記者にとってインターネットのもっとも素晴らしい点は,記事に対する意見や批判を直接,読者の方々から伺えることである。双方向のやり取りにすべく,今回は日経ビジネスのWebサイト,日経ビジネスEXPRESS読者の意見にお応えしたい。

 日経ビジネスEXPRESSに原稿を書くにあたって,日経ビジネス編集部に頼んだことが一つある。それは,「読者のコメントをいただける仕組みを入れてほしい」ということであった。頼んだ理由は,せっかくインターネットで記事を発信する以上,読者から意見をいただける仕組みを設けるべきと思ったからだ。実際,筆者がこのところ主に原稿を書いている,このIT ProというWebサイトでは,記事について読者が意見を自由に書き込めるようになっている。

 IT Proで記事を一本書くと,意見,批判,助言などさまざまなコメントが集まる。筆者の経験では,96人の意見が寄せられたことがあった(記事へ)。瞬時にして96人の意見を聞けるわけで,これはインターネットでないと実現不可能なことである。

 読者は貴重な時間を割いて書き込みをしておられる。なんとか返信するのが筋であろう。そこで筆者はこのIT Proでは,いただいた意見について,まとめて返信を書き,それをまた公開するという試みを何度かしている。全体の原稿量が異様に増えるという欠点があるものの,「議論の論点がはっきりした」,「読み物としても面白い」といってくれる読者もおられる。

 この試みを日経ビジネスEXPRESSについてもやってみることにする。一回目の題材は,昨年の12月23 日に公開した「マスコミを徹底して嫌ったIBM会長」(日経ビジネス読者限定ページ)について書き込まれた意見にお応えする。「経営の情識」とはあまり関係がないが,重要なテーマと思うからである。

 まず,書き込みをしてくださった方々にお礼を申し上げる。以下,12月23日付記事を再掲した上で,読者の意見と筆者の返信を列挙する。すでに日経ビジネスのサイトでこの記事をお読みいただいた方はこちらをクリックして読者と筆者の対話部分へ進んでいただきたい。



マスコミを徹底して嫌ったIBM会長


 米IBMのルイス・ガースナー会長が書いた『巨象も踊る』を読んだ。この本は経営書ということになっているが,マスコミ批判の書でもある。何しろ「率直に言ってマスコミに対応するのは好きではない」,マスコミの取材を頻繁に受けることは「長い目で見れば,会社の評判と顧客の信頼を傷つける」と言い切っている。

 本書を読んでいくと,至る所でマスコミを批判する文が出てくる。いくつか拾ってみよう。

 「IBMで進行中の動きについて,マスコミに傾聴に値する見識があったとは思われない」

 「いい加減な報道であり,それによって発言の意図が大きく歪められた」

 「一九九五年にこの服務規程を廃止したとき,異例なほどマスコミの注目を集めた。(中略)実際には,これはわたしが下した決定のなかでも,じつに簡単なものであった」

 「経済関係のマスコミは広告収入の増加に大喜びし,興奮が続くように提灯記事を書き続ける」

IBMの生き残りを疑問視した記事などを引用

 ガースナー会長は,自分がIBMのトップに就任した当時のマスコミの報道内容や,評論家のコメントを実名入りで引用している。いずれも,IBMの生き残りに疑問を呈していたものである。ガースナー会長は淡々と引用しているが,一連の報道やコメントはすべて間違っていたと言いたいのだろう。そもそも「IBM復活の理由を書く」という本書の趣旨自体が,マスコミ批判になっている。

 筆者はおよそ10年前,IBMのことだけをひたすら調べて報道する仕事をしていた。このため今でもIBMには関心があり,『巨象も踊る』に書かれたガースナー会長の改革について本当に成功したのかどうか,いろいろとコメントしたいことがある。

 しかし,筆者が記者であるためか,本書を読んでいると,マスコミ批判のくだりばかりが印象に残る。特にすごいのが,「個人的な意見」と題された第5部である。その冒頭には,「不快に思うことを延々と挙げていく誘惑にかられている。この誘惑にはできるかぎり負けないようにするが,完全というわけにはいかない」と書いてある。これはどう見ても,不快に思っていることを書くという宣言であろう。

