貨幣経済から原始的なバーター(物々交換)経済へ。そんな動きがインターネットで本格化し始めている。インターネットで,音楽ソフトやビデオを中心とした娯楽商品の海賊版(不法コピー)が流通していることは周知の事実だが,それを支援する強力なファイル交換ソフトが普及し始め,ハリウッドや音楽業界の関係者を慌てさせている。

 ことの起こりは,シリコンバレーの新興企業Napster社が1999年に開始した音楽ファイル交換サービスである。同社が無料で提供するソフトを使うと,自分の欲しい楽曲を持っている誰かをインターネット経由で探し当て,相手からそれを貰うことができる。その代わり,自分も誰かの欲しがっている曲を提供しなければならない。ネットを使ったバーター・コミュニティの誕生である。こうした楽曲ファイルの大半は,著名アーティストの音楽CDから無断でコピーしたもの。当然ながら著作権法違反である。

 しかし問題は,「誰が法を犯しているのか?」ということだ。事態の核心はそこにあるのだが,それを以下で説明する。

 米レコード産業協会(RIAA)は99年12月に,Napster社を著作権法違反の疑いで提訴し,巨額の損害賠償を請求した。これに続いてハードロック・バンドの大御所Metallicaも同社を告訴し,これで一気に世間の関心を集めることとなった。この後の展開を理解するには,96年に改定された米国の著作権法(Digital Millennium Copyright Act: DMCA)について若干触れておく必要がある。

 DMCAには,インターネットのサービス・プロバイダを著作権問題から守る「保護規定」がある。簡単に言うと,「インターネットで海賊版を流通させるのは,海賊版を作った当人が悪い。それを結果的に流してしまったプロバイダには,何の罪もない」という規定で,音楽業界に起訴されたNapster社がよりどころとしている。すなわち,「自分たちはファイル交換サービスを提供するプロバイダに過ぎない。著作権法を犯しているのは,実際に海賊版を作った個人ユーザであって,我々ではない」という訳だ。

 ただしサービス・プロバイダ(この場合はNapster社)が,この保護規定の適用を 受けるには,一つの条件がある。すなわち,海賊版の被害を受けたとされる団体や個人が海賊版の排除を求めた場合に,プロバイダは速やかに要求に応じなければならない。MetallicaはNapster社を訴えた直後の4月,判決が下るまでの応急措置として,自分たちの音楽を無断でバーターしている3万人の「悪質ユーザ」を,同社のサービス・リストから削除すように要求した。

 Napster社はMetallicaの要求に応じ,5月初旬に悪質ユーザたちをリストから除外した。これによって彼らは,一時的にバーター・コミュニティから締め出されたのである。しかし事件は,ここからsurreal(超現実的)な様相を呈してくるのである。

 DMCAの定めでは,いったんサービス・プロバイダから締め出されたユーザ(被告側)は,抗議文(Appeal)を原告側(この場合はMetallica)に提出することができる。これを受けたMetallicaは,どうしても海賊版を取り締まりたいのなら,今度はNapster社ではなく,海賊版を作った個人ユーザを告訴しなければならない。それをしないと,法の定めによりNapster社は抗議文の提出から10日以内に,「悪質ユーザ」たちをサービス・リストに戻さなければならない。

 驚くべきことに(というか呆れたことに),リストから弾き出された3万人が揃いも揃って抗議文を提出し,「私は海賊版を作ったことはありません。Metallicaの訴えは何かの間違いです」と主張したのだ。

 これに対し,Metallicaに何ができるか。実は何もできないのである。いかに著名なロック・バンドとはいえ,一人ひとりを対象に3万件もの訴訟は起こせない。それが予想できたから,3万人のユーザ全員が抗議文を提出したのだ(恐らく背後に誰か,まとめ役がいると思われるが・・・)。結局,法の定めによって5月中には,リストから締め出されたユーザは復帰することになる。そして裁判の判決が下るまで,音楽の物々交換は野放しとなるのだ。

 判決の行方だが,これはNapster社の敗色が濃厚である。DMCAの保護規定が適用されるのは,米America Online(AOL)など正当なプロバイダに限定され,Napster社のように不法コピーの物々交換を前提とするサービスは対象外というのが,常識的な見解だ。しかし,これによって音楽業界が一息つけるかというと,そう簡単にことは運ばない。Napster社以上に強力なファイル交換ソフトが普及し始めているからだ。

 なかでも注目を浴びているのが,AOL社傘下の企業に勤めるプログラマが半ば個人的趣味から作成したとされる「Gnutella」というツール。NapsterとGnutellaの違いは,前者がサーバを中心とした中央集権型のサービスであるのに対し,後者は完全な分散型ということだ。つまり欲しい音楽ファイルの「ありか」をつきとめるために,Napsterでは同社のサーバに記録されたデータベースを参照しなければならないが,Gnutellaではその必要がない。完全に個人対個人によるファイルの物々交換ができる。

 この結果,責任を追及できる企業を特定できないことになる。したがって,Metallicaのようなバンドが不法コピーを取り締まりたいなら,本当に数万人から数十万人の個人ユーザを告訴しなければならない。

 Gnutellaのもう一つの特徴は,音楽ファイル(MP3)だけでなく,写真からビデオ,文書まで,あらゆる形式のファイルを交換できるということ。これに慌てふためいているのが,ハリウッドを中心とする映画産業である。確かにハリウッド関係者は,インターネットによって既得権を侵害される恐れがあることを従来から認識していた。しかし,そうした事態が本格化するまでには,まだ相当の時間的余裕があると踏んでいたのだ。それは現在の通信速度が,ビデオのような大量データを流すには遅すぎると判断してのことだった。

 ところが技術の進歩は,彼らの予想を上回った。たとえば,米Microsoftが99年に発表したMPEG-4をベースにしたデータ圧縮技術とT1回線を組み合わせれば,90分の映画を1分以内にダウンロードできる。このような通信インフラの劇的改善と,Gnutellaのような手軽なファイル交換ツールの出現が相まって,映画ビデオの物々交換が一挙に現実味を帯びてきた。

 音楽業界や映画業界が法廷闘争に訴えて,どのように抵抗しようと,いったん始まったバーター経済への流れは止められないとみられる。それでは業界はどうしたらいのか。対策としては,娯楽商品の値段を劇的に下げるしかないようだ。そうすれ,手間ひまかけて海賊版を捜し求める人はいなくなる。しかし,そこまで下げるには,業界の大幅なリストラが不可欠だ。

 関係者が震撼している理由がお分かり頂けるだろう。

(小林雅一=ジャーナリスト,ニューヨーク在住,masakobayashi@netzero.net