っても困る。

 証券会社は通信の機械化・システム化をいち早く手がけた。経営的な必要性は感じていたわけですね。ただ現実の我々の仕事は、運用と保守という極めて泥臭いものでした。コンピュータの時代がやってきてからも、凄いことをやっているという評価を他の人から言われたのは、ずっと後になってからの話です。それまでは、「そんなことをいつまでやっているの。何の役に立つの」とか言われてました。

 ところが違うのです。私は若いSEの人たちに言うんですが、本当に馬鹿みたいなことをやっているとさんざん言われていたことが、後になって意外と役立つのです。その昔、ある種の経営目的のためにやっていたネットワーク・システムとか合理化システムが、ずっと後になって何かやるときに、「これは何となく身近に感じるな」と思い一生懸命考えてみたら、「あっ、そうだ。テレタイプで苦労をしたあれだよ」だなんて思うんですね。特にオンライン・リアルタイム・システムの開発に1966年(昭和41年)に入ったときなんかは、もう痛切に感じましたね。

情報の流れの側面から会社の仕事を見たことが肥やしに

――テレタイプの時代のことが役立ったと。

 テレタイプや超短波無線を使って通信を機械化した時代の経験ですね。その保守だけじゃなくて運用の経験も役立った。

 運用といったら機械の管理をやっていたようなもので、技術的に高度な運用をしていたわけでは決してないんです。けれども、情報の動きを中心に証券会社の仕事を見ることができた。会社における通信ネットワークの位置づけを体で知りました。

 ですから、いよいよ本格的なオンライン・リアルタイム・システムを考えるとき、いろいろな条件といいますか、気を付けなければいけないこと、やるべきこと、やってはいけないこと、それがごく自然に頭に湧いてきたんです。SEの世界というのは、本当にすべてが後々のために役に立つ。オーバーなようですけれど、私は自分の経験からそう思っています。

 だから若いSEやSEを志望する人たちに、必ずそのことを言うのです。何でも真面目にやっておけば、先々役に立つよというのではありません。SEというのは、とにかくいろいろな環境に対して、いろいろな道具を使って、いろいろな考え方で立ち向かうものなんだ。経験というものが非常に大事なんだよと言いたいのです。自分で先々思いがけないときに、「ああ、そうだ。これは気をつけなければいけないんだ」という思いに駆られるよとよく言っています。

写真撮影:周 慧

――逆に幅広い経験をしないと、SEとしてはどこか欠けてしまう。

 そうは思いません。ITの技術が進んできましたから、技術寄りの専門家を目指すというのも、一つの大切な道です。

 結果として私がやってきたのは、まさにシステム。情報システムを考えて作って動かすという道でした。そういう意味ではSEというのは、大きくは二つのタイプがありますね。私はどちらかというとITの世界よりもシステム・エンジニアリングの世界で生きてきたと思っています。

――戸田さんの心の中で、SEに対する思いは徐々に変わっていきましたか。

 私はほとんど一貫してSEであると思いながら、あまりSEを意識しなかったですね。とにかく常に頭の中に置いて格闘してきたのはシステム。50年間システムと闘ってきたつもりです。それはシステムを叩きつぶすために闘ったのではなくて、よりよいシステム、より新しいシステムを築き上げて、役に立つものを作るという意味の闘いでした。

 私はシステムと「よしよし仲良くしよう」という感じの付き合いがなかったのかもしれない。「こんちくしょう、システムめ」と言いながら、思いながら、システムと格闘してきた。その代わり、私はシステムをかわいがったというか、大切に考えました。甘やかさないように厳しく格闘したけども、システムの大事さについては、やればやるほどその思いが強くなったですね。だから、「大事なシステムよ」というようなもので、「俺もやるから、とにかくシステムよ、おまえも頑張れ」というふうに、よく語りかけていました。

システムと闘い、システムに鍛えられた

――それに対して、システムは応えてくれましたか。

 「厳しいぞ」と私に感じさせる答えが多かったですね。「システムよ」と言ってしばらく考える。そういうことを繰り返しているうちに、「やっぱり厳しいな」と思うようになる。システムと50年付き合ってきましたけども、随分としごかれましたね。

