いささか調子の悪い題名だが,本当に書きたいのは「日本が標準でリーダーシップを発揮する方法」についてである。当初はこの題名で書こうとしたものの,筆が進まなくなったので題名を取り替えてみた。否定的な論調のほうが書きやすいというのは記者の病であるがご了承いただきたい。

 一口に標準といっても色々ある。ある技術のインタフェースや規格に関する標準があれば,ISO9000に代表されるマネジメントの仕組みの標準もある。標準の策定者も様々である。公的な機関が定めた標準がある一方で,一部の企業や団体が決定権を持つ「業界標準(デファクト・スタンダード)」がある。

 標準がビジネスにもっとも寄与するのは,一社が自社の技術や仕組みをデファクト・スタンダードにできた時である。IT Proの読者の方には言うまでもないが,米マイクロソフトや米インテル,いわゆる「Wintel」が典型例と言える。Wintelはパソコン市場を彼らの技術によってコントロールできる「技術覇権」を長年にわたって維持し,しっかり利益を確保してきた。

 筆者は「日経ビズテック」という技術経営誌を作っているが,2月9日に発売した第5号において「技術覇権の構造」と題した特集を掲載した。Wintelを筆頭に,いくつかの技術領域における技術覇権の可能性や標準関連戦略を探ったものである。第5号においては,コンピュータ(Wintel),エレクトロニクス(光ディスクなど録画装置),バイオ(ゲノム解析),インターネット関連事業(音楽配信)を取り上げた。日経ビズテックは本来どんな技術分野も扱うのだが,今回はITとエレクトロニクスが中心になった。

「標準構築力」はあるか

 特集を作り終えた感想は「日本の標準構築力・標準活用力は実に弱い」というものである。標準構築力とはこの「記者の眼」のために作った言葉だが,技術や考え方を標準に仕立て上げ世界に広めることを指す。標準活用力とは標準を活かしてビジネスを成功させることである。

 日本の標準構築力はどの程度か。日経ビズテックの特集に関連して会った,経済産業省の横田真・産業技術環境局標準企画室長によれば「国際的な標準化機関には年間600前後の提案が出されるが,日本の提出数は40前後で貢献度は6~7%に過ぎない」という。

 パソコンをはじめとするITの領域における日本の標準構築力については説明不要と思う。マイクロソフト,インテル,IBM,SAP,オラクル,あるいはLinuxなどと書いているとしみじみしてくる。企業ではなく,IT関連の標準化団体を見ても,欧米勢が取り仕切っており,日本勢の出番はあまりない。

 IT以外に目を転じるとビデオや光ディスクといった録画装置においては日本が標準を作ってきた。問題は活用力であって,標準策定時にリーダーシップを発揮しているにもかかわらず,肝心のビジネスでは儲かっていない。Wintelのような利益をあげるのは無理としても,一連の技術開発投資を考えると,日本の電機メーカーにはもうちょっと稼がせてあげたくなる。

 携帯端末を含めた音楽配信ビジネスについても現在はアップルコンピュータの活躍ばかりが目立つ。ビジネスの世界とは異なるがヒトゲノムの解析において,日本の貢献度合いはわずか6%にとどまり,米国の59%,英国の31%に比べ見劣りする結果になった。そしてゲノム解析用装置は米国製品が標準になっている。

 マネジメントの仕組みの標準も,日本は欧米で決まったものを押しいただくばかりである。品質のISO9000,環境のISO14000に加え,最近ではプロジェクトマネジメント,リスクマネジメント,食品のトレーサビリティ,CSR(企業の社会的責任)といった分野のマネジメント標準が取りざたされている。米国のPMI(プロジェクトマネジメントインスティチュート)がまとめたプロジェクトマネジメントの知識体系PMBOKはもはや業界標準と言えるだろう。こうしたマネジメントの仕組みの標準は技術仕様の標準ほどの強制力はないが,企業間の取引条件に入れられてしまうと,いやがおうでも取り組まざるを得ない。

 断っておくが「日本生まれのマイクロプロセサと基本ソフトでマイクロソフトとインテルを打倒しよう」とか「欧米生まれのマネジメントシステム標準など無視し,日本は日本のやり方を進め,むしろ日本のやり方を世界の標準にしていこう」などと主張しているわけではない。ビジネスのために必要であればWintelの製品を使うべきだし,ISO9000にせよPMBOKにせよ,目的を明確にしておけば,導入する意味はある。すでに確立してしまった標準に真正面から勝負を挑むのは得策とは言えない。

 ただ日本として,もう少しは世界標準に関与しなければならないと考えている。世界のためでもあるが,日本のためでもあり,自社の,自分のためでもある。ここで「なぜ日本は標準でリーダーシップを発揮できないのか」あるいは「日本が標準でリーダーシップを発揮する方法」を思案しなければならない。