NHKの海老沢勝二会長が2005年1月25日に任期途中で辞任してから1カ月近くが経った。元プロデューサーによる制作費着服が明るみ出てからから,受信料の支払い拒否が増加。最終的には視聴者からの集中砲火を浴びて辞任に追い込まれた形だったため,その功績に目が向けられることはほとんどなかった。

グレー・ゾーンに挑む

 「後を継ぐ後輩たちの若い力を信じて託します」――。退任のあいさつで,海老沢前会長は道半ばで手を引くことになったNHK改革の継続に強い思いをにじませた。海老沢氏が会長に就任したのは1997年7月のことである。7年半の在任期間のうち,特に後半の2001年以降に腐心したのが,「通信と放送の融合」というメディア環境の変化に対応した新生NHKに脱皮することだった。

 それは民放事業者に対する挑戦とも受け取られた。NHKの業務は放送法で基本的に「放送」に限定されており,通信と放送が融合した分野は「灰色」の事業領域になる。NHKがインターネットとデジタル放送の連携サービスなどを始めれば,民放事業者から「民業圧迫」との批判は免れない。

 激論の末,総務省の「放送政策研究会」が「放送を補完する形でのインターネット関連事業を認める」などとする報告書を取りまとめたのは2001年12月。その後,海老沢前会長の下でNHKはデジタルテレビ向けのニュース配信サービスや,ブロードバンド回線を通じて家庭のテレビ向けにVOD(ビデオ・オン・デマンド)サービスを提供している事業者への番組供給など,矢継ぎ早にインターネット関連事業を展開した。

理想と現実の狭間で

 事業拡大を急ぐ海老沢前会長には,民放事業者からの「NHKがとどまることなく新サービスの拡張に走れば,民放とNHKによる健全な二元体制が崩れる」(日本民間放送連盟の日枝久会長)というような批判が最後までにつきまとった。その都度,NHKは「視聴者の情報環境を豊かにする」といった公共放送としての“使命”を強調することで,自らの拡大路線を正当化してきた。

 だがNHKがその高邁な使命感を強調するあまり,昨年の夏に発覚した元プロデューサーによるに制作費着服という事態との落差に,視聴者はあぜんとさせられたのかもしれない。

基本路線は継続,教訓は生かせるか

 公共放送としての使命感を事業拡大の原動力とする以上,それに応じて高い信頼感が求められるのはいうまでもない。しかし海老沢前会長は,インターネット関連事業へ展開する道筋を付ける一方,それを推進するために必要な視聴者との信頼関係を崩してしまった。

 海老沢氏の後を継いで会長に就いたのは橋本元一専務理事・技師長である。通信と放送の融合というメディア環境の変化に応じて事業拡大を目指すという前会長が敷いた基本路線は引き継ぐものとみられる。ブロードバンド・ユーザーにNHKが直接VOD用のコンテンツを配信することや,インターネット関連などの新規サービスの利用者から受信料以外の利用料を徴収できるようにすることなどを視野に入れているもようだ。

 それをどこまで実現できるかは,海老沢前会長が残した教訓を生かせるかどうかにかかっている。

(吉野 次郎=日経ニューメディア)