 不快に思うことの筆頭には,情報技術産業が挙げられている。特にシリコンバレーにあるライバル企業各社の経営トップに対しては手厳しい。「まったく驚くしかない面々である」「各社が突拍子もないビジョンを発表するとき,それを本気で信じているのだ」といった具合である。あるライバル経営者に対しては,引用をはばかられる激烈なコメントをしている。よほど不愉快だったのだろう。

 2番目はちょっと意外だが,投資銀行を米国のバブルの犯人としてやり玉に挙げている。「投機ブームが終わると,投資銀行家はみな金持ちになっている。打撃を受けるのは,苦労して貯めた資金を投じた投資家と,才能を浪費し名声に傷をつけた起業家だ」。

俗論による安易な批判記事を書かないことが先決

 3番目にいよいよ,「経済関係のマスコミ」が登場する。同氏は,「記者のなかにはすぐれた人がいるが,それほどでもない人もいる」といった言い方をしているが,すぐれた記者に対する記述が2行であるのに対し,すぐれていない記者に対する記述は,16行もある。すぐれていない記者に対しては,「対応をするのを拒否した」そうである。

そして再び,「記者への対応については,少なくする方がいいと信じている」と述べる。実際,ガースナー会長は,取材を年に2~3回しか受けなかった。これは単にマスコミ嫌いというより,1つの作戦であった。日本IBMの北城恪太郎会長に,「ガースナー会長はなぜ,あんなに記者が嫌いなのか」と尋ねたところ,次のような返事が返ってきた。「嫌いというより,ガースナーと,彼が連れてきた広報責任者が,そういう方針を決めたように思う。ここぞという時に取材を受けたほうがいいと考えたのではないか」。

確かに時々しかメディアに登場しないほうが,目立つだろう。この徹底ぶりはあっぱれと言える。もっとも筆者はガースナー会長の嫌いな記者を生業としており,同氏の言い分をごもっともと受け入れるわけにはいかない。「取材を受けるのは経営トップの責務」と書きたいところである。

 しかし,これだけ執拗にマスコミの姿勢や間違った報道をあげつらわれると,そうも言えなくなる。俗論に基づく安易な批判記事を書かない,トップの発言は正確に引用する,といった基本を自分で徹底することが先決かもしれない。


読者との対話

 ここからは,上の記事に対していただいた読者の意見と,それに対する筆者の回答である。読者の意見の順番は,書き込まれた順の逆になっている。つまり一番新しい書き込みから順に並んでいる。読者の意見は一部,語句を手直ししたところもある。筆者の回答文は「ですます」調にした。通常よりかなり長くなるが,関心のある方は読み進んでいただきたい。

=第三者の記事評価が必要=
 「自分で」徹底する,というスタンスに閉じこもるかぎり,実際的な効果はほとんど期待できないでしょう。自分の判断を第三者の基準に照らしてフィードバックを得る,という意識はマスコミの方には難しいのでしょうか。

【筆者からの回答】
 当該記事の最後に,「俗論に基づく安易な批判記事を書かない,トップの発言は正確に引用する,といった基本を自分で徹底することが先決かもしれない」と書いた点についてのご意見です。言い訳がましいですが,筆者としては,「先決」と書いただけで,「自分でちゃんとやるから第三者の意見なんか聞かないよ」と言ったわけではありません。

 そういえば,英国には記事の正確性をチェックする機関があったように記憶します。日本にそうした機関がないので,まずはインターネットの仕組みを使って読者にチェックしてもらうのがてっとり早いと考えます。事実誤認の記事があったら,そこへ「これこれしかじかで違う」と書き込めるようにするわけです。ただしその仕組みが用意されていないとダメですが。さらに紙媒体の場合,どうするかという根本的な問題は残ります。

=問題の本質を突き詰めよ=
 銀行員です。私もガースナー会長同様,マスコミに批判的です。それはマスコミが問題の本質を突き詰める努力を放棄し,大衆受けし議論が深まらない記事を書くからです。今マスコミは日本経済の危機的状況の中,銀行をスケープ・ゴートにしています。

