本日の記者の眼は,2003年7月20日に公開した「なぜ『IT産業のトヨタ』は出ないのか」の続編である。続編を書くまでに1年以上もかかっているのはなぜだ,と言われそうだが,返答のしようがないので,そのご質問は勘弁いただきたい。

 前回は「なぜ日本のIT産業には,トヨタやホンダのような世界に通じる強い企業が登場しないのか」といったテーマを取り上げた。今回は「日本のソフトウエア開発力」について,トヨタとソフトウエア開発に詳しい方との対話を通じて考えてみたい。

 対談相手はITコーディネータの戸並隆氏である。戸並氏は,トヨタ自動車やその関連会社で情報システムの仕事を手がけた後,ソフトウエア会社へ移り,現在は独立コンサルタントとして活動している。弊社のサイトで「戸並隆のITコーディネータからの手紙」という連載を持っているのでご存じの方も多いだろう。

 以下の対談は電子メールを使って実施した。

ソフトウエア開発に擦り合わせは効くか

谷島:東京大学の藤本隆宏教授は「能力構築競争」(中公新書)といった著書の中で,主としてトヨタ自動車の強みを分析し,「日本企業はインテグラル型のもの造りに強い」と述べています。インテグラル型の製品とは,独自に部品を設計し,しかも各部品の設計を調整して全体を生産しなければならないものだそうです。こうした調整作業を藤本教授は「擦り合わせ」と呼んでいます。ソフトウエア開発の世界は,擦り合わせが効くインテグラル型なのでしょうか。

戸並:ビジネス・システムの世界を考えると,要件変更への対応力と言えるチーム開発の緊密性や他のチームとの接合面の擦り合わせといった点では日本がやっぱりダントツに優れています。日本のソフトウエア開発の現場で要件変更の量が圧倒的に多いのは要件策定が曖昧なこともありますが,このようなインテグラルな木目細かい調整力が現場にあるからです。

 逆に欧米は,プランニングの段階から漏れの無いWBS(ワーク・ブレイクダウン・ストラクチャ)を作って,以降の工程での要件変更の影響度管理をしたり,ドキュメント・ペーパワークを日本とは比較にならないくらい大事にせざるを得ません。一部の外資系インテグレータにいたっては,要件変更を認めない完璧なウォータフォール型の開発をやっていますが日本には馴染みません。

谷島:そのインテグレータの方法論は要件変更を認めないわけではなく「あらかじめ決めた時期までに必ず要件をまとめてほしい,そうでないと納期と価格をコミットできない」というやり方であったと記憶します。日本の“要件変更無限地獄”を見ると,ある程度強制的にやることが必要ではないかと思いますが。ところで日本製の自動車は高品質ゆえに世界を席捲しました。ソフトウエアの方はどうでしょう。

戸並:品質は圧倒的に日本が上です。バグや障害は米国では当たり前ですから。日本は過剰品質なのかもしれませんが,国民性ですから品質は落とせないでしょう。谷島さんは以前,「銀行のATM(現金預け払い機)など止まってもよい」と読める記事を書いて読者からたたかれていましたね。

谷島:止まってかまわないとは書いていません。「絶対止めない」という不可能なことに巨費を投じるのはいかがなものか,と言いたかったのです。しかし品質は高くても日本のソフトウエアに国際競争力はありませんね。

戸並:ソフトウエア製品を考えた場合,品質がいいものが売れるとは限りません。ここが悩ましいところです。90-90の法則があります。90%を達成しても残りの10%をクリアするために,90%のコストと時間がかかると言います。となると80~90%の品質で早く市場に出した方が競争戦略では正しいのでしょう。米国は合理的で損得主義ですから,ここいらの判断の素早さは日本の比ではありません。

谷島:商売の巧拙は別にするとして,そもそもソフトウエア開発は日本人に向いていると言えますか。

戸並:ハードウエアと違ってソフトウエアは関係要素数が桁違いです。ですから日本人が得意のはずです。少なくともロジックやアルゴリズムというプログラミングは,コンピュータ・サイエンス云々以前の世界です。日本人に向いていると思います。他人の作ったソフトウエアのメンテナンスがなければ日本の独壇場ではないでしょうか。メンテナナンスのやりやすさは標準化や規約ルールに比例します。ところが日本人は標準化とか規約ルールをともすれば守らないので,だれでもメンテナンスできるようにはなかなかもっていけません。

谷島:米国勤務が長かった方に伺ったことがあります。米国企業はメンテナンスしやすいソフトウエアを開発することに何よりも気を配るそうです。開発した人がそのままメンテナンスすることはほぼありえないからです。日本人が標準化をしないというのは同感です。体系立てた方法論を作ることも苦手ですね。

戸並:構造化プログラミングもオブジェクト