OSIはどこへ

 昔話を書いているといくらでも書けるのでこの辺で打ち切り,オープンシステムに話を戻す。ワークステーション関連記事を別にすると,日経コンピュータでオープンシステムに関連する特集が登場するのは,1986年3月31日号の「実用化迫るOSI,各社の基本アーキテクチャに」からである。

 OSIと書くだけで,隔世の感がある。失礼ながらIT Proの若い読者の方々はOSIのことをご存じだろうか。OSIとは「オープンシステムインターコネクション」の略で確か「開放型システム間相互接続」と訳されていた。

 先に書いたように,当時はメインフレームとオフコン中心の時代であったので,ベンダーの異なるマシンの接続は切実なテーマの一つであった。たとえば1986年5月26日号には「異機種のコンピュータを接続,『マルチベンダー』の活用法」という特集が掲載されている。

 OSIは異機種間接続の切り札として注目されていた。日経コンピュータはその後もしつこく特集を組んでいる。1988年2月29日号には「OSI元年,異機種を接続する新時代の幕開く」という特集が載った。しかし元年からわずか2年後,1990年12月3日号には「マルチベンダー接続の切り札,”OSIの光と影”」という特集が掲載された。1990年の前後から,UNIXマシンのビジネス利用やTCP/IPの普及が本格的に進み,OSIの出番はなくなっていった。

 ここでまた脱線するが重要なことを書く。「○○新時代の幕開け」とぶちかましてから,しばらくして「○○の光と影」とか「○○の落とし穴」という特集を掲載するのは日経コンピュータのお家芸である。それぞれの時期の記者はベストを尽くしているのだが,結果としてこういうパターンに陥ることはしばしばあった。

「脱IBM」としてのUNIX

 さてマルチベンダー接続と並んで,昔から日経コンピュータの重要テーマであったのは,「脱IBM」であった。現在では信じられないことだが,1970代から80年代にかけてIBMは世界のコンピュータ市場の7割近くを握っていた。ハードや基本ソフトを含めた数字であるから,現在のマイクロソフト以上の独占ぶりであった。IBMの企業研究特集も数回組まれている。富士通や日立製作所といったメインフレーマとIBMとの闘いは,初期の日経コンピュータがもっとも大きく取り上げ,かつ深く追求したテーマである。

 「脱IBM」とは,IBMメインフレームによる集中処理に対抗することでもあった。このため分散処理が取りざたされた。日経コンピュータの特集を見てみると,1987年1月5日号「90年代のOSアーキテクチャTRONの挑戦」,1987年6月22日号「分散処理の旗手,DECがIBM王国を揺るがす」といった特集が「脱IBM」という大きな文脈にそって掲載されている。

 脱IBMの中で最大の有望株がUNIXであった。1990年10月8日号に「加速する“UNIXシフト”」という特集が掲載されているが,1990年の前後,まさしく日経コンピュータの特集はUNIXにシフトした。このあたりから「オープンシステム=UNIXによる分散処理」が暗黙の定義になっている。

 特集の表題を列挙してみよう。1988年12月5日号「2つのUNIX」(副題は「オープン・システムの旗印の下,異なる方向性示すAT&T,OSF両陣営」),1989年11月6日号「運用コストを抑制するダウンサイジングの潮流」,1991年10月7日号10周年記念特集ダウンサイジング「ホストなき世界の到来」(この特集の冒頭に,「思想 オープン・システムに基づく分散情報システム確立へ」とある),1991年12月16日号「見え始めたオープン化時代の分散処理環境」,1992年6月29日号「UNIX,ビジネス分野へ本格的に浸透し始める」,1992年12月14日号「機能で先行する現実解,迫りくるオープン化の波」(これは統合開発環境の特集)。

 90年代に入ると日経コンピュータに,クライアント/サーバーという言葉が登場する。UNIXのほかに,パソコンLANという選択肢も出てくる。1993年4月,当時の日経コンピュータの編集長は自ら「日経オープンシステム」(現・日経システム構築)を創刊し,新雑誌の編集長に異動した。この編集長の名言「オープンシステムとは『広いココロで作った情報システム』」は前回記者の眼で紹介した。

 資料室には日経オープンシステムのバックナンバーもあるのでながめてみた。創刊当時の一行説明文を見ると「WS・PC・LANによる情報システム構築・活用のための専門実務誌」とある。創刊前に出す準備号の特集はクライアント/サーバー,準備2号の特集はパソコンLANであった。
 
 創刊号(1993年4月号)の特集は「エンドユーザー・コンピューティング 使い手が作る業務情報システム」である。この特集を書いたのは,井上望記者と高橋信頼記者であり,井上は現在,IT Proの編集長を務めている。高橋はIT Proで主にオープンソース関連の記事を担当しており,昨年,もっともアクセスが多かった記者の眼「さらば巨大ブラウザ――Netscapeの失敗が生んだFirefoxの挑戦」の筆者でもある。

