世界中のマスコミを騒がせた噂の「ジンジャー(Ginger,別名“IT”ともいう)」の実体が見えてきた。日本でもテレビ朝日のニュース・ステーションをはじめ数々のメディアが報じているので(私自身も新聞や雑誌,WWWサイトなどに,何度か書いている),ご存知の読者も多かろうが,まず冒頭でこれまでの経緯を簡単に振り返っておこう。もっとも,これまで実体が分からなかった「ジンジャー」だけに,噂レベルの話が少なくないことを予め断っておく。

 「ジンジャー」とは米国の発明家であるディーン・カーメン氏(Dean Kamen,49歳)が開発を進めているハイテク乗り物である。この謎の発明について,メディアを飛び交う評判はさまざま。「空を飛ぶスクーター」「現代社会を根本的に変革する凄い物」「インターネットを凌駕する世紀の大発明」「低温核融合技術を使っているらしい」「カーメンはエジソンを超える天才だ」。

 はては,IT業界の大物が「パソコンを超える発明」「これほど凄い商品なら,売るのに苦労することはあるまい」と賞賛した・・・。とにかく,にわかには信じられないような噂が広がった。

 そのジンジャーが,噂の域から一歩踏みだそうとしている。

 ジンジャー報道には,ある種の「胡散(うさん)臭さ」がつきまといがちだ。まず情報の火元は,ジンジャーについて書かれた本の売り込み状(プロポーザル)だった。この本自体は,著者でジャーナリストであるスティーブ・ケンパー氏が,カーメン氏へのインタビューなどをまとめたもの。ケンパー氏がそれを出版社に売りこむために書いた文書を,Inside.comというネット・メディア(雑誌も出している)のP. J. マーク記者が入手し最初に報じた(ウワサは2000年初頭からIT業界に流れていたという)。

 Inside.comの報道によれば,この「何だか得体の知れない発明物(ジンジャーのこと)」に関する本に,米国の大手出版社HBSPが25万ドルもの前払い金で出版契約を結んだという。

 「これは凄い!」ということで,CNN,NBC,ABC,ニューヨーク・タイムズからワシントン・ポストまで,1月9日に後追い記事を載せた。米国を代表する,そうそうたるメディアが大々的に報じたので,またまた「これは凄い!」の連鎖反応が起こった。数日後には,日本をはじめとするアジア,欧州,さらに南米までを含め,世界中のメディアが「得体の知れないジンジャー」のニュースを流し,一大ニュースになってしまった。

 しかし最初に述べたように,もともとの情報は「本の売り込み状」。そして本当に,「IT業界の大物(米アップルのジョブス氏や米Amazon.comのベゾス氏の名前が挙がる)が賛辞を贈ったのか」,あるいは「出版社が大金を支払ったのか」などについては,裏をとった記者は誰一人いない。いずれのメディアも,Inside.comの報道を引用しただけなのだ。結局,Inside.comに端を発した一種の噂が,さらなる噂を呼んでウイルス的に世界中に広がった。

 Inside.comのマーク記者は,「私はカーメン氏に会っていない。全ては売り込み状に基づいている」と認める。しかし,すでに噂は一人歩きして収拾がつかないところにまで広がっている。マーク氏は自らの記事が話題になった後に,CNNをはじめ多くのテレビ番組の取材に応じ,ジンジャーの広告塔のような存在になった。これによってジャーナリストとしての信用に傷がついたのではないかと,最近では後悔しているといわれる。

 発明者であるカーメン氏の姿勢も,謎を呼ぶ理由の一因にもなった。同氏は,いっさいジンジャーに関する取材には応じない方針を貫いているのだ。

 ただ「60ミニッツII」という有名な報道番組の取材には応じ,彼の人となりをカメラがとらた。カーメン氏はニューヨーク州ロングアイランドの生まれ。若い頃から発明家として頭角を現し,コンパクトな腎臓透析装置の発明で巨万の富を得た。あり余るお金を使って,ニューイングランドの浜辺に巨大な邸宅を建てたほか,コネティカット州の沖合いにあるノース・ダンプリング島に基地を構えている。

