国家セキュリティは今まさにホットな政治テーマだ。というのも,共和党と民主党の大統領候補のどちらが,国家の安全を守るのに適任なのかを判断しなければならないからだ。

 大規模で金のかかる政府の取り組みの多く――航空機の搭乗者向け経歴調査システム「CAPPS II」,入国する外国人の指紋を採取する「US-VISIT」プログラム,研究開発段階にあるさまざまなデータ・マイニング・プログラム――が,セキュリティの向上に必要なものとして実行されている。

 物議を醸した「愛国者法(Patriot Act)」の条項の多くが失効する2005年末には,大勢の議員がこうした条項を恒久化しようと考えるだろう。その結果,セキュリティのために自由を犠牲にすること再び求められることになる。

 セキュリティ専門家である私は,セキュリティ対策に関する議論から重要な論点が抜け落ちていると考えている。さまざまなセキュリティ対策方法について話し合い,そのなかから最もセキュリティを高められる方法を見つけ出すことは大切だ。だが,それだけでは問題の半分しか解決できない。セキュリティだけではなく,コストも重要だからだ。セキュリティはつねにトレード・オフである。「このセキュリティ対策には実施するだけの価値があるのか?」ということが考えるべき問題なのだ。

 この問題は,米国人,そして世界に暮らす一市民として,セキュリティを得るためにお金を払っている“消費者”の我々自身が考えるべき問題なのだ。賢い消費者がお金の最も有効な使い道をよくよく考えるように,セキュリティの消費者である我々もよく考える必要がある。現在提案されている,あるいは導入済みのセキュリティ対策の多くは,膨大なお金がかかる。お金がそれほどかからないセキュリティ対策であっても,利便性やプライバシ,市民の自由,基本的な権利といった,お金以外のコストを負担する必要がある。コストを負担する消費者として我々は,支払うコストに応じた最高のセキュリティを得る必要がある。

 例えばイラクに対する侵攻は,国家セキュリティのための重要な行動のひとつだ。おそらく,国家セキュリティのために重要な行動であったことは事実だろうが,セキュリティについて語るだけでは,議論としては半分に過ぎない。イラク侵攻に米国は膨大な予算をつぎ込んできた。金額は1000億ドルを超えており,現在も増え続けている。米国人の犠牲者も600人以上で,これもまた増える一方だ。国際世論も無視できない問題といえる。ここに解決すべき疑問がある。「これまでのやり方は,こうしたコストに見合う最良の方法だったのか? セキュリティの消費者である我々は,1000億ドル以上の資金,600人以上の犠牲者,その他もろもろのコストに値する最高のセキュリティを得られたのだろうか?」

 仮に最高のセキュリティを得られたのなら,我々は正しい行動をしたことになる。だが,そうでなければ,間違いを犯したのだ。たとえイラクの解放が観念的には良いことだとしても,世界のほかの場所を対象とした,もっと賢いお金の使い道があったのではないだろうか。人命や善意を生かす方法があったのではないだろうか。