――その厳しいというのは要するに、自分の思ったようにはなかなかならないとか、もっと勉強せよという形なんですか。

 結局、「システムさんよ、今度のこの仕事を俺はこう考えて、こう進めていきたいと思うけども、いいよな、それで」というような感じで自問自答しているわけですよ。ところが考えれば考えるほど、「そんな楽なそんな甘いものではないぞ、今度のシステムは」といったことが自分で分かるようになってくる。

――システムをこう作りたいと戸田さんが思ったものに、どこか甘さがあったというわけですね。

 そうです。その甘さを感じないで先へ進む。そうすると転びますね。いろいろな問題が起きる。問題に対する事前の対処がないわけですからね。明らかに失敗したと思うようなこともあったし、途中から方向を転換したこともありました。

――年をとってもやっぱり同じですか。

 同じです。より大きく、より難しいシステムを対象とするようになりますからね。年を取ったからというより、世の中がやっぱり進んだから、というべきでしょう。ITの技術も環境も、さらには経営が望むものが高度化していきますから、本当に難しくなる。

 だからSEは飽きない。これがスイスイといったら、私はおそらく50年も、この仕事をやれなかったと思います。端的にいえば、「なにクソ」という気持ちの繰り返しというか、積み重ねで、気がついたら50年経っていたという感じです。

 難しいことや新しいことは、自分のやりがいの一つです。結果として、「今までのシステムよりも一皮、二皮むけたシステムができたな。これはいいや。お客さんも喜んでくれている」となると、やっぱり「俺、やったぜ!」という喜びを感じますよね。この仕事はやめられませんね。

 似たようなことでも毎回新しさを求めてチャレンジする。目標とするシステムのなかに新しいものを持ち込む形で考えることで、長く楽しくシステムをやっていく。SEというのはそれが可能なんですね。そこがシステムの非常に面白い、ユニークな点だと思いますよ。

 おそらく情報システムほどいろんなこと、新しいことを組み込め、新しいことに応えていけるものは少ないのではないですかね。それがシステムに携わる者、すなわちSEの醍醐味じゃないかなと思います。

――新しいものを生むためには常にアンテナを張り、勉強しなくてはいけない。

 それは大事です。どういう形の勉強であれ、やっぱりITの基礎技術は勉強しなければならない。正直なところ、私はどんどん理解したり、吸収していくことができなかった。若い人がはるかに詳しいので、いろいろなことを教えてもらいました。

 ただ、私は若い人と違うと思っていたことがある。その一つは、「新しい技術が何に使えるだろうか」、あるいは「今度のシステムは、こういう対象に対してこんな目的で立ち向かうシステムだけど、新しい技術をどこかに使えないだろうか」ということを絶えず考えていたことですね。

 だから、新しい技術そのものは若い人たちに勉強してもらって、僕は教えてもらう。楽な勉強の仕方をしていました。けれども、それをどう生かすかという意味では、絶えず考えていたといってもオーバーじゃないです。

写真撮影:周 慧

――最近は技術の進歩が激しくて、なかなか追いつけない。焦ってしまうSEもいらっしゃると思うのですが、戸田さんから事前にいただいた資料のなかに「焦るな、ゆっくり考えろ」といった話が入っていました。

 今の時代はものすごく難しい。ITの新しい技術や製品がこれだけ早いピッチで世の中に現れているので、今の若い人たちは、ちょっと気の毒だと思います。

 進歩した技術で新しいシステムを作るメリットはもちろんあります。だけど、新しい技術を使ったから、素晴らしいシステムができるというものではない。技術要素が、昨日発表された、今日発表されたものである必要はさらさらない。1年前に発表されたものでもいいんですよ。とにかくそれを理解し、使いこなして、新しいものを組み立てる。つまり、技術の新鮮さで1日を競う世界ではありません。

 新しい技術に対して、「俺は人よりも早くこれを理解するんだ」ということは、悪いことではありません。ですが、その技術が何のためにどう役立てられるかという前段が大切です。つまり、今求められているシステムは何なのか、それに対するソリューションはどんなものかということを考える。そのなかで、「新しい技術のここはうまく活用できそうだ」、「ここは一世代前の技術で十分だ」と見極める。古いというよりも、枯れた技術を使ったほうが今回の目的に合っているといったことを考えてシステムを作る。昨日今日出てきた新しい技術や製品を急いで勉強して活用するよりも、むしろプラスになることがあるんじゃないですか。

