【 第3回 】フューチャーシステムコンサルティング・金丸社長,
起業経験からソフト技術者に告ぐ


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 当時,金丸さんはプロジェクト・リーダーですね。

金丸 私が受注も全部自分でやって,受注してきた仕事をハードウエアのエンジニアとソフトウエアのエンジニアでチームを作りまして,しかも量産もしなきゃいけなかったもんですから,協力会社の工場の人たちと交渉する。それから,私以外に部品調達のチームがいまして,価格も厳しかったもんですから,その1品1品を私がお手伝いをして,メモリーやCPU,ディスプレイの値段を,メーカーさんに出向いて自分でやったんです。

 今おっしゃっているのは,約3000店に導入する店舗システムの話ですよね。

金丸 そうです。

 ハードウエアとソフトウエア両方ということですね。

金丸 ええ。ハードウエアと,マイクロソフトのMS-DOSと,その上で動くアプリケーション一式ですよね。それを7人ぐらいのチームで,ハードウエアも設計して,ソフトウエアも作って。アプリケーションは違う方にお願いするということだったんですけれども,始めてみたら,その期間にとてもできないということで,「じゃあ,やってくれ」ということに。それができないと動かないもんですから,それもやったんですけどね。今考えても,絶対できないと思いますよ。

 若かったからできた?

金丸 若かったからできた。何も知らないからできたんだと。だから,「知っているからできる」ということではないと僕は思うんですね。でも,日本のお客様は必ず実績を聞くんですよ。実績を聞く限り,イノベーションというのは起きないですよね。イノベーションというのは実績がないからイノベーションというわけで。それの採用実績を確認してから,日本人というか,日本企業は採用するわけでしょう,とくに大企業は。そうしたら,それは陳腐化しているかもしれないですよね。

 今のお話の中で,「ドアを開けてもらうには情熱が必要だ」ということですが,多くのベンチャーは情熱を持っていると思います。どこが違うんでしょうか。

金丸 どうなんですかね。それは何とも言えないですね。私のパートナーだった人は今,セブン-イレブンのCIO(情報戦略統括役員)ですから,その方に聞いてもらったほうがいいと思うんですけど。でも,僕は会社のサラリーマンだったかもしれませんけれども,自分でサラリーマンだと思って仕事をしていたわけじゃありません。仕事としてやってなかったわけですよ。例えば,「何が何でもセブン-イレブンさんから受注しなさい」とか言われていたわけでもないですし,数字のノルマを達成できないがためにきゅうきゅうとしている存在でもなかった。だから,既存のシステムを拝見したときも,これは出番がものすごくあると思って見ていたわけで。ですから,それまでの既存のメーカーさんは「大手といってもその程度のものしか作れないんだ」ということは,もう目の前にあったわけで。ある意味で大変だったかもしれないけれども,チャンスは見いだしていたような気がしますね。

 これもセブン-イレブンに聞かないと分かりませんが,採用されたときの決め手になったのは,やはり技術力なんでしょうか。それとも,プロジェクト・マネジメント能力なんでしょうか。金丸さんご自身では何だとお考えですか。

金丸 ドアを開けていただいてから実際の注文をいただくまで,1年以上かかっているわけです。実際の仕事は情報分析用の店舗パソコンの開発だったんですけれども,それ以外にもセブン-イレブンには困っていることがいっぱいおありで,「こういうことをこうしたい」という案件がたくさんあったんですね。そのときに「何かアイデアがないか」と言われると,自分の会社の仕事の範ちゅうに入る入らないとか,自分自身の仕事の責任範囲なんて一切考えなくて,四六時中,私もお客様以上に考えたんですよ。「何かないかな」ということで,違うコンビニエンス・ストアにも行ってみたり,それから,もちろんセブン-イレブンさんの店舗にも,とにかくいつでもどこかでお店を見つけると入ったりしていましたから。

困ったときに役立った過去の経験

 そういう中で,私は一番はアイデアだと思うんですね。2番目は,多分,実現性について裏づけになるようなロジカルな説明ができることでしょう。私は単なる情熱だけでなく,ロジカルに説明するように心がけていました。だから,「頼んだら,やってくれそうな気」は,先方もその時点ではあったと思うんですね。外部からご覧になると,ベンチャーといっても非常に技術力が高そうな会社だったし。その中で,私も,若いといえども,TKCで勉強してきた財務会計であるとか,フランチャイズ会計が役にたちました。コンビニエンス・ストアというのはフランチャイズの業界なので,フランチャイズ会計という知識もなきゃいけないんです。僕が単なる一介の技術者だったら,「フランチャイズ会計,分かる?」と言われたときに,「いや,分かりません」とか不安そうになると思うんですけれども,それも自分の知識の中にすでにあった。B/S(貸借対照表)とP/L(損益計算書)にも慣れていたわけでしょう。マイクロプロセッサもやっていわけで。

 セブン-イレブンでのお仕事の話を聞いていると,創業当時の鈴木さん(現・会長)にインタビューしたときの話を思い出します。システム開発におけるメーカーとの間には同じようなやり取りがあったようです。さて,それから,金丸さんは89年にフューチャーシステムコンサルティングを起業したわけですが,そこに至る経緯を改めてお聞かせ下さい。

金丸 85年というのは,私が31歳で,セブン-イレブンさんの仕事では5月末に第1号機を納めさせていただきました。その秋には,一方で,NTTさんが民営化になるというときの1番目か2番目の案件だと思いますけれども,今も存在するNTT PCコミュニケーションズを合弁で設立するという交渉の窓口も私がやっていたんですね。そういう意味で,その85年にNTTのいろんな子会社群ができた中で,おそらく最年少の役員をさせてもらったと思うんです。そういうわけで,プロジェクト・リーダーから,経営の勉強といいますか,経営陣の一端を担わせていただいて。

 実は88年に,今度はNTTやトヨタ自動車,それからロジック・システムズ・インターナショナルで,ジョイント・ベンチャーを作るんですけれども,ここの取締役もやっていたんですね。ところが,88年は33歳ですけれども,もともと我々の業界は起業が早くて,コンピュータ業界の友人たちや,マイクロソフトの古川氏や成毛氏からは,(彼らもその当時は会長でも社長でもなかったんですけれども),いずれ私が何かやるに違いないというふうに見ていただいたし,それから,社内の仲間からもそういう目で見てもらっていて。ただ,私も,今申し上げたように,セブン-イレブンの仕事をさせてもらったり,NTTとジョイベンを作ったりということで,割と刺激の多い時間を過ごしていましたので,そんなに不満はなかったんですよね。

 ただ,いろんなことをやってきたんですけれども,そろそろ・・・。今申し上げた経験は,会社がすでにあって,その中の一員としてやっていたわけですから,全部が全部,私の手柄でも実力でも何でもないわけで,ゼロから自分の腕試しというんですかね,実力試しというのをやってみたいと思っていたんですよ。88年に,私が参画した最後のジョイント・ベンチャーができたときに,「独立したい」ということを社長と牛尾治朗会長に申し上げたら,「とんでもない」ということで,それで新たなる宿題が出て,「その宿題をクリアしたらいいよ」ということで。