 1990年代の後半に入ると日経コンピュータの特集に変化が見える。さすがにUNIX一辺倒は薄れ,今度はインターネットとJavaに肩入れするようになった。1996年7月22日号に「Javaが走り出す」という特集が掲載されたのを皮切りに,日経コンピュータは「Javaとともに走り出し」,何回もJavaの特集を組んでいる。1999年10月25日号には「オープン・ソース時代の幕が開く」という特集も掲載された。

日経コンピュータとは何か

 以上,日経コンピュータが過去23年間掲載した特集のうち,オープンシステムあるいはオープンにかかわるものをざっと眺めてみた。正直言って,オープンシステムという言葉を厳密に定義して使っていたわけではない。ただIBMやマイクロソフトによる独占より多様な選択肢があったほうがよい,という考え方は一貫していたと思う。もちろんUNIXやJavaへの過度の肩入れについてはいささか辛い評価を下さざるを得ないし,「持ち上げては落とす」といった印象を読者に与えてきたことは要注意点であると15年間在籍した筆者は認識している。

 その上であえて言わせていただくと日経コンピュータは常にジャーナリズムであった思う。その時々の話題,できれば少し先行した話題を発掘し,読者に提供するのがジャーナリズムである。ただし,新しい話だけがすべてのように,万能のように書いてしまうのは確かにまずい。それは以前書いた「ORの抑圧」に屈していることになる。

 「オープンとは広いココロ」と述べた,かつての日経コンピュータ編集長と3年ちょっと前に議論をした。議論の内容を再現する。

谷島 「あなたが次から次へと雑誌を作ったから、日経コンピュータの位置付けが曖昧になったのではないか」
元編集長 「んなことは関係ないですよ。創刊時から日経コンピュータは特定分野だけを追う専門誌ではないし,入門誌でもない。要は,コンピュータ・ジャーナリズムっちゅうことですよ。その点は昔も今も同じ」
谷島 「ジャーナリズムとは何か。ニュースを書くことか」
元編集長 「ジャーナリズムってえのは新鮮な情報を読者に提供すること。新鮮なら数10ページの特集であってもニュース」
谷島 「新鮮かどうかは誰が判断するのか」
元編集長 「自分ですよ。要は記者本人にどれだけの思いがあるかですよ。編集長だのデスクだの社長など,誰が何を言おうがまったく関係ないですよ」
谷島 「・・・・・・」

久方ぶりに古巣とかかわる

 「記者の眼はコラムなので何を書いてもよい」と井上編集長に言われており(編集部注:「谷島さんのことは信頼してますから自由に書いてください」と言ったつもりであった・・・),これまでも好き勝手をさせてもらったが,今回はかつてなく身内の話が多かった。新年早々ということでご了承いただきたい。私事続きだが1月1日付で筆者の肩書きが変わったので,この場を借りてお知らせする。以下は情識でお伝えした内容に基づいている。

 日経ビズテックの編集委員は引き続き務める。日経ビズテックをもっと充実させるべく,努力する所存である。さらに今年から,日経ビジネスと日経コンピュータの編集委員を兼務した。つまり合計三つの雑誌の編集委員を務める。

 2年近い日経ビズテックの開発作業を通じて「ビジネスとテクノロジーの境界にある重要情報」を筆者なりに理解できた。こうした情報を集め,ビジネスとテクノロジーの旗艦媒体である日経ビジネスと日経コンピュータに対しても提供していきたい。

 筆者は1985年4月から記者になったので2005年3月末を迎えると,記者になって丸20年となる。20年選手なりの記者活動を三媒体で展開し,古巣である日経コンピュータについては,少しでも恩返しができればと考えている。「日経コンピュータの報道に一貫性がない」という読者の苦言に対しては,実際の記事で応えていきたい。

 ただし筆者の本籍は日経ビズテックにあり「テクノロジーを活かして新ビジネスを創造する」という日経ビステックのテーマを中心に取材と執筆を進めるつもりである。三媒体兼務は社内外で混乱を招いており,年末に引っ越しをしたときに「君は日経コンピュータに戻るのだからビズテック編集部で机はいらないな」と言われてしまった。年明けに人事情報システムを見たところ,筆者の所属が日経コンピュータになっており,お願いして修正してもらった。さらに取材先の方々が「日経コンピュータに復帰されたそうですね」というメールを送ってきた。「引き続き日経ビズテックにいます。戻っていません」と返信しているところである。

 なにはともあれ,IT Pro読者の皆様,本年もよろしくお願いします。

(谷島 宣之=日経ビズテック編集委員兼日経ビジネス編集委員兼日経コンピュータ編集委員)