 彼はこの島に独自の憲法,国歌を制定し,米海軍から旧式の戦艦を譲り受けて,独自の海軍まで作ってしまった(60ミニッツIIのカメラは,戦艦に乗り,風に髪をなぶらすカーメン氏を映し出した)。カーメン氏は,別荘からジェット機とヘリを乗り継いでニューハンプシャーに創設したDEKA Research and Development Corp.(http://www.dekaresearch.com/)に通勤する。

 さて,この辺から世紀の発明の話が怪しくなる。まずInside.comのマーク記者は,本の売り込み状から一番威勢の良い個所だけを抜き取って,記事に載せたことが最近になってわかった。実際のオリジナルの売り込み状は,けっこう正直に「ジンジャー」の実体を紹介している。

 それによれば,ジョブス氏はジンジャーのデザインを「最低」とけなし,「優雅さも革新性もない」と語った。片やベゾス氏は,「米国では絶対売れないよ」と語り,シンガポールで売るように勧めたという。「これだけの物なら売るのにも苦労すまい」と彼が言ったのは,どうやら「シンガポール」を想定していたらしい(ただし,なぜシンガポールでなら売れるとベゾス氏が考えたのかは定かではない)。

 いずれにしても,発明者のカーメン氏がベゾス氏やジョブス氏に会って,投資を依頼したのは事実のようだ。ちなみにAamzon.comでは今年1月末から,ジンジャーの予約注文を取り始めている。説明書きにはこうある。「Sorry, price information not yet available, as product remains unknown.」。

 本の売り込み状にはさらに,ジンジャーの試作機に試乗した大学生の体験談も紹介している。それによれば,大学生はジンジャーに乗って怪我をした後,「まともに操作することさえできない最低の乗り物」とこき下ろしたという。

 興醒めの話は,さらに続く。

 大富豪であるはずのカーメン氏は,実は資金繰りに困っている。DEKA研究員への給料を支払うために,大邸宅や秘密基地を抵当に入れて金を借りたという。ケンパー氏の本は共著という形になるから,売れれば印税の一部はカーメン氏の懐に入る。資金繰りに腐心している彼自身も,今回の噂作りに一枚噛んでいるのではと勘ぐりたくなるが,カーメン氏はきっぱりと否定している。

 ただカーメン氏の名誉のために断っておくと,彼が立派な発明家であることは間違いない。前述の腎臓透析装置は全世界で患者のために役立っているし,もうすぐ発売予定の「Iボット」と呼ぶ万能車椅子は,階段を上ったり,障害物をまたいで越えたりする発明物だ。

 ジンジャーも製品化されるときには,ちゃんと操作できる,まともな製品として登場するだろう。しかし,世界を変えたり,空を飛んだりするような代物ではない。動力に水素系燃料電池を採用した,公害の少ないスクーターと考えてほぼ間違いない。

 それにしても,そもそもジンジャー騒動とはいったい何だったのだろうか。針小棒大に話を拡大したメディアと,薄々それと知りつつ楽しんでいる現代人の姿が,改めて明らかになったということなのだろうか。メディアに身を置く者として,少々後味の悪い出来事といえそうだ。

(小林 雅一=ジャーナリスト,ニューヨーク在住,masakobayashi@netzero.net

■著者紹介:(こばやし まさかず)
1963年,群馬県生まれ。85年東京大学物理学科卒。同大大学院を経て,87年に総合電機メーカーに入社。その後,技術専門誌記者を経て,93年に米国留学。ボストン大学でマスコミの学位を取得後,ニューヨークで記者活動を再開。著書に「スーパー・スターがメディアから消える日----米国で見たIT革命の真実とは」(PHP研究所,2000年)がある。