 新しいことを軽視するのではありません。新しい技術要素に振り回されて、自分たちは「何のために」「何のための」システムを作っているのかということを棚上げにすると、本来望まれているシステムにはならないということです。

 ごく自然で平凡なことですけど、「何のために、いくらの金をかけて、いつまでに、何を作るか」。これはいつまでも変わらず大事なことです。「何のために」は「経営に」です。「いくらの金をかけて」は「予算」。「いつまでに」は「納期」。「何を作るのか」は「システムのニーズ、システムに要求されるもの」です。これらが大事なんです。

 常に頭に置いておかなければいけない技術的なインフラは六つあります。信頼性、安全性、効率性、柔軟性、拡張性、そして全体を踏まえた経済性です。

 システムを考える者は、経営のニーズをわきまえて、システムのニーズを理解し、それでシステムを頭に描くわけです。もちろん信頼性、安全性、効率性、柔軟性、拡張性、経済性のすべてが良ければ問題は起こらない。でも、これは乱暴な考え方です。

 信頼性一つとっても、どのレベルの信頼性を維持すべきか。「最高級の信頼性を維持しておけばいいに決まっているじゃないか」となると、銭がかかる。そうした意味ですべては経済性に行き着く。結局、いくらの金をかけるかというところに総括されるんです。

おおらかで夢のあるシステムを作りたい

 柔軟性と拡張性も大事なんです。「そんなもの。どうせITは新しくなるんだから、またシステムを作り直せばいいんじゃないか」と乱暴な考えでシステムを作っていたら、きちんとお客さんに応えるシステムにはならない。柔軟性や拡張性は、どういう変化が想像されて、それに対してどの程度の柔軟性と拡張性を確保すべきかが重要になってくる。

 安全性でいえば、早い話がシステムがダウンしたときに、1分で復旧させるのか、5分でいいのか。こうしたことでシステムの設計条件はすごく変わってきます。結果として、ものすごくコストが違ってくるわけですよ。安全性は高い方がいいといってシステムを設計し作ったら、銭ばっかりかかってしまう。それでも、例えば3分で立ち上げなければいけないというシステムの復旧時間が10分かかって、システムの本来のニーズから外れると、大きな混乱を招きます。

 それじゃ故障しないシステム、ダウンしないシステムを作ればいいじゃないかとなるが、そんなことは「ノー」です。コストを考えたら断じて「ノー」と言わざるをいえない。システムというのは、ダウンするんだということを前提として考えるのです。

 このシステムの目的からすれば、ダウンの許される時間は30秒なのか、1分なのか、3分なのか、10分なのかということを十分吟味して、それに応えられる設計をする。それがSEの大きな責任です。お客さんやトップの側からすれば、技術的な問題ですから、そんなもの分かりはせんですよ。

 システムに関して考えることは限りなくあるんです。さりとて、あまり考え過ぎるとビビっちゃって、闊達なシステムが作れなくない。システムというのは、極力おおらかに夢のあるものを作るんだという気持ちで考えないとね。金はなんぼ使ってもいいというものではありませんが、ケチりながらシステムを考えたら、もうまったくろくなものにならないですよ。

――システムを作るときに夢を残すということですが、どこか一点だけでも「このシステムでこんなことを実現したいんだ」というモノを入れて、後はできるだけコストを抑えるという形になるのででしょうか。例えば「この技術は是非使いたい」や「一度これを実現してみたい」という夢を、一点豪華主義のように入れておくとか。

 せめて1点でもということでしたら、もうちょっと欲を出していただきたい。

 とにかくシステムを作るときは、「何のために、いくらの金をかけて、いつまでに、何を作るのか」ということを頭に絶えず置く。そのうえで今度のシステムに役立ちそうな技術、必要な技術が何なのかを考える。この過程で、新しい技術を入れることに留意する。そのときに、あまり無理して新しいものを入れると危ないんです。技術を消化できないままシステムができちゃうと、危険です。システム構築に新しい技術を入れるということは、正直なところ非常に難しいです。

