先ごろ総務省がまとめた統計によると,日本におけるDSL(Digital Subscriber Line)サービスの加入者数はこの5月末で300万人超となった。昨年末時点では150万超だったので,わずか5カ月で倍増したことになる。つまりここ最近の日本ではDSLの加入者数が,なんと1カ月に30万人,1日にして1万人のペースで増え続けているのである。

 こうしたことから最近は,「日本の驚くべきDSLの普及ぶりに米国が脅威を感じている」といった報道も見受けられるようになった。しかし筆者はその報道の趣旨とは別に,次のような疑問を抱いてしまった。「米国のDSLって日本のように盛り上がっているわけではないの?」---今回は米国のDSLサービス市場を巡る問題点について考えてみたい。

■日本よりも遅い普及速度

 DSLの導入に先べんをつけた米国である。米国でも当然に大変な勢いで普及が進んでいると思っていた。しかし,いろいろ調べてみるとそれが思いのほかそうでもないことが分かった。最近発表された調査結果では,絶対数としては2002年3月末で488万4827回線と日本よりもずっと高い水準にある(掲載記事)。しかし,今年第一四半期における新規加入者数は約54万人。つまり1カ月に約18万人で,伸び率としては日本を下回っているのだ。

 普及状況はどうか。先週のUS NEWS FLASHで,「米国家庭の62%がいまだダイヤルアップ接続であり,ケーブルTVインターネットは18%,DSLはわずか11%にとどまっている」という記事があった(関連記事)。また今年3月に掲載した別の記事では,「ダイヤルアップが80%」(関連記事)という調査結果もある。米国ではケーブルTVが広く行き渡っているので,ケーブルTVインターネットがDSLの2倍近くになるのは納得がいく。しかし,いまだにダイヤルアップがこれだけ多いということについては,いささか驚きである。

 その直接的な原因は,米国でのDSLサービスの料金が高いことにある。平均月額料金は51.82ドルと言われている。最近,円高が進んできたが1ドル120円とすると約6200円である。日本でのADSL料金の倍近い金額だ。

 米国メディアの報道を見ると,「DSLサービス事業者は今,ダイヤルアップ・ユーザーをDSLに移行させるべく懸命になっている」とも伝えられているが,それがなかなかうまくいっていないのが現状のようである(掲載記事)。

 その理由の一つとして,米NorthPoint Communicationsといった大手DSLサービス事業者の相次ぐ破綻も考えられる。しかし最大の原因は,「ILEC」と呼ばれる地域通信事業者に課せられた規制と,それにまつわる市場環境にあると言われているのである。

■既存地域通信事業者に課せられた規制

 このILECは米国の通信市場で大きな力を持っている。DSLサービス市場で90%近くのシェアを持っているのもILECなのである(関連記事)。ここで少しILECについて説明しよう。ILEC(incumbent local exchange carrier)とは既存地域通信事業者のこと。米国の地域通信事業者を分類する一つの呼び名である。具体的にはILECは旧AT&Tから分離・分割したベル系地域通信事業者(BOC:Bell operating company)といった旧来の地域地域通信事業者を指す。

 そしてこのBOCを統括する持株会社(RHC:regional holding company)として現在四つの大手が存在する。SBC Communications社,Verizon Communications社,Bell South社,Qwest Communications社である(注1)。この4社はILECの代表的な企業とされ,米国の通信業界で巨大な力を持っているのである。

注1:BOCは当初7社あったが,1996年に成立した新たな電気通信法(米国通信改革法)以降,Bell South社以外の各社で合併・買収が行われ,今では合計4社となっている。Bell Atlantic社は1997年にNynex社を買収,2000年には長距離通信事業者のGTE社と合併し,Verizon Communicationsに社名を変えている。SBC Communications社(旧名:South Western Bell)は1997年にPacific Telesis社を買収,1999年にAmeritech社と合併した。US WEST社は,2000年に長距離通信事業者のQwest Communications社に買収された。

 このILECは,1996年の米国通信改革法で特別な規制を課せられるようになった。それは「ILECが,長距離通話サービスを提供するためには営業区域内での地域通信市場を競争相手に開放しなければならない」というものであった。それまで,ILECは長距離音声/データ通信事業を,長距離通信事業者は地域通信事業を行うことはできなかったのである。米政府はこの新法を導入することにより,地域・長距離間の垣根を取り払い,それそれの市場における自由競争を促したのである。

 ところが,ILECは米政府の意図する通りには動かなかった。ILECは自社のネットワーク施設の開放にあまり乗り気ではなかったのである。とりわけ地方でそれが顕著だっため,DSLが地方都市にまで広がることはなかった。その要因は,自社のネットワークを開放する際のリース料金が政府によって決められていることにあった。ILECにしてみれば,既存の音声通信施設ならまだしも,新たに膨大な投資が必要となるDSL施設を,長距離通信事業者やCLEC(注2)と呼ばれる競合相手に開放したのでは採算がとれなくなってしまうからである。

 しかもDSLはILECにとって新しい市場である。既存音声通信と違って,その投資回収が約束されたものでもない。ここはむしろDSLへの投資もせずに,自前ネット施設の開放もしない,と決め込んでしまった方が得策と判断したのである。かくして「地域網を開放せよ,さらば長距離音声/データ通信を与えられん」という政府のインセンティブは機能しなかったのである(掲載記事)。

 先にも述べたが,ILECは米国の通信市場における勢力は大きい。それが地方のDSLサービスを展開しない。さらに都市部では,競合者に開放しなければならないので,せっかく投資した施設の回収がままならない,という状態になっている。こうしたことから,米国のDSLサービスは,料金が高くなり,サービスが貧弱となった。その結果顧客の不満も多い。また地方にも行き渡らない,という状況が生まれているのである。

注2:CLEC(competitive local exchange carrier=競争的地域通信事業者)。ILECに対抗すべく1990年代に新規参入した通信事業者。CLECは,ILECのネットワークとの相互接続やアンバンドル(網機能の細分化して販売)による通信サービスを提供している。CLECには前述のNorthPoint Communications社や,やはりDSLサービスを提供している米Covad Communicationsがある(Covad Communications社はその親会社が破綻に追い込まれたが,子会社である同社はその後もDSLサービス事業を継続して行っている)。一方長距離通信事業者はIXC(inter-exchange carrier)と呼ばれている。こちらには,AT&T社,米Worldcom社,Sprint社などが有名

■ケーブル事業者との均衡な市場環境を求めるILEC

 しかし,ILECももちろんDSL事業のビジネス機会はつかみたいと考えているようである。ILECは長年のあいだケーブルTVインターネット事業者とのあいだに起こっている市場機会の不均衡さを訴え続けてきた。今度はこれについて見てみよう。

 ご存じの通りケーブルTVはビデオ・コンテンツの配信事業である。このことから当初は,ケーブルTV回線を介して提供されるケーブルTVインターネット・サービスもそのサービスの一環とみなされ,それが“通信サービス”という範疇にあるか否かということはあまり問題視されていなかった。通信サービスとは明確に決められていないことから,当然にケーブルTVインターネット事業者は,ILECのような施設開放義務を課せられていないのである(注3)

 しかしこの状況は,AT&T社が大規模なケーブル事業への参入を果たした1998年ごろから変わってきた(AT&T社は1998年にTCIを買収,Time Warner社と提携し,1999年にはもう一つのケーブルTV会社のMediaOne社を買収した)。AT&T社のこの動きをきっかけにILECの反発が広がったのである。

 このときのILECの主張は次のようなものだった。「ケーブルTVインターネット・サービスは,ケーブルTV事業者が提供する“データ通信サービス”である。電話回線とは媒体こそ異なるものの,ユーザーにとっては同じ広帯域通信サービスに変わりがない。同じ市場で競い合っているプレーヤー同士で一方だけが厳しい規制を課せられているのはおかしい」

 この問題を巡っては,しばらく両者のあいだでもめていたのだが,今年3月に一応の決着がついた。FCC(米連邦通信員会)が「ケーブルTVインターネット・サービスは通信サービスではなく“情報サービス”」という判断を示した。これによってケーブルTVインターネット事業者は通信法による開放規制から免除されたのである。ただしこのことで,Verizon Communications社をはじめとするILECがワシントン連邦控訴裁に提訴しており,通信業界では今でもこのときの余波が残っている。(掲載記事)。

注3:AOL Time Warner社は,そのケーブルTV施設の競合者への開放を義務づけられている。しかしこれは,旧AOL(America Online)社とTime Warner社の合併条件として盛り込まれていたもので,ケーブル業界全体に適用される規制ではない。

■規制緩和が消費者に悪影響を及ぼす

 こうしたなか,米国では今,ILECに課せられている規制を緩和しようという動きがある。ILECの長距離データ通信だけは規制の範囲外とし,ILECもケーブルTVインターネット事業者と同様に開放義務を負わせないようにする。こうすることでDSLサービスを普及させよう,という考えなのである。ちなみにこのことを提案した法案(「Tauzin-Dingell法案」と呼ばれている)はすでに下院で可決されている。またFCCも2001年1月にMicael Powell委員長が就任して以来,こうした規制緩和に向けた政策に移行しつつあると言われている。

 しかし,こうした法案が施行された場合に不利になるのが,Covad Communications社のようなCLECである。ILECがCLECのような競合者に施設の開放を行わなくなるからである。この法案やFCCの新政策は,直接的にCLECをDSL市場から締め出すことになる,と危惧されている。

 消費者団体は,「寡占状態がさらに拡大し,消費者の選択の自由が奪われる。今も高いサービス料金がさらに高くなる」と反発の声を上げている。もちろんNorthPoint Communications社の施設を買収してDSL市場に参入したAT&T社も反対するものと考えられている。

■真の解決策とは? 消費者とFCCの考える自由競争には隔たりが

 さまざまな資料を読んでみて分かったことがある。それは,「FCCが新たに目指している自由競争政策とは,ILECとケーブルTVインターネット事業者のあいだにおける競争環境の均衡だけを目指したもの」ということである。つまり,「たとえILEC,CLEC,IXC(長距離事業者)といった通信事業者間の自由競争が阻害されても,それはいたしかたない。通信事業者での競争を犠牲にしても,ケーブルTVインターネット事業者とのあいだで均衡を保てればよい」というもののように思えるのである。

 「これはあくまでも妥協策であり真の解決策ではない」と考えるは筆者だけではないだろう。では真の解決策とはどういうものなのだろうか? これについてCNET.News.comに読者が意見を寄せているので,最後にこれを紹介しよう。

 「Tauzin-Dingell法案もFCCの取り組みも広帯域サービスの普及促進には役立たない。ILECとケーブルTVインターネット事業者からなる“複占市場”が誕生するだけ。これを解決するには,(ILECの開放に加え)ケーブルTVインターネット事業者の開放も義務づければよい。2大勢力が競う合う市場よりも,数十社の企業が競い合う市場の方が消費者にとってよい」(メリーランド州マンチェスターのKevin W. Brown氏)

 絶対数ではまだ米国のDSLユーザーの方が多いものの,日本が追い越すのは時間の問題である。米国が底力を出して,巻き返しに出られるのか。それともケーブルTVインターネット優位のまま広帯域サービスが拡大していくのか。その鍵は米国の消費者が握っているのかもしれない。