最近,動かないコンピュータが,単なる開発や運用を巡るトラブルにとどまらず,新聞紙面に踊る危険な「事件」となることが増えている。今回のフォーラムでは,こうした危険な動かないコンピュータをどうすれば減らせるのかを考えてみたい。

「事件」になる動かないコンピュータ

 残念なことだが,システムの開発が難航することは珍しくない。何事もなく動いていたシステムが突然,障害で停止してしまうこともある。だが最近では,新聞に大きく掲載される「事件」となるケースが増えている。この記事を書いている間にも,次々とシステムにまつわるトラブルが報道されてきた。新聞の1面で見かけることも少なくない。記者は約10年にわたって,ITに関連した取材を続けてきたが,これだけ立て続けに,システムに関連した事件が新聞やテレビをにぎわした記憶はない。実例をいくつか紹介する。

 一番近いところでは,6月22日に,全国の原子力発電所の点検作業に関する内部情報が漏洩していた事実が報じられた。点検作業を請け負っていた,三菱電機の子会社である三菱電機プラントエンジニアリングの社員がこうした情報を個人のパソコンに保存していたところ,ファイル交換ソフトWinnyの利用者を対象とするウイルスに感染して,ネットに情報を流出させることになった。企業の業務システムが問題の原因ではないが,背景に情報管理の甘さがあったことは間違いない。

 同じ6月には,米国のマスターカードが,4000万件に達する個人情報が流出した可能性があったと発表した。情報はカード決済会社のカードシステムズ・ソリューションズのシステムに対する不正なアクセスによるものといわれる。マスターカードだけでなく,米ビザのカード利用者の個人情報が流出した可能性もあった。

 被害は米国だけにとどまらず,国内でもこれらのカード会社と提携しているカードの利用者の情報が流出していることが明らかになった。こうしたカードの所有者に対する,不正な請求があったことも明らかになっている。

 今年4月には,大手ウイルス対策ソフト・ベンダーのトレンドマイクロが配布したウイルス対策ソフトの定義ファイルに問題があり,このファイルをダウンロードしたパソコンに障害が発生する出来事があった。問題のある定義ファイルがダウンロードされたのはわずか1時間半である。この間に17万台を超すパソコンがこのファイルを読み込み,影響を受けた企業や個人は全国に及んだ。定義ファイルに対するテストの甘さが,こうした問題を招いた原因だった。

 同じ4月には,高速道路の料金所で事故が続発した。原因は,ETC(料金自動収受)システムの障害である。3月末で別納カードを使った割引制度を廃止したにもかかわらず,これを知らずに別納カードを使って,700台を超す自動車がETCレーンのバーと衝突する事態が起きた。なかには被害の程度が重いため,交通事故と扱いされたものもあった。

 同じ日には,別納割引制度の廃止に伴って,カード番号のシステム登録を実施したが,登録するデータ量がシステムの容量を超えていたため,一部の処理装置が異常終了し,9路線の13のインターチェンジでETCを使って走行することができなくなった。

SFの世界が現実に?

 こうした事件から記者が連想するのは古いSFの世界である。世界を連結するネットワークを経由してコンピュータ・ウイルスが広がり,さまざまなシステムが暴走を始める。現実の世界ではこうしたことは起こるはずはないと考えていたが,頻発するシステム関連の事件から,システムの暴走が社会に大混乱をもたらすという点では可能性がゼロとは言えないのではと感じてしまった。

 要は高度化・複雑化するシステムを制御して,大きな問題が起きるのを防ぐのは非常に難しいのではないかということである。

 「ユビキタス・コンピューティング」という言葉の広がりからも分かるように,ソフトウエアが生活のさまざまな部分に関係するようになってきた。かかわる範囲が増えるだけでなく,システムやソフトが社会に与える影響がどんどん大きくなっている。現実に「情報サービス産業は国の基幹産業になった」と自負するIT業界の人間も少なくない。

 日本では今年4月,個人情報保護法が施行された。個人にかかわる情報の管理が法と直結するようになった。大量のデータを処理するシステムの重要性はこの面からも高まっている。当然,システムに対する社会の関心はどんどん強くなっている。

 そして,「動かないコンピュータ」が危険なものになるにつれて,システムを開発したり提供したりする側が果たすべき責任は,より重いものになっている。

QCDにS(Safety)を加える

 こうした状況のなかで記者が考えるのは,「安全」なコンピュータという考えの必要性である。企画段階から,安全という要素を強く意識したうえで開発や運用を進め,提供形態を考えるべきではないか,ということだ。

 これは何も記者の独断ではない。最近お会いした何人かの方から,偶然ではあるがいくつものヒントをもらったことが,こう考えるようになったきっかけだ。