今をさかのぼること約3年前の夏。記者は某携帯電話事業者の社長にインタビューする機会を得た。取材も終わりに近づいたとき,当時いくつかの事業者が始めていた無線LANサービスを話題に振りつつ,記者は準備していた質問を投げかけた。「例えば山手線圏内に限定して無線LANのカバーエリアにすると,無線IP電話サービスが可能になり,携帯電話のライバルとなるのでは」――

 ライブドアが東京・山手線圏内の80%を面的にカバーする公衆無線LANサービス「D-cubic」を10月から開始する(関連記事1関連記事2関連記事3)。海外でも,米国アリゾナ州テンペ市や台湾・台北市などで「面展開型」の無線LANサービスが始まっている。

 日経コミュニケーションは,無線LANの面展開が「ホットスポット型」が主流だった無線LANサービスに一石を投じるものととらえ,「大都市をくまなくカバーせよ~世界で始まった無線LANの『面展開』」という特集記事を7月15日号に掲載する。「網路新都」と呼ぶサービスを一部地域で始めた台北市にも取材し,無線LANサービスの最新事情に迫った記事である。ご興味のある方はぜひお読みいただきたい。

面展開すれど無線IP電話はまだ先

 さて冒頭の質問をしたのは,無線LANが面的にエリアをカバーすれば,携帯電話に良く似た電話機を使った「無線IP電話」を街中で利用できるのではないかと考えたからだ。無線IP電話なら,話し相手によっては通話のたびに料金が発生しない。携帯電話事業者にとっては脅威になるかもしれない。

 しかし記者の質問を,社長は一笑に付している。「100mくらいしか電波が届かない無線LANでどうやってカバーしますか。数千億円かければできますが,そこまでやりますか」――。無線LANでは,携帯電話並みのエリア・カバーやローミング(複数のアクセス・ポイントを設置した無線LAN環境で,接続先のアクセス・ポイントを切り替えながら移動すること)は難しいことを指摘。携帯電話に対抗するサービスにはならないと断言している。

 ライブドアのD-cubicは,面展開してもカバー率は80%。アクセス・ポイントのローミングも想定していないという。このままでは携帯電話のように,エリア内ならどこでも移動中も利用できるサービスを提供することは難しい。ライブドアはD-cubicの発表会で端末の一つとして「無線IP電話機」を陳列していたものの,「現時点では具体的な計画はない」という。

 面展開型ではなくホットスポット型の無線LANサービスを提供する事業者に聞いても,ほとんどの事業者が無線IP電話サービスの提供には及び腰だ。ある事業者は「電話サービスというと,どうしても携帯電話と比較される。携帯電話並みの使い勝手を実現できない現在,サービス提供は難しい」と明かす。

 さらに無線IP電話が電話サービスとして不可欠な電話番号を取得することも難しい。IP電話用の電話番号である「050」番号を事業者が取得するには,端末までの通話品質など厳しい基準をクリアする必要があるからだ。

 実は今回の取材で,050番号を使う無線IP電話サービスを検討している事業者に行き当たった。この事業者はスポット型の公衆無線LANを提供中。企業などをターゲットに,無線IP電話を社外でも使えるサービスを検討している。無線IP電話の事業性を評価しつつも,サービス提供には必ずしもエリアの面展開は必要ないとの考えを示した。

そもそも面展開にニーズはない?

 現在ホットスポット型の無線LANサービスを提供する事業者などからは,「面展開のニーズがそもそもあるのか」という声が上がっている。現在の利用状況から見て,ユーザーの生活動線をカバーすればサービスとしては十分で,コストをかけてでも面的にエリアをカバーする意味がないのではないかというのだ。

 実際,ノート・パソコンを無線LANにつないで通信する用途では,パソコンを開けるのは喫茶店や電車を待つ駅の構内などがほとんど。既にこれらのエリアは他の無線LANサービスが提供している。確かにノート・パソコンを使う用途に限定すれば,今後の発展はあまり見込めない。

 面展開のメリットを打ち出すには,従来のノート・パソコンとは異なる,無線LANを内蔵した端末が必要になるだろう。例えばゲーム機や大容量のデータを扱うデジタル・カメラなどに無線LAN機能を搭載することが考えられる。こうした新しい無線LAN端末が,街中のどこでも通信できる面展開型無線LANサービスと結びつくことで,新しい利用シーンが生まれる可能性がある。

公衆無線LANの起爆剤となるか

 今回,無線LANサービスを展開している通信事業者数社に取材したが,事業としては,あまり景気の良い話を聞けなかった。ある事業者は現時点で赤字だと明かしたほど。サービス開始から数年たつが,まだ事業としては成長過程にあるようだ。

 こうした状況が,面展開が契機となり新たなフェーズに入ることも考えられる。例えばホットスポット型と面展開型の無線LANサービスが相互に接続すれば,ユーザーの利便性を高められる。6月のD-cubicの発表の後,無線LANとWiMAXを組み合わせた無線ブロードバンド・サービスの発表(関連記事)など,公衆無線LANサービスを取り巻く環境があわただしくなってきたという状況もある。

 面展開型サービスが無線LANサービスの起爆剤になるか,無線LANの一方式として終わるのか――。各社が提供するサービスを含め,今後を見守りたい。

 ここまで読んでいただいた方に,最後にもう一つ紹介を。本稿で書いた公衆無線LANにかかわる最新情報を,本日(7月11日)から5日間にわたり,日経コミュニケーションがIT Pro上で連載する。題して「『面展開』した公衆無線LANの真価を問う」。その第1回が「『525円で山手線圏内カバー』,ライブドアは起爆剤になる?」である。これらの記事は日経コミュニケーションの購読者でなくてもお読みいただける。ぜひ連載を5日間通しでご覧いただき,各記事へのご意見など頂戴できれば幸いである。

(松本 敏明=日経コミュニケーション)