「地上波のデジタル化」と聞いて,ほとんどの人は「テレビ放送のデジタル化」を思い浮かべるだろう。地上デジタルテレビ放送は東京・大阪・名古屋の三大都市圏をはじめとして各地でスタートしており,認知度も高まっている。

 その陰で忘れられがちなのがラジオ放送のデジタル化だ。既存のFMやAMのアナログラジオ放送を存続させたまま,新たにデジタルラジオ放送を開始するとの国の方針が既に決まっている。実現すればCD並みに品質が高い音声放送や,番組に関連した文字情報などを送るデータ放送,スタジオの収録風景などを映した動画放送が可能になる。受信機能を持つモバイル端末,特にデジタルラジオに対応した携帯電話が多く普及すると想定されており,モバイル・インターネットとの連携による新たなビジネス・チャンスへの期待も高まる。

 ラジオ関係者の期待が集まるデジタルラジオだが,この新市場を円滑に立ち上げられるのかどうか。放送政策を担う総務省の行政手腕が今,試されようとしている。

「危機感」で立ち上げ,「市場原理」で成長

 現在,総務省の「デジタル時代におけるラジオ放送の将来像に関する懇談会」(ラジオ懇談会)で,デジタルラジオの事業化に向けた具体的な検討が進められている。このラジオ懇談会に総務省が提示している事業化計画の骨子案が,本誌「日経ニューメディア」の取材で明らかになった。

 総務省の骨子案によると,まず2006年に全国で1社に先行して参入を認めるという。そのほかの事業者に門戸を開くのは2011年である。

 最初に参入を認められた1社は,東京と大阪,さらに混信の状況に応じて名古屋からサービスを開始する。そのほかの主要都市でも2008年までには放送を始める。総務省案によると,提供するのは全国サービスであり,それぞれの都市での放送内容は同じになる。具体的には,広告収入をベースにした無料の多チャンネル放送を各都市で提供する。

 先発事業者には,他社よりも先にリスナーやスポンサーを獲得し,サービス・ブランドを確立できるなどの先行者メリットがある。その半面,リスナーがほとんどいない状況のなかでもインフラを整備し,魅力的な番組を提供するなどして,初期の普及を推進する役割を担うことになる。先行投資のリスクは決して小さくない。

 このリスクを負うのは主に既存のアナログラジオ放送事業者になりそうだ。アナログラジオ放送各社には,長く続くラジオ広告市場の縮小を食い止めなければならないという危機感がある。「デジタルラジオ放送で新たなリスナーを獲得したい」という各社の共通認識が,初期の普及の原動力になる。アナログラジオ放送各社は先発事業者に共同で出資することで,リスクを分散させる見込みである。

 受信機の普及がある程度進んだと見込まれる2011年に,総務省は事業化計画を第2段階に移す。複数の事業者に参入を認め,競争原理によってデジタルラジオ放送市場を安定した成長軌道に乗せるとしている。家電メーカーといった大資本の企業が参入すれば,市場は一気に活性化するはずだ。総務省は,全国サービスを提供する事業者の参入を新たに認めるほか,関東や近畿などを放送エリアとする広域放送事業者,県域放送事業者が入り乱れた市場を形成したい考えである。

 総務省のラジオ懇談会は今回の骨子案をたたき台に,2005年春に事業化計画をまとめる。多くの企業の参入意欲をかき立てるような魅力的な計画の策定が求められる。

保護政策よりもユーザー利益の優先を

 総務省は当初,2006年に先行して1社にデジタルラジオの提供を認めるつもりはなかった。2011年に地上アナログテレビ放送が終了するのに伴い,その空いた帯域を使ってデジタルラジオを本格的に始めようとしていた。それまでは,東京と大阪で試験的に放送するにとどめる計画であった。だが,ラジオ放送業界から「2011年まで待たされてはモバイル端末向けデジタル放送の分野で,地上波テレビ放送事業者に後れを取る」と,早期開始を求める声が高まったことから,総務省は実現に向けて検討を進めていた。

 地上波テレビ放送事業者は2006年春に,携帯電話をはじめとするモバイル端末向けの地上デジタルテレビ放送を始めることにしている。ラジオ放送事業者がデジタルラジオの早期開始を求めていたのは,このモバイル向けテレビ放送をけん引役としてデジタルラジオ放送を普及させたいという思惑があるからだ。

 モバイル向けテレビ放送では,基幹放送である地上波テレビ放送の番組が見られる。そのモバイル向けテレビ放送との共用受信機が登場すれば,デジタルラジオ放送の普及が進むと期待している。メーカーが共用受信機を作りやすいように,デジタルラジオ放送にモバイル向けテレビ放送と同じ技術を多く取り入れるなど,規格面でも配慮している。共用受信機を普及させるためには,モバイル向けのテレビ放送に遅れることなく,デジタルラジオ放送のエリア展開を急ぐ必要があるというわけだ。

 ただデジタルラジオのけん引役としてモバイル向けのテレビ放送に期待する一方で,その陰にデジタルラジオが隠れてしまうことを恐れている。制度上,モバイル向けのテレビ放送では,通常の据え置き型テレビ向けのデジタル放送と同じ放送しか流せないことになっている。テレビ放送各社はこの規制を取り払い,モバイル向けに独自の番組を流せるように,総務省に制度改正を求めている。

 あるテレビ関係者は,「独自番組が認められればモバイル向けテレビ放送のけん引役としての力が強くなり,デジタルラジオ放送にもプラスになる」という。これに対してラジオ放送関係者は,「けん引役としての力には期待するが,独自番組まで可能になれば共存は図れない」と反論する。

 デジタル時代のテレビ放送とラジオ放送の両立に向けて,モバイル向けテレビ放送の独自番組を解禁するかどうか,総務省は難しい判断を迫られている。
 
 もっとも,両立を重視する余り,保護政策に走りすぎることは避けなければならない。放送関係者の思惑通りにモバイル向けテレビ放送の普及が進まないことも予想される。その際にデジタルラジオ放送の保護を優先しすぎて,独自番組解禁などの規制緩和措置をとらなければ,デジタルラジオ放送を含めてモバイル向けデジタル放送市場全体の立ち上げに失敗する恐れもある。状況によっては共存体制の構築よりも,利用者の利益のために市場の立ち上げを優先するといった柔軟な発想が求められる。

(吉野 次郎=日経ニューメディア)