 どこにどんな技術を入れるかは、SEに課せられた難しい課題ですね。世の中こういう時代だから、もうこの技術を入れるのは当たり前だと考えると、おそらくよいシステムにならない。危ないからといって、枯れた技術だけ使っていこうとすると、活力のあるシステムにならないんです。

新しい技術を知っていても、あえて使わないところにSEの醍醐味

――新しい技術を入れる頃合いを、どうやって見計らうんですか。

 新しい技術が、どこで、どういうシステムのために、どんな使い方をされているかという情報を、絶えずサーチして理解しておくことが大事です。

 新しい技術を使わないから知らなくてよいというものではありません。知っていてもあえて使わないということも、SEにとって非常に高度な技術なんです。知らないで使わないというのとは、えらい違う。知って使わなかったのと、知らなくて使ったものとの差は、後で必ず出てきます。だから、新しい要素技術を勉強することは必要です。

 それと事例ですね。米国で新しい技術がどんなシステムでどう使われて、どれだけ効果を上げたんだと。新しもの好きというのではなくて、新しい技術を有効に使うために、欧米の事情は絶えず知っていなければいけない。

 海外だけではないですよ。日本国内の先進ユーザーも大事です。「単にあの企業が新しい技術を使っている。あっ、そう」で終わっていたのでは、何の役にも立ちません。どんな方法でどう使っているのか、何でそれを使おうと思ったのか。そんなことは簡単には分かりませんが、新しい技術に対して絶えず掘り下げていく姿勢というのがSEには必要です。深く深く知る必要はないんですよ。だけど「あっ、そう」といって簡単に終わってしまったらダメ。

 繰り返して言いますが、SEの面白さというのは、考えたり身につけたことが非常に幅広く使える。新しく考えたことが金融であれ、流通であれ、製造であれ、いろんなところでありとあらゆる役立て方ができるのです。

 私がシステムにずっと興味を持ってこれたのは、「へえ、この考えが今度のシステムでこんなふうに使えるんだ」という応用範囲の広さを絶えず感じてきたからだと思います。仕事のなかで積極的に新しい可能性を考えるのは楽しいですよ。SEの仕事以外には、そういう楽しさはあんまりないんじゃないですかね。情報システムほど、応用する対象物の幅が広い世界は少ないでしょう。

 これは、ソフトウエアというものを内蔵した情報システム自体が備えている本来の強さを証明しているのではないでしょうか。情報システムが100年も経たないうちにここまで進んだのは、この強みのためでしょう。この強みを最大限に引き出せば、対象となる世界を進歩させることになります。だから、SEの責任は大きいですね。

お客さんの業務を知るということを難しく考えてはいけない

――幅広さということは適用する業務の幅広さにつながります。ユーザー企業の情報システムを作るには、かなり突っ込んだところまで業務を知らなければいけません。

 確かにそうです。しかし、知るといっても限界があります。だから、私はユーザー企業の業務を大枠でまず理解しなさいと言っている。まずは最低限必要なことから。あとは、お客さんと一緒にシステムを一つでも作れば、そのユーザー企業の業務の本質というのはだいぶ分かります。二つ目を作れば、また分かる分野が広がります。深くもなります。

 お客さんと一体となってシステムを作り続けていくことが、お客さんの業務を理解するうえで絶対に必要なことです。逆に、お客さんの話をものすごく聞いて、あるいは本をたくさん読んで、「これでもうOK。任せておけ」という考え方はかえって危ない。

 いろいろな苦労をしてお客さんの業務に詳しくなったとしても、詳しくなりすぎるとマイナスなんです。お客さんの若い社員の人よりもSEのベテランの方が詳しくなることは、当然あり得るわけです。詳しいことはいいことなんですけれど、ときとして「お客さん、あんたこんなこと知らんの」という態度が出てしまうケースがある。現に、業務にものすごく詳しい私の部下が業務について、「お客さん、こんなこと知らんの」とやったようです。そうしたらお客さんの上司が憤然として、「けしからん。あのリーダーを取っ替えてくれ」とクレームをつけに来られました。私が申し上げたいのは、お客さんの業務を知るということをそんなに難しく考えないということです。

 でも、まったく分からない状況で「お客さん、一から教えてください」というのはSEとして責任がなさすぎる。そのユーザー企業の業種の構造や動き方など基本的なことは分かっていないと、お客さんのシステムは考えられないですね。その業種がどういう構造や機能を持っているのか、ほかの業種とどうつながっているのか、ほかの同業者とどうつながっているのか。業務を知る前に、こうした業種の仕組みが分からないと、SEの仕事というのは務まらないですね。

