アテネ・オリンピックのテレビ放送を見ていたら,前例のない厳しいセキュリティ体制が敷かれていたことに気づいただろう。テレビには,警備員や兵士,港をパトロールする武装哨戒艇や潜水隊員が映っていた。しかし画面に映らない部分には,もっと厳しいセキュリティ体制が敷かれていた。報道機関向け資料によると,1250台の赤外線および高解像度の監視カメラがコンクリートの支柱に取り付けられていたそうだ。監視カメラ以外からも,さまざまなセンサーで監視用のデータが収集されていた。センサーは,監視船12隻,車両4000台,ヘリコプタ9機,移動命令センター4台,飛行船1機――に搭載されていたという。収集されていたのは映像だけではない。マイクを使って会話も収集していた。収集した会話は,音声認識ソフトウエアでテキスト・データに変換されていた。そして,高度なパターン・マッチング機能を持つソフトウエアが,テキスト・データ中の“怪しいパターン”を検索した。オリンピックの警備に携わった人員は7万人。オリンピック出場者1人当たり7人のセキュリティ要員がいたことになる。観客76人当たり1人という計算だ。

 ギリシャ政府は,オリンピック期間中,15億ドルをセキュリティに費やしたらしい。しかしながら,おびただしい数の警備員や費やした金額の多さは強い印象を残したものの,そのお金は有効に使われたのだろうか。いろいろな意味で,オリンピックのセキュリティから,今後米国における日常生活がどうなるのかを推し量ることができる。アテネ・オリンピックがセキュリティの試験運用だとすれば,オリンピックで使われたセキュリティ・システムがどの程度うまく機能したのかを検証することは有益だ。

 残念ながら,検証は簡単ではない。報道資料は公開されているが,詳細は伏せられたままだ。例えば,SAIC(米Science Applications International)がオリンピックのために大規模な電子監視システムを開発したことは分かっているが,うまく機能したかどうかについてはSAICの発表を信じるしかない。今のところ,SAICはなかなかうまくやっているようだ。SAICは国家安全保障局(NSA)の電子盗聴システム「ECHELON」の構築に関与した企業の1社なので,おそらく何らかの“秘密のノウハウ”を持っているのだろう。しかし,SAICの監視システムが,怪しい会話や物体をどの程度うまく発見できるのか,どの程度間違った警告を出すかについては,全く見当がつかない。

 オリンピックにおいてセキュリティ・システムがどれほど機能したのか,その内情を調べることはできない。しかし,実際に起こった事件などから,垣間見ることはできる。

 英国の新聞Sunday Mirror紙の記者は,セキュリティに関するあらゆる問題をレポートしてくれた。まず,この記者はある英国企業に運転手として雇われた。紹介状など提出せず,正式な面接や身元調査も受けずに,彼はすぐメイン・スタジアムへの出入りを許可された。記者の運転するバンは入念な検査を受けることが1回もなかったので,何でも持ち込めることが分かった。そこで爆弾に似せた3個の包みを仕掛けたが,いずれも発見されなかった。さらに彼は,開会式典の最中,十人ほどの国家首脳から60フィート(約18m)の地点に近づくこともできた。

 こんな出来事もあった。バレリーナ用のチュチュと道化靴を履いた男が,水泳の飛び込み台になんとかよじ登ってプールに飛び込むことに成功した。彼は,係員につまみ出されるまでの数分間,泳ぎまわることができた。この男は,妻にメッセージを送るために飛び込み台に登ったと主張したが,オンライン・ギャンブルのWebサイト名が胸に印刷された服を着ていたので宣伝目的だったようだ。

 オリンピックの最終日には,男子マラソンのトップを走っていたブラジル人ランナーが,ゴールまでわずか数マイルの地点(約35km地点)で,アイルランドの民族衣装を着て乱入してきた男に,コースから沿道の観客のなかへ押し出されてしまった。結果的にこの選手は3位になった。彼と後続のランナーとの差はこの事件前に縮まりつつあったが,この事件が彼にどれほど大きな悪影響を及ぼしたかについては何ともいえない。

 これら3つの事件は極端な例だが,この種のイベント会場でのセキュリティに関する重要な問題を浮き彫りにしている。悪さを企んでいる単独犯の行動を防ぐことはまず不可能という問題だ。監視カメラや盗聴装置が何台あろうと関係ない。身分証明書の確認係や銃を持った警備員を大勢雇っても防げない。何十億ドル費やしても防げないのだ。

 単独の狙撃者や爆弾犯は,常に群衆に紛れ込んでいる。

 ただしこのことは,警備員や監視カメラが役に立たないという意味ではない。限界があるということだ。費用対効果を考えれば,警備員や監視カメラにかける費用はわずかでよい。たくさん費用をかけても,そのほとんどは無駄になる。

 より大きな効果を得るには,15億ドルのほとんどを非常事態が発生した場合の対応策と諜報活動に費やせばよかった。諜報活動は,テロ対抗策としては極めて有効な手段であり,テロリストが企んでいる計画の内容にかかわらず役に立つ。オリンピックと無関係なテロ計画にも効果がある。非常事態対応策も有益だ。テロリストがどんなテロを計画していようとも,テロをいつ起こそうとも――オリンピックの開幕前や期間中,終了後のいずれに起こそうとも――効果がある。

 今年のオリンピックでは,セキュリティ関連の大きな事件は起こらなかった。結果として,セキュリティ対策を請け負った人たちは,15億ドルがセキュリティ確保に無駄ではなかったと証明できたので,今後そのことを宣伝材料にするだろう。オリンピックで分かったことは,セキュリティにお金をかければ,15億ドルなんてあっという間に消費してしまうということだ。オリンピックは閉幕し,関係者や観客が帰国した今,これだけの費用をかけたのに世界は安全になっていない。これは恥ずべきことだ。なぜなら,この15億ドルを正しく使えば,多くのセキュリティ対策を世界中で実施できたからだ。

ニュース記事:
http://www.cnn.com/2004/TECH/08/10/...
http://www.elecdesign.com/Articles/ArticleID/8484/...
http://cryptome.org/nyt-athens.htm
http://www.smh.com.au/olympics/articles/2004/07/27/...
http://www.news24.com/News24/Olympics2004/...

オリンピック開催期間中、Sydney Morning Heraldに掲載されたオリジナル記事:
http://smh.com.au/articles/2004/08/25/...

Copyright (c) 2004 by Bruce Schneier.


◆オリジナル記事「Security at the Olympics」
「CRYPTO-GRAM September 15, 2004」
「CRYPTO-GRAM September 15, 2004」日本語訳ページ
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◆この記事は,Bruce Schneier氏の許可を得て,同氏が執筆および発行するフリーのニュース・レター「CRYPTO-GRAM」の記事を抜粋して日本語化したものです。
◆オリジナルの記事は,「Crypto-Gram Back Issues」でお読みいただけます。CRYPTO-GRAMの購読は「Crypto-Gram Newsletter」のページから申し込めます。
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◆Bruce Schneier氏は米Counterpane Internet Securityの創業者およびCTO(最高技術責任者)です。Counterpane Internet Securityはセキュリティ監視の専業ベンダーであり,国内ではインテック コミュニケーションズと提携し,監視サービス「EINS/MSS+」を提供しています。