 しかし,公的資金の注入が本当に日本経済の再生に繋がるのか?とか,貸剥し・貸渋りを批判することは,銀行に「問題債権を増加させ収益性を下げろ」と言っているのではないか?といった議論を深め,本当の問題を掘り下げることが大事なのではないでしょうか。そもそも貸剥し・貸渋りという言葉自体,大衆迎合的と思います。

 A紙,B紙が銀行が問題の根元だと書いたら,C紙は反対意見を書いて議論を盛り上げるべきではないのでしょうか?日経新聞を良く読むと上述の議論が少しありますがそれは大衆の意見に迎合するために,目立たないように書かれているように見えます。

 マスコミが銀行に多くの問題の原因を押し付けることで,本質の議論が遅れ,問題解決が先送りされているように思います。今,未曾有の経済危機を迎えている日本でマスコミは大衆に迎合する記事で受けを狙うのではなく,国民全体を巻き込んだ真剣な問題の本質を追求する議論を促す役割が求められていると思います。

【筆者からの回答】
 筆者は金融の専門家でないので,問題の所在についてはコメントを控えます。しかしマスコミに対する,この方の指摘はその通りと思います。筆者の専門分野であるITについていえば,システム障害が起きたとき,ともすればマスコミの報道は,利用者の怒りの声とか,責任者はだれでどう責任をとるのか,もう再発しないのか,といったことに集中しがちです。システム障害の原因には,技術的な直接の問題と,その問題を顕在化させてしまったマネジメント上の失敗があります。こうしたことを冷静に書く必要があると思っています。

=経済マスコミは読み流す=
 日経本紙や日経BPの報道が間違っていると怒る経営幹部を何人も知っているだけに,大笑いで読んでしまった。わたし個人は,経済マスコミはへたな鉄砲,数打てば当たる的な見方で読み流しております。

【筆者からの回答】
 厳しい批判と解釈しました。宣伝になりますが筆者は今,物事の本質を議論するための新媒体の開発を手がけております。なんとか読み流されないメディアを作りたいものです。

=取材を受けない選択肢はある=
 マスコミ嫌いは,経営者だけでなく,スポーツ選手や芸能人にもよく見られる現象である。その原因は,自分の意図と違う報道をされたという体験がほとんど。そういう意味で,編集委員の「俗論に基づく安易な批判記事を書かない,トップの発言は正確に引用する,といった基本を自分で徹底することが先決」というコメントが,この記事の結論であると考えたい。

 「取材を受けるのがトップの責務」かどうかは,時代の流れが決めると思う。記者は取材が仕事の目的であるが,トップにとってはあくまで手段。マスメディアが情報伝達の中心ならそうするしかないが,今はウェブでの情報公開という選択肢もあるのだから。

【筆者からの回答】
 結論通りに仕事をするよう努力します。「取材を受けるのがトップの責務」と書いたつもりはなかったのですが,読み直すとそうとも読めます。確かに,記者側の言い分でした。大きな流れを言うと,発表内容を単に聞き書きする仕事は不要になっていくでしょう。実際,ITの世界では,記者会見と同時に詳細な情報がWebサイトに公開されます。通り一遍の記事を書いても読者は読んでくれません。といって変にひねったことを書くと間違えたりします。インターネットの出現は,記者のスキルのあり方に再考を迫っています。本当はもっと前から迫られていたわけですが。

=記者は勉強不足=
 私もこの記事は面白くないと思った。私も立場上,ときに取材を受けることがあるが,この記者になら少しサービスしてもいいかな,と思うことはまずないし,的確な質問をされて答えざるを得なくなったということは全くない。記者の勉強不足はひどいと思うことがあるし,知らないなら知らないで,基本的なことから聞いてくれれば,それなりに答えは用意しているのに,それもない。それにもかかわらず,別のところで仕入れたと思われる知識で不正確な記事を書かれる。

 これでは,「取材を受けるのは経営トップの責務」などといわれても,心には響かない。多分,ガースナー会長も同じような心境なのではないだろうか。日経ビジネスも,ビジネス専門誌なのだし,筆者も編集委員という立場におられるのだから,他人を皮肉る前に,自らのことを考えていただきたいように思う。

【筆者からの回答】
 自戒します。ただしガースナー氏を皮肉ったつもりはありません。そういえば前回書かなかったエピソードがあったので紹介します。筆者は一回だけガースナー氏と話したことがあります。来日の際,ガースナー氏が一方的に話し,質問を受けないという記者会見がありました。これはスケジュールの関係でした。

 ガースナー氏が退席したあとも,記者向けに別な説明が用意されていたのですが,筆者は会場を抜け出し,ガースナー氏を追いかけ,「ミスターガースナー,一つだけ質問していいですか」と話しかけました。ガースナー氏は振り向いて筆者に一言。「ノー。時間がない」。そのまま去っていきました。例の本の中でガースナー氏は,テレビカメラが待ちかまえていても立ち止まらず歩き去る,といった主旨のことを書かれています。当時もまったくその通りでした。くやしいですが,終始一貫しています。

=何を言いたいのか=
 結局,この記事で何がいいたいのかが分からない。メディアに対して不満を持ちつつも,我慢し,IBMを立て直したガースナー氏の言葉を素直に受け止めるのか,それとも,反論するのか,はっきりすべき。日経ビジネスのサイトやメールに記事を書くことができるということに責任と使命感をもう一度再確認し,この記事の読者に自分がどのような影響を与えるかということを再考してほしいと思います。

【筆者からの回答】
 分かりにくくて恐縮です。反論ではなく,「ガースナー氏がこれだけメディアを批判している」ということを皆さんにお知らせしたかったのです。ガースナー氏の本の骨子は,日経新聞に連載されましたが,あの激烈なマスコミ批判は載りませんでした。書評でもマスコミ批判について触れたものはなかったと思います。責任と使命感は再確認します。

=IBMは素晴らしい=
 ビジョナリーカンパニーを読んだ。すっかり洗脳されて,IBMは素晴らしい会社だと信じ込んで,現在私の仕事上でのIBMという会社と社員の方と接する中で,その素晴らしさを改めて感じている今日この頃である。

 その会長たるや,私にとっては神のごとくその言葉に重みを感じるが,一歩もひかないで当てこすりながら,その文章に品格を感じるこの記事に非常に感銘を受けました。ずっと継続購読してきた自分に悔いなし!さすが天下の日経ビジネスと感じさせる内容でした。

【筆者からの回答】
 恐れ入ります。ただもし筆者が誤解していたらお詫びしますが,後半の「文章に品格を感じる」というのはひょっとして皮肉でしょうか。IBMが本当に復活したかどうかについては稿を改めて書きたいと思います。

=もっと署名入りの記事を=
 記事は書き手のバイアスがかかるものだと,頭では了解していても,新聞を筆頭に数紙を比較するのは日々の生活の中では難しい。谷島委員の記事のように,記者諸氏に,「基本」の徹底を期待するしかない。ただ,どのメディアの記者が,「基本」を徹底しているかを知るのは難しく,これからは記事に記者名入りの記事が増加することを望みます。

【筆者からの回答】
 最近知ったのですが,数年前に経済同友会が出した提言の中に,かなり本質的なマスコミ批判があり,そこでも署名原稿の増加と第三者機関の設置が指摘されていました。マスコミ批判は経済界の総意と言えます。

=読者の視点で書け=
 おもしろくなかった。記者の視点が,記者だから。記者は読者の視点で,読者の内包する疑問や興味に触れてほしい。

【筆者からの回答】
 ご指摘の通りです。マスコミ問題は当事者なので,つい自分の視点になっておりました。通常の記事では,読者の方の疑問や興味を追究します。

=マスコミの検証機能が不可欠=
 記事の主旨は自戒も含めて立派と思います。あえて言えば,第三者機関で記事の信憑性をチェックできる機能があればもっと自浄作用が働くでしょう。この検証という機能はどこでも持っていますよ。持っていないのはマスコミと政治と大学と銀行でしょうか。

【筆者からの回答】
 政治と大学と銀行についてはコメントを控えます。最後になりますが,筆者はこのWebページに「誤報の検証」というコーナーを作りました。かつて日本IBMの社長人事で大誤報をやらかしたので,その経緯を公開しました(記事へ)。ただし読者からは,「反省が足りない」と叱られました。

(谷島 宣之=ビズテック局編集委員)