国内に潜むテロリストの影に怯(おび)える米国で,National ID導入を巡る論争が巻き起こっている。これは日本でいえば,「国民総背番号制」や昨今の「住民基本台帳ネットワーク」と似たようなシステムである。この手の制度が,物議をかもすのは万国共通の現象と言ってよいだろう。

 世論調査機関Pew Research Centerが同時テロ直後に実施した調査によれば,米国民の70%がNational IDの導入を支持したという。この一方でプライバシ擁護団体を始めとした様々な市民団体が,「政府が個人情報を悪用する恐れがある」として反対している。

 IT業界の中でNational ID導入を強く訴えているのが,米Oracle会長のLarry Ellison氏である。「もし政府にNational IDを導入する気があるなら,そのためのソフトを無償で提供してもいい」とまで言っている。周囲では,「ゆくゆくはOracleのデータベース・システムの普及につながるから,(Ellison氏の行動は)当然だ」と冷やかな目で見ている。

「テロを防げなかったのは,個人情報を一元管理できていなかったからだ」

 Ellison氏自身は「National IDを導入する必要はない。私が言いたいのは,複数の政府機関にまたがった個人情報を一元管理する必要がある,ということだ。たとえば現存する,Social Security Card(米国の社会保障制度に伴って発行されるカード)をICカード化して,ここに国民の基本的個人情報を集結させればよい」と主張している。しかし,これは事実上「National IDの導入」と同じことなのだ。問題はNational ID cardといった新しいカードを導入するかどうかにあるのではなく,「複数の個人情報を一元管理するかどうか」という点にある。その呼び名は,実際のところ,どうでもいいことなのだ。

 Ellison氏によれば,9月11日の事件が起きたのは,米国内の個人情報を一元管理するシステムが整備されていなかったせいだ。フロリダ州の警察,FBI,さらには米移民局など様々な政府機関が持つデータベースは,お互いに連携していない。このせいでテロリストの個人情報を素早く正確につかむことができず,まんまと彼らの搭乗を許してしまった,というのだ。

 Ellison氏の分析が正しいかどうかは別として,彼の主張が,ある程度の説得力を持っていることは否めない。National IDや国民背番号のような一つの番号をポンと入力するだけで,その人間の履歴,すなわち過去の犯罪記録から何から,ずらずらとディスプレイに表示される,というのは,FBIや警察にしてみれば,実に魅力的なアイデアである。今現在は,容疑者の過去の足取りをつかむのに四苦八苦というのが実情だからだ。

国家にはどこまでの情報管理が許されるのか

 問題は,仮にNational IDを導入するとして,これにどこまで多くの情報を盛り込むか,という点にある。Ellison氏が主張するように,これには当然ICカード(米国ではSmart Cardなどと呼ばれる)のような,先進のデジタル・カードが採用されるだろう。

 ここには,運転免許証や社会保障番号(SSC),市役所の住民票(米国にはないが)といった公共情報から,クレジット・カード,銀行口座,定期券,飛行機会社のマイレージ情報など商用情報まで,ありとあらゆる個人情報をつめこむことができる。もし警察など政府機関が容疑者の行動を徹底的に追跡するつもりなら,こうしたすべての情報を一枚のカード(一元的データベース)で管理することにもつながる。

 人間の心理として,上記のような情報が別々に,それぞれ独立した行政機関や企業に握られる分には,それほど抵抗感がないようだ。実際,我々は今,そうした状況に慣れ切っている。ところが,これらがまとめて一つの組織(政府,国家)に握られるとなると,まるで自分の行動が誰かに逐一追跡されているような,「気味の悪さ」を感じる。自分の背後に,いつも誰かがいるような気分になるのだ。

 結局,「多少不便でも構わないから,個人情報は色々なデータベースに脈絡なく分散していた方がいい」というのが,我々の正直な感想かもしれない。

民主主義国家のあるべき情報管理体制が議論の焦点

 世界を見渡すと,ドイツ,フランス,ベルギー,スペインを始め欧州では,National IDを採用している国が圧倒的に多い。欧州は米国に比べ,プライバシの保護が厳重であると言われる。すなわち企業が消費者の個人情報を簡単に集めたり,使ったりできない制度になっている。こうした企業に代わって,政府が様々な個人情報を管理するために,National IDが導入されたのだ。「物は考えよう」とは,まさにこのことである。かたや米国では,「政府に個人情報を管理させると危ない」と言っているのに,かたや欧州では「危ないからこそ,政府に管理させましょう」という考え方なのだ。

 米国の現代史を振り返ると,警察やCIA,FBIなど公権力が市民生活に不当に介入する,といったケースが何度かあった。冷戦が始まった当時のマカーシズム(いわゆる「赤狩り」のための国民監視体制)や,公民権運動時に見られた警察の激しい盗聴活動などがそれにあたる。こうした歴史があるだけに,政府の情報管理に対する根強い不信感が米国民の心に残っているのかもしれない。

 もちろん,こうした歴史は米国だけにとどまらない。第2次世界大戦下のドイツや日本では,政府がもっとひどいことをしていた。しかし当時の両国は,事実上,絶対主義国家だった。National IDにまつわる論争は,非常時における民主主義国家の情報管理体制を問い直しているのだ。