次世代のホーム・ネットワークなどで採用される主な無線LAN方式の一つである「IEEE 802.11n」。実効速度で100Mビット/秒以上のデータ伝送を実現することを目標としており,既に対応製品が発売されている仕様上の最大速度が54Mビット/秒の802.11aや802.11gよりも高速のものだ。この新規格を使って,家電メーカーはハイビジョン品質の映像無線伝送機能を持つ情報家電を開発する考えである。無線LANメーカーも次世代製品に802.11n方式の採用を予定している。

 その802.11nの標準化作業が,IEEE(米国電気電子技術者協会)でヤマ場を迎えている。現在IEEEには4つの規格案が提案されており,参加メンバーが支持する方式の投票が2004年11月下旬に行われた。各メンバーが複数の方式に投票できるという条件である。その結果,主に家電メーカーが支持する「TGnSync」が約74%,主に無線LAN関連メーカーが支持する「WWiSE」が65%,試作機で100Mビット/秒の帯域保証伝送を実現した米QUALCOMMが57%,三菱電機と米Motorolaのフランス法人による共同提案が47%の支持を得た。

 いずれも25%以上の票を獲得したため,全方式が標準規格の候補に残った。しかしIEEEは2005年1月に実施する会合では,各メンバーが1方式だけに投票できる条件で,さらに有望方式を絞り込むための再投票を実施する。そこでは,75%の支持を得た方式を標準規格のベースにする方針である。

 IEEEはこのように比較的速いペースで標準化を進めており,最終的には2006年中にもメーカーが製品を発売できるようにすることを目指しているようだ。このため,「2005年早期に標準化争いの大勢が決するだろう」(ある関係者)という見方も出ている。

家電メーカーはTGnSyncを,無線LAN関連メーカーはWWiSEを支持

 802.11n方式の標準化が短期決戦になるという見方には,いくつかの理由がある。

 まず一つは,11月の投票で多くの支持を得た上位2方式は,それぞれ支持する業界が明確に分かれていることだ。言い方を換えると,「家電業界」「無線LAN業界」のそれぞれに属する企業の間では,支持する方式が概ね共通しているのである。

 最多得票を獲得したTGn Sync方式は,米Atheros Communications,米Cisco Systems,米Intel,フィンランドNokia,米Nortel,松下電器産業,オランダPhilips,韓国Samsung,三洋電機,ソニー,東芝などが支持している。このように多くの家電メーカーが賛同している。一方,WWiSE方式を支持しているのは,米Texas Instruments,米Airgo Networks,米Bermai,米Broadcom,米Conexant Systems,台湾Realtek Semiconductor,スイスSTMicroelectronics,バッファローなどである。これらのメーカーは無線LAN製品やチップセットの製造を主に手がけている。

 東芝やソニーなどTGnSyncを支持する家電メーカーは,本体とモニターの間などでハイビジョン品質の映像をリアルタイム伝送できる家電製品に,802.11n方式を適用したいと考えている。例えば,放送受信機能や映像蓄積機能などを備える「ホームサーバー」と壁掛け型モニターの間でハイビジョン映像を無線伝送できる製品や,チューナーとモニタが分かれている「ワイヤレステレビ」に使う用途を想定している。802.11n方式で100Mビット/秒の帯域保証伝送を実現できれば,チャンネル制御用のヘッダーによる損失を考慮しても,20Mビット/秒程度のハイビジョン映像を2チャンネル分伝送できる。

 一方,WWiSE方式を支持する無線LANメーカーは,802.11aや802.11gなどに続く,より高速な新世代の無線LANに802.11n方式を使いたいと考えている。影響力が大きい無線LANの国際普及団体「WiFiアライアンス」は,メーカーが無線LAN製品を発売する際には,IEEEの標準規格に準拠していることを前提条件としているからだ。こうした無線LANメーカーは,より簡単かつ低コストで製造できると想定されるWWiSE方式を支持している。しかし,今回のIEEE会合では帯域保証伝送を実現するための技術の説明が不十分で,既存の802.11a方式などと比べたメリットを十分に伝えられなかったという見方も出ている。

 このような状況のなかで,仮にこのままTGnSyncが標準規格のベースになったとしても,少なくとも家電業界では方式の統一を達成できることになる。ハイビジョン対応のDVDレコーダーのように,家電業界の中で複数の方式による主導権争いになる恐れはほとんどないわけである。このため,メーカーの製品化やユーザーの購入が円滑に進みやすいと考えられる。

QUALCOMMが100Mビット/秒帯域保証にメド

 802.11n方式の標準化をスピード・アップさせるもう一つの要因は,移動通信システム用の無線技術を開発する米QUALCOMMが,家電メーカーを対象として高速無線LAN技術の提供に参入したことだ。QUALCOMMは自社の研究所で高速無線LANの実験用システムを試作し,2004年3月には20MHzの周波数帯域を使った100Mビット/秒の帯域保証伝送に成功したという。当初は移動通信システム向けの技術として開発したが,情報家電に内蔵する高速無線LANに適用する方が能力をフルに生かせると判断して,今回の新規事業への参入を決めた。

 802.11n方式では,マルチパスに強い変復調方式「OFDM」(直交周波数分割多重)や,送受信側で複数のアンテナを使って通信速度を向上させる「MIMO」(Multi Input Multi Output)技術を採用する見通しである。QUALCOMMが開発したのは,通信経路の状況変化に対してより的確に信号伝送方法を最適化できるアルゴリズムを採用したMIMO技術や,移動データ通信方式「CDMA2000 1xEV-DO」方式で採用している伝送レート制御技術を無線LAN向けに応用した技術などだ。これらの技術によって,最大300Mビット/秒のデータ通信速度を実現し,QoSを満足した状態でも100Mビット/秒の伝送速度を確保した。

 QUALCOMMはこれらの技術を盛り込んだ独自の802.11n規格案を,IEEEに対して2004年8月に提案した。さらに,QUALCOMMが所有する802.11n方式関連のIPR(知的所有権)を,IEEEの方針通り低廉な対価で公開する方針を示した親書を,10月にIEEEに提出した。

 同社は第3世代移動通信システム用に自社のCDMA関連IPRを機器メーカーに開示する際には,その提供条件の交渉段階で激しく争った経緯がある。しかし今回はIEEEの方針に従う姿勢を早期に示したことで,802.11n方式の標準化に参加している多くの企業がQUALCOMMとの接触に動いているようだ。

 このように,20MHz幅という比較的少ない周波数帯域で100Mビット/秒の帯域保証伝送を実現する技術が開示されることによって,ハイビジョン映像の無線伝送に対応した情報家電を開発するための技術にメドが立ったといえる。こうした動きも802.11n方式の早期普及につながるだろう。

総務省の周波数割り当ても容易に

 実は,日本国内での動向が802.11n方式を世界に普及させるトリガーになる可能性もある。