写真撮影:周 慧

 さっき申し上げたように、業務の詳細はお客さんとシステムを作っているあいだに、だんだんと分かってくる。それで初めてのお客さんに提案できる。大枠が分からないのに業務上の新しい提案をしたいといっても通常は無理ですよ。

 まずは業種。それから業務。業務といったら、かなり詳細なレベルに落ちます。そのうえ同じ業種でも会社によって業務のやり方が違いますから、お客さんと一緒に仕事をやることで理解する。

 私が野村証券時代に、業界として仕事のやり方に修正が入りました。このとき「どうするかちょっと相談しようや」といって、野村と山一、大和、日興の4大証券から一人ずつ担当が集まりました。そのときに笑っちゃったんだけど、それぞれが「俺のところはこうしている」、「うちはこうだ」と4社の業務のやり方がみんな違う。同じ業務なのに、4社ともやり方が違う。「あんたのところ、そんなやり方しているの」となったわけね。

 アウトプットは同じなのに、そこに至るそのプロセスが違う。何でプロセスが違うのかと考えてみたら、やっぱりベースにある基本的な社内業務の仕組みが違うんですよ。4大証券どれも同じと思っても、全然違う。業務っていうのは、そんなものなんですよ。だからSEがいきなり業務のことを心配するというのは、おそらく実りがない心配です。

SEを3カ月で鍛えよ

――若いSEがまず心がけてほしいことは何でしょうか。

 まず言えることは、現在の情報システムの世界を個別に深く理解するなんて無理ですから、現在の情報システムの世界で使われているITの全体像を知ることです。駆け出しの段階で、新人さんに詳しいことを知るべきだとか、勉強が足らんといっても無理です。

 それより全体像をいろいろな角度から指導して、今の情報システムはこういうハードやソフトをベースにして作られているんだなというように、現代の情報システムの基本的な骨組みを理解させる。個別の技術が好きな人は部分的に見るのも構いませんが、それにより全体を理解することが遅れるようなら、大きなマイナスです。

 私は今、全体を理解させる最適な方法が分かりませんけれど、目的は現在の情報システムを構成する基本的なハードとソフトの機能と、それぞれの関係を知ることです。これらを3カ月なら、3カ月で教える。3カ月というのはいい加減にいってますが、半年は長い。かといって1カ月で分かるようになるかというと、それは無理でしょう。だから3カ月程度。この3カ月は、きちんとしたSEを育てるには、非常に大事だと思いますね。

 早い話、3カ月間はITにかかわる基礎教育のようなことをやって、そのうえでアプリケーションの構造を知る。特にデータベース中心に、アプリケーションというのはどんな格好をしているのか。丸いのか、それとも四角いものかという基本的なところから入っていく。「そんなバカな」という人もいるだろうけど、私はそのほうが全体が見えてよいと思うんですよ。最初は全体をぼんやり、そのうちに少しずつ明快に全体を理解する。こういうことを駆け出しの段階からやっておかないと、新しいビジネスモデルを考えるとか、ビジネス・プロセスを考えるときにSEは無力になります。新しいビジネスモデルを考えるというのは、会社全体の問題ですから。

上からシステムを見るように心がける

――教えるのも大変。勉強するのも大変。

 新人教育を作ろうとしたとき、教える人は大変でしょう。現在、新人を教える立場にある人は、私が今まで言ってきたようなことをやっていない世代ですから。私たちの世代のSEがそんなスマートに勉強したかというと、ノーです。まず全体像を見るということは、SEを40年も50年も続けてきた結果、そう思っているという話です。

 私はシステム化したい対象物を上から見るようにしろとよく言うんですよね。上でないと全体は見えない。横からだと見えない部分があるからです。

 SEという職業は、別に理系や文系を問わないと思います。ただ、できることならば上から見ることを知っている学科がいい。各論ばかりをやらない学科という意味です。例えば理工系で言うなら、数学科はどちらかというと上から見る。制御工学も同じですね。

