「コンピュータ技術者の定年は35歳前後」「システムズ・エンジニア(SE)のピークは30代半ば」。かねてよりコンピュータ業界では,こうした俗説が取りざたされてきた。最近ではSEとは言わず,IT技術者あるいはITプロフェッショナルと呼ぶようになったが「ITプロの寿命は35歳」という言い回しはあまり聞かない。

 SEほど有名ではないが,同じように「35歳にピークを迎える」と言われてきた職種がある。記者である。今から17,18年くらい前になろうか,先輩記者に「いい仕事ができるのは35歳前後のころ。それまでに1人でも多くの人と知り合いになっておくことだ」と教えられた。そのときは「35歳なんて随分先のことだ」と思ったものだが,あっという間にその年を過ぎ,今や40半ばになってしまった。現在,筆者の肩書きは記者ではなく編集委員となっている。要するに「ピークを過ぎた記者」のことであると勝手に解釈している。

体力,気力,知力,腕力

 ちょっと前,久方ぶりに本格的な記者活動をした。日経ビジネス5月16日号に掲載された特集記事「カード大混戦」の取材班に参加したのである。あちこちの企業に取材を申し込み,取材日程を調整し,インタビューをして情報を集め,それらを整理して特集の章立てを考え,担当した章を書き上げ,記事の中に出てくる数字や談話の事実関係を確認(裏をとる),所定のページに収まるように原稿の文字量を調整,校正紙を何回も読んで誤字脱字を訂正した。「本格的」とは,一連の作業をこなしたという意味である。

 本格的に記者活動をしたのはおそらく3年ぶりではなかったか。この間,主にインターネット上で相当な量の原稿を書いてきたが,書いたものの大半はコラムであって,記事ではないと認識している。コラムの場合,それを書くために取材を重ねるというよりは,長年蓄積してきた取材結果を基に,自分の考えらしきものをまとめることが多い。

 日経ビジネスの特集記事を書いた感想は「『記者の寿命35歳説』は案外正しい」という,はなはだ情けないものである。どんな仕事も同じだろうが,仕事をこなすためには,体力,気力,知力,腕力といった様々な力が必要になる。だが,ある種の力は30代を境にして確実に衰える。

 筆者の経験では,衰えてくるのは体力と気力であり,比較的変化しないのが知力と腕力である。体力については説明不要と思う。締め切りまでに原稿を完成させるためには,徹夜仕事でもこなせる体力が求められるが,40歳を過ぎると昔のようには徹夜できない。日経ビジネスの仕事で徹夜はしなかったし,大きな締め切り遅れも起こさなかった。ひょっとして自分が進化したのかと一瞬錯覚したが,よく考えると5月の連休を数日返上していた。連休がない時期に締め切りが来た場合,徹夜仕事になっていたかもしれない。

 体力減少はやむをえないとしても,問題は気力のほうである。先に書いた記者の一連の仕事は結構面倒なものであり,易きにつきかねない。取材の件数を絞ったり,電話をかけるだけにしたり,一次資料に当たらずインターネット検索で済ませたりする,といった誘惑がある。原稿を書くことも簡単ではないし,校正を綿密にやるためには相当な根気が必要だ。

 筆者の場合,インターネット上のコラムを書き続けていたので,原稿を書くこと自体は苦ではない。ただし,取材については若いときのようにやみ雲にすることはできなくなっている。なまじ場数を踏んでいるだけに「こことここを回れば,こんな話が聞けるはず」と先回りして考えてしまう。これは危険なことで,常に頭を白紙にして一から聞いていかないと間違える危険がある。しかし「一から聞く」には,ある種の気力が求められる。このあたりが「記者のピークは35歳」説の根拠なのではないか。

 一方,知力と腕力のほうは,年齢にあまり左右されないか,あるいは経験を積むにしたがって力が付いていくように思う。記者の知力とは,問題を設定する力,企画力を指す。これは通常の取材だけではなく,本を読むとか,自分自身でよく考えることによって身に付く力であり,年齢とは関係がない。ただし,同じテーマや業界を長期間取材していると段々と感覚が麻痺してしまい,多少のニュースでは驚かなくなる。筆者の場合「IBMのパソコン事業部門売却」がそうであった。産業史から見ると大きな話なのだろうが,長年,IBMを取材してきたためか,全く驚かなかった。これは記者として非常にまずいと反省している。

 腕力というのは変な表現だが,取材力や執筆力のことである。長年やっておれば,インタビューのときはそれなりに老獪になるし,執筆のときはなんとかして面白く書こうと考えてあの手この手を駆使できる。あまりよろしいことではないが,材料が乏しいときに,それなりの原稿に仕立て上げてしまう,というのも腕力と言える。腕力も日頃から鍛錬しておかないと段々落ちるのだろうが,ある程度まで鍛えておけばちょっと落ちたとしても,若手記者の上を行くことが可能である。

SEと記者の共通点

 唐突だが,記者の仕事とSEやITプロの仕事には共通点があると思う。締め切りが社会的に公開されることがある(サービスインの期日,雑誌発行日),成果物がハードウエアではない(仕様書やプログラム,原稿),最終顧客は不特定多数である(システムのエンドユーザー,読者),成果物の要件が曖昧なまま仕事を始めることがある(曖昧な仕様書,曖昧な企画書),「鶴の一声」がある(ユーザー企業のトップ,発行人や編集長),成果物は独りで作る(ペアプログラミングの場合でもプログラムを書くのは一人,複数人で特集記事を書く場合もある章は一人で書く),バグを完全に除去することは難しい(バグをゼロにするには時間とコストがかかる,誤字脱字はバグとは比較にならないほど発見が容易であるがそれでも残ってしまうことがある)。

 こうした共通点があるからかどうか,SEも記者も35歳定年説が取りざたされる。言い換えると将来のキャリア・パスが曖昧で,つぶしがきかない職業ということだ。通常の日本企業であれば,35歳ともなれば部下の面倒を見る管理職の仕事をするようになる。40歳を過ぎたら,大抵は管理職であろう。