7月27日の爆弾騒ぎは,現在の危うい状況でセキュリティを確保する方法について,大切な教訓を与えてくれる。そのなかには,よい教訓も悪い教訓も含まれる。問題の騒ぎは,シドニー発ロサンゼルス行きの米United Airlinesの旅客機内で起こった。離陸してから90分後,客室乗務員が「BOB」と書かれた(おそらく未使用の)汚物袋をトイレで見つけたのだ。発見した客室乗務員は,BOBを「Bomb On Board」(爆弾を仕掛けた)の意味だと考え,すぐ機長に報告した。機長は見過ごせないと判断し,シドニーに引き返すことにした。

 少し考えれば,この対応が,存在しない脅威への過剰反応であることが分かるだろう。「Bob」は,「babe on board」(赤ん坊が搭乗中)や「best on board」(乗客のなかで一番の美男/美女)といった意味で,旅客機の乗務員がよく使う隠語である。例えば「座席番号7Aに座っているBobを見て」などと使う。さらにUnited Airlines社では,米国内の一部の路線でBobを「Buy on Board」――食事の無料サービスはない。有料で提供する――という意味でも使っている。いずれでなかったとしても,「BOB」を名前と考えてもよさそうなものだ。誰かが袋に名前を書いて,トイレに置き忘れた可能性は否定できない。「BOB」という汚物袋の走り書きにはさまざまな解釈があり得るのに,この旅客機のこの袋のBOBに限って「『Bomb On Board』の意味に違いない」とどうして判断したのだろう?

 さらに,なぜ機長まで同意したのか?

 セキュリティは,それに携わる人々が責任を負っているときに最もよく機能する。この件で救いになったのは,シドニーに戻るという最終判断を機長が下した点だ。緊急着陸で発生する10万ドルの経費を心配しそうなUnited Airlines社の役員に任せなくてよかったと思う。機長は旅客機を預かっている。目的地変更で生ずる不都合と,乗客の命(および自分自身の命)に対するリスクを,はかりにかけるのに最適な人物だ。

 我々のセキュリティ・システムがコンピュータ・ベースとなり,柔軟性のないポリシーで運用されるケースが増えるほど,セキュリティの最前線にいる人々は怠け者になる。空港のセキュリティ・ゲートでは,コンピュータが要注意人物を選ぶようになってきた。ロビーを見回っていた優秀な警備員は,写真付きIDカードをぼんやりとチェックする,経験の少ない従業員と入れ替わってしまった。今回の話は,セキュリティ・システムの正しい設計方法を反面教師として教えてくれる。

 ただし,機長と乗務員にセキュリティ上の重要な判断を期待するなら,適切な訓練をしておく必要がある。汚物入れを見つけた乗務員は,理屈で考えず,恐怖心で対応してしまった。そして,その恐怖が機長に伝染し,不適切な判断を下した。

 恐怖がセキュリティを高めることはありえない。誤った警告に対する過剰反応を引き起こすだけだ。恐怖によって,対策にかかる費用は増え続け,市民の自由に対する締め付けは強まるが,セキュリティに関する見返りはない。恐怖は本当の脅威を隠してしまう。

 汚物袋に決定的な3文字を書いた人物について,オーストラリア運輸/地域サービス省大臣のJohn Anderson氏は,「いずれにせよ無責任で,恐ろしくわがままな愚か者」と評した。何に対して無責任だったのか?自分の名前を書いたからか?よく使われる客室乗務員の隠語を有名にしてしまったからか?この3文字を書いた人物は悪くない。悪いのは,落書きに反応した人たちだ。

 我々は不安な時代に生きているので,恐怖は理性より大きくなりやすい。しかし,不安な時代だからこそ,理性を保つことが重要なのだ。オーストラリア首相のJohn Howard氏は,発端となった乗務員たちの迅速な対応,まじめな職務態度,優れた観察能力を称賛した。申し訳ないが,この乗務員たちに称賛される資格があるとは到底思えない。乗務員たちは,恐怖心で対応するような役割を無理やり演じさせられただけだ。それというのも,乗務員たちがセキュリティの状況――つまり,リスク,対策,トレードオフ――を理性的に判断する方法について適切な訓練を受けていなかったためだ。機長たちがもっと冷静で賢明だったなら,違う結果になっていただろう。

 残念ながら,恐怖は恐怖を呼び,人々に疑心暗鬼を抱かせる。この騒ぎのせいで,世界中のいかれた連中は「国際線を着陸させるには,汚物袋に“BOB”と書きさえすればよい」ということに気づいてしまった。いずれにしろ,こんな結果は誰も望んでいなかったはずだ。

http://www.foxnews.com/story/0,2933,127109,00.html
http://www.heraldsun.news.com.au/common/story_page/...

Sydney Morning Heraldに掲載されたオリジナル記事:
http://www.smh.com.au/articles/2004/08/02/...

Copyright (c) 2004 by Bruce Schneier.


◆オリジナル記事「BOB on Board」
「CRYPTO-GRAM August 15, 2004」
「CRYPTO-GRAM August 15, 2004」日本語訳ページ
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◆この記事は,Bruce Schneier氏の許可を得て,同氏が執筆および発行するフリーのニュース・レター「CRYPTO-GRAM」の記事を抜粋して日本語化したものです。
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