2004年10月に発生した新潟県中越地震,夏場に相次ぎ上陸した台風――。昨年は相次いで天災が日本を襲い,多くの企業が危機対応に迫られた。ほとんどの製造業が在庫を削減に取り組んでいる現在,ひとたび天災が起これば,情報網や物流が寸断されてサプライチェーンは停止しかねない。

 有事の際,ジャスト・イン・タイムといった在庫を極限まで減らす体制を敷いているメーカーはどのような影響を受け,どう対応したのか。日経情報ストラテジー2月号の緊急特集「新潟県中越地震,台風23号と闘ったサプライチェーンの底力」の取材のため,中越地震に被災した企業や,こうした企業から部品や資材の供給を受けている取引先を回った。

 経営者や陣頭指揮をとった方に震災直後の話を伺うと,とっさの「対応力」と「機動力」が問われたのだと痛感した。これは被災した企業だけでなく,被災企業から供給を受ける取引先にも共通していると言える。有事に備えて危機管理マニュアルを作っている企業も多いだろう。だが,いざ本番になると訓練していたときと状況が大きく異なることが多い。担当者のとっさの判断や,その判断に基づいた機動力がものをいう。

人事システムが安否確認システムに早変わり

 担当者の機転が効を奏したのがデンセイ・ラムダである。同社の本社は東京だが,主力工場は中越地震の被災地となった新潟県長岡市にある。
 管理本部長の熊沢壽氏は家族と都内で買い物中に,地震の第一報を受けた。すぐに本社に駆けつけて情報収集にあたったが,電話は通じない。地震直後には現地との連絡手段が完全に途絶えていたのだ。

 そのとき熊沢氏が思い出したのが,出退勤や人事情報を管理するシステムである。もともと,このシステムは災害を想定したものではないが,社員の安否確認に役立った。2年前から出退勤データを各拠点から本社のホスト・コンピュータに吸い上げていた。その結果,工場の全従業員307人のうち20数人が出勤していることが分かった。工場長が現場に駆けつける前に,東京本社で出勤状況を確認できたのだ。

 熊澤氏を含めた東京のスタッフは,従業員と家族の安否確認のため,つながりにくい電話のダイヤルを回し続けた。震災後の翌朝(10月24日)までに,工場の全従業員のうち半数の安全を確認できた。

 熊澤氏は同時並行して,長岡市内のホテルにも電話をかけ続けた。被災した従業員と家族のための部屋を確保するためだ。初動が早かったため,最初に電話がつながったホテルで,50室を2週間分確保した。熊澤氏は「翌日に手配していたのでは,ホテルを確保できなかっただろう」と振り返る。

 その後,情報システムのデータベースをみながら,ホテルの部屋を割り当てた。「被害の大きい地域に居住」「老人や小さな子供がいる」などの条件で従業員を並べ替えて,優先順位を付けていった。従業員を支援するだけでなく,工場復旧のために遠方からかけつける応援部隊が宿泊するのにも役立った。デンセイ・ラムダでは,熊澤氏を中心とした担当スタッフの機転が素早い行動につながり,被害を最小に食い止めた。

取引先支援のためにトラック2台分の機材と担当者7人を派遣

 地震直後の機動力が効果を発揮したのがヤマハ発動機である。ヤマハ発動機は,被災した日本精機から二輪車用のメーターを調達していた。日本精機に限らず,被災企業は復旧作業に必死でなかなか状況がつかめない。メーターの約8割を日本精機から調達しているヤマハ発動機にとって,日本精機の被災がそのまま自社の生産計画に大きく影響していくる。

 欲しい情報が入ってこなければ現地に行って収集するしかない――。ヤマハ発動機の意思決定は早かった。被災を受けた日本精機へ救援物資を積み込んだ10トン・トラック2台を出動させるだけでなく,金型の復旧や資材調達の担当者7人を派遣した。10トン・トラックには,食料など救援物資のほか,発電機や投光器など復旧用の道具が一式積み込まれていた。

 トラックは12時間かけて,26日早朝に現地に到着。派遣された担当者がいち早くラインの復旧状況を本社に報告した。どの機種がいつまで生産を継続できるのかといった今後の生産計画を策定する上で大いに役立った。

 いつどこで地震が起きてもおかしくない日本列島。自社や取引先が被災する可能性は否定できない。この際,デンセイ・ラムダやヤマハ発動機の事例に見られるように,とっさの「対応力」や「機動力」が大きくものをいう。いずれも,迅速に意思決定を下すことが大前提となる。このためには,リーダーシップを発揮する人材の育成や,判断材料を提供する情報システムの整備が欠かせない。

(西 雄大=日経情報ストラテジー)