――例えばシステムを横から見ると階層構造がある。上から見るというのは、会社全体あるいは業界全体のなかで、システムがどう位置づけられるかというイメージですか。

 そうです。上から見るというのは、全体を見るということに通じるわけです。システム化する対象物を自分が理解するためにも、まずは会社全体を見る。そのうえで対象物に対して、新しいシステムやビジネスモデルを考える。全体を見て、どんなシステムやビジネスモデルを考えるのかというということが、SEの世界です。

――全体を見ると、会社のなかでシステムがどれだけ重要な位置にあるかが分かるけど、横から見るとシステムだけしか見えないというイメージだと感じたんですが。

 おっしゃるとおりです。

 でも、新しいシステムを作ろうとするときに、往々にして経理の仕組みがどうなっているんだろう、営業の情報管理のやり方はどうだということが気になるんですよね。新しい営業情報の管理をお客さんは望んでいるとなると、ズバリそこのところをより詳しく見たり勉強したりするところから入っていきたいですから。

 だけど、こうした気持ちをぐっと我慢して、最初に会社全体を見るべきなんです。場合によっては、取引先を含めた情報の流れを見る。これも全体の非常に大きな要素ですから、こうしたところから取り組むことが大事ですね。

――いきなりコーディングを始めてはいけない。

 まあ、お好きならどうぞといったところです。

写真撮影:周 慧

 プロのSEとはどうあるべきか。こうしたことを教えている学校は少ないでしょう。でも、最近になって、関心が高まっているように感じます。

 私は年に1~2コマしゃべるだけですが、東工大の経営工学科で非常勤講師を始めて今年(本誌注:2002年)で12年になります。今年も10月1日、台風の日に「ソリューションを考える」というタイトルで講義をしました。

 当日、台風が東京へどんどん接近していました。講義は午後3時からだったと思います。女房には「こんな天気だし、学生さんが来るか来ないか分からないけど、一人でも来たらちゃんと1時間半講義してくるから。とにかく行ってくるよ」といって家を出たのです。学校に着いたら、びっくりしたな・・・。

 大きな階段教室が満員。通路のところに折りたたみ椅子をいくつか持ち込んで本当にギューギューになっていた。外はビュービュー風が吹いて、ザーザー雨が降っているのに、大学院の学生がいっぱい来た。これがソリューションという問題に対する関心の高さなのかと思いましたね。

 学校のカリキュラムは一つひとつがまだ学術的なんだと思います。それも大事ですが、台風の日にあれだけたくさんの学生さんが来たということからすると、学校でもやっぱり今の世のなかで求められているものをカリキュラム化することが、必要じゃないかと感じるんです。特に情報システムの世界では必要だと思いましたね。

SEを極めれば社長が務まる

――問題は教える人がいないことでしょう。例えば、プロジェクトマネジメントという学科は日本には一つしかないんです。教える人がいないからです。現場でやられている戸田さんのような方が大学にどんどん出て行かれて教えることができればいいんですが・・・。

 例えば、日本の国公立大学で最初にシステム工学科ができたのは神戸大学なんです。このときまでシステム工学科はどこにもなかったんです。神戸大学の先生が「わが大学が初めてだ」と胸を張って言っていました。でも、学校のカリキュラムと実際の情報システムの世界は必ずしも結びついているわけではないんですよ。情報システムを考える上での基礎となる学術的な知識を教えている。

 私は、学校で学んだことの何がSEの仕事に役立っているのかと何度も考えました。今のところ、結論としては学術的な知識より、いろんな専門科目を習うなかで身につけた“考え方”の方が役立つと思っています。考え方に関するカリキュラムがあれば、情報システムの世界でシステムを考えるときに役に立ってくる。SEの基礎技術を強いて一つだけ挙げるなら、考え方の技術だと思います。

 私はかつて「SEの仕事を生涯かけてやっていてもいいのかな」と迷ったこともあります。SEの仕事が面白いと感じていたんですよ。だけど、面白いからといってずっとやっていていいのかという迷いを感じた。そのときに、結果としては「いいんだ」という結論を自分で出したんです。

 なぜかというと、システムを作るうえでお客さんの社長さんと接触したときに、考え方が似ていたからです。トップの方たちが、なぜ俺はこう考えるのか、なぜ今回システムが必要だと思うようになったのか、ということを説明してくれたわけですが、この考え方のプロセスが、私がSEの仕事をするうえで実践していた考え方と実に似ていたんですよ。

