コンピュータは人間の五感に,どこまで迫れるのだろうか?

 既にパソコンに接続されたディスプレイとスピーカーを通して,われわれは物を見たり音を聴くことができる。この視覚,聴覚に次ぐ第3の感覚として,嗅覚(匂い)がコンピュータに取りこまれようとしている。

 カリフォルニア州オークランドの新興企業DigiScentsはこの9月11日にニューヨークで,パソコンから匂いを発生させるための装置「iSmell」のデモンストレーションを行った。直方体の小さく薄い箱がパソコンに接続されている。ディスプレイにオレンジ・ジュースやバナナが映し出されると,確かにその箱から果物の甘い香りが漂ってくる。あるいは画面に魔女が現れ,火を焚いて魔術をかけると,焦げ臭い匂いがする。

 といっても,コンピューターが本当に「匂い」を出す化学分子を作れるはずがない。匂いの素は,iSmellボックスのなかの「匂いカートリッジ」に蓄えられている。これはちょうど,プリンターのインク・カートリッジのようなもの。ここに128種類の「基本匂い分子」が用意されている。パソコンが,様々な匂いを構成する基本分子の組み合わせをデータ化し,これをiSmellボックスに送る。そのデータに基づいて,複数の分子を組み合わせ,狙った匂いを作り出す仕掛けだ。

 「基本匂い分子」の数が多ければ多いほど,微妙な匂いの違いを正確にかもし出すことができるが,今のところ128種類で十分という。匂いを分解してデジタル化したり,逆にそれを再構成するソフトも,同社が開発した。

 画期的な発案だが,使い道があるのだろうか?

 DigiScents社は最大の用途として,電子商取引(EC)を挙げる。たとえば香水業者がインターネット経由で商品を売る場合に,どうしても香りを消費者に伝えたい。あるいはレストランがネットで注文を取る際に,料理の匂いを伝える。さらにまた,映画ビデオなどをインターネットで流すときに,食事の風景から匂いが漂ってくれば,臨場感が増す。このように,限りないアプリケーションが考えられる,という。

 DigiScents社を創設したJoel Bellenson氏は,「匂い」が日常生活において非常に大切な要素でありながら,今まで余りにも軽視されてきたと指摘する。「われわれが普段,味覚としてとらえているものの95%が実は嗅覚からきている。風邪をひいて鼻の調子が悪いときに,食事がマズイのはそのせいだ」とBellenson氏は語る。

 iSmellには既に,米Procter & Gambleをはじめとした有力企業が関心を示しており,共同研究を行う契約を交わしたという。DigiScentsは自ら商品を製造する代わりに,他の企業に技術をライセンス供与することで利益を上げる方針だ。最初の商品はゲーム機メーカーが製造する予定である。これは来年早々にも出荷されるという。

 Bellenson氏はiSmellの延長線上に,匂いを記録するデジタル・カメラも考えている。外界のイメージだけでなく,匂いも取りこむデジタル・カメラやビデオ・カメラだ。これらの試作機は,90年代初頭に米国の研究機関が開発済みという。これが実用化され普及すれば,匂いのあるビデオがインターネットに出回る。サイバースペースが現実空間にぐっと近づくことになる。

(小林雅一=ジャーナリスト,ニューヨーク在住,masakobayashi@netzero.net