 それで改めて、SEの仕事を通じて考え方を身につけていけば、将来は社長でも務まるんじゃないかと思った。社長でも務まるというと、「バカたれ」と言われるかもしれませんが、SEはコンピュータのソフトやシステムを考えるだけの限られた世界じゃないと考えるようになったのです。

 それからは言葉にしないまでも、「ある考え方をより広い分野で応用できるということは、後になって何かの理由で別の世界に入るとしてもやっていける。だったら、このままSEを続けていっても、将来的に自分が精神的に挫折するようなことにはならないだろう」と胸を張っているんです。「俺はSEで鍛えてきた人間だ。何でも受けるぞ。ドンと来い」とね。

プロジェクトマネジメントには経営のセンスが必要

 プロジェクトマネジメントが流行の言葉になっています。多くの場合、この言葉をプロジェクト管理と受け止めているようですが、それだけでなくプロジェクト経営という観点もあるのです。プロジェクトマネジメントの役割を進めるときに必要なのは管理することだけではないという意味です。

 例えば、1~2年かかるプロジェクトのマネジャになったら、「俺はこのその1~2年間は××プロジェクト株式会社の社長だ」と思うべきなのです。それで××プロジェクトの社長として何を考えるべきかという意識を持つ。言葉にするとチンケな話になっちゃうけど、頭のなかではそうした問題意識をもってプロジェクトを推進していく必要がある。そうすると、単に管理という狭い見方で考えているときとは、プロジェクトの見方が変わってきます。

――SEにとって「考える」ことが非常に重要ですが、成功してばかりいると、なかなかジックリ考える機会がない。逆に失敗するとすごく考える。戸田さんは失敗をどのようにとらえていますか。

 失敗はノウハウの原点だと思いますよ。プロジェクトがうまくいけば、うまくいったで非常に意味がある。逆に、失敗したらしたで大変な意味がある。あるいは意味があるように、後でフォローしなければいけない。失敗をいろいろな角度から分析して、ナレッジ・マネジメント的にノウハウ化というか、データベース化する。これを組織全体の新しい教科書として役立てる。これがノウハウなんです。

 成功体験を分析することはノウハウにはなりにくい。だけど失敗を徹底的に分析して、それに対する対処の仕方や事前の手の打ち方を考えたら、これはノウハウです。理屈を付けているようにも思えるんだけど、SEの仕事というのは良ければ良し、悪ければ悪しで、次の夢につなぐことができる。別に、失敗を奨励するわけではないけれど、「失敗しても決してくじけるな」と言いたい。みんなくじけるな。こんな面白い仕事ないぞ。

 それと、いろいろな角度で考えることを可能にしてくれるのがシステムです。私はそういうシステムと接するSEという仕事に夢とロマンを持っているんです。壮大な可能性のあるシステムを考えて作ることは、夢でもロマンでもあるわけです。だけど、それだけではないんですよね。失敗したと思ってもそこから、もがいてもがいて、あがいてあがいて、ふっと水面に顔を出したら、「わあ、すごい世界が開けている」という夢とロマンもSEの世界にはあるんです。

“お陰さま”の気持ちが大事

――お客さんとの付き合い方ではどのような心がけが大事でしょうか。最近は客先に派遣されても挨拶をしないとかの問題があるようです。技術とは違う人間的な側面の鍛え方について、戸田さんはどうお考えですか。

 SEの仕事は間違っても一人でやる仕事ではないんですよ。複数の人間によるチーム・プレーです。実際にシステム開発に当たるメンバーだけでなく、お客さんや開発パートナーなど、いろいろな会社や個人との接触があるわけです。こうした接触の集大成としてシステム開発が進み、やがて動き始めるわけです。

 要はSEの仕事は人に始まって人に終わるということですね。SEの世界というのは、対象物にみんな人が絡んでいます。システムを使うのも人。そのシステムを考えるのも人。作るのも人。SEほど人とのかかわりが多い仕事は少ないでしょう。

 こうしたことからして、口に出す出さないは別として、プロジェクトに関係があるすべての人に対して支えてもらっているんだという気持ちを持つ必要があるのです。「お陰さまでプロジェクトが前に進んでいます」という気持ちがなければ、いいシステムは作れません。

 とりわけお客さんとの接触は大切にすべきです。お客さんだから媚びへつらうという意味ではなくて、この人と一緒にシステムを作るんだという気持ちを持つことです。金をもらっているからではなく、よりよいシステムを作るために、お客さんとの接触というのは大事にすべきなんですね。大事にしてこそいいシステムが生まれる。

 大事にしたいのは、仲良くすることに加えて、お互いの信頼関係を築くことですね。そういう付き合いをしていれば、信頼感が出てきます。「無理をいうけど、ここはひとつ飲んでやろう」とか、「少し疑わしいけど、できると言っているんだから信用しよう」とかね。こういった信頼関係なくしてシステムは作れません。だからSEにとって、人との付き合い方は極めて大事なことなんです。

 システムは、人によって人のために作られるものです。ましてお客さんには、お金をもらっているうえに、いろいろと業務を教えてもらわないといけない。作ったシステムが本当にいいかどうかも、お客さんに日常的に使ってもらって証明してもらわないといけないわけですから。とにかくSEの仕事は人、人、人なんですよ。人を大事にしないと仕事にならないと思いますよ。

写真撮影:周 慧

――入社したばかりのSEは全体像を把握する。プロジェクトのマネジャは××プロジェクト会社の社長という意識を持つというのは分かりました。では入社7~8年目ぐらいのSEはどのような心構えで仕事に取り組んだら良いでしょうか。

 30歳といえば、新人でもありマネジャでもある。だから両方を心がけるべきです。当たり前のことと思うでしょう。でも、こうした当たり前のことが一番必要なんですよ。

 「これは新人のときもやった」とか「俺は俺なりにやっている」と言わずに、やるべきことをきちんとやる。「うちのマネジャはこんなこともやらないで。俺が穴を埋めてやる」というのではなく、「俺がマネジャだったら、これをどうするだろう」と考えてみる。それで場合によっては、マネジャに進言する。このように新人であり、マネジャであるように努力するべきです。それがサブマネジャの振る舞い方であり、このときが一番勉強になるんだと思います。

SE35歳定年説なんて大ウソ

――7年も8年経って、サブマネジャくらいになると仕事にも慣れて「全体を見る」ことを忘れてしまうと思います。ついつい横から見がちになる。

 そうそう、おっしゃる通り。私は今までに何回か「全体を見る」ことの大事さを認識する機会があったんです。それは、つまずいたときですよ。うまくいかなかったときに「どうしたんだろう」と考えると、「ああ、そうだ。俺、今回は全体を見ていなかった」となるわけです。

 うまくいっているときは、全体を見ているかどうかなんてことを考えもしない。「俺がやればちゃんとできちゃう」と決めてかかってるわけ。ところが失敗したり、つまずくと、「どうしたんだろう」と考える。大体、失敗やつまずきの原因は難しいことが原因ではないんです。平凡というか、誰が見ても当たり前のことで手抜きをしただけ。それでつまずいてしまう。

 それにしても、SEの仕事はおもしろいですよ。50年やっていても、「もうやめた」とはちっとも思わない。むしろ、この先どうなるのかを考えるとわくわくします。

 そうだ。ちょっと前に「SE35歳定年説」というのがありましたね。これはとんでもないことです。30歳のSE、40歳のSE、50歳のSEは、みんな違う考え方をするからです。30歳のSEにない力を50歳のSEが発揮できる。

 それこそ、本人がその気になれば年齢を重ねるほどいいシステムを考えられる。何日間徹夜できるかといったら、年寄りは体力が衰えていますけど、ソリューションを考えるとかプロジェクトをマネージするという観点では、経験に裏打ちされた年齢がプラスにこそなれ、絶対にマイナスにはならないですよ。そうした意味で、SEには定年はないと思ってます。

聞き手=横田 英史


アルゴ21
技術担当特別顧問
戸田 保一(Yasuichi Toda)氏

1953年3月、大阪大学工学部通信工学科卒業。同年4月に野村証券に入社。1973年、野村コンピュータシステム取締役に就く。その後、同社副社長を経て、1988年に野村総合研究所副社長に就任。CSK副会長などを歴任。1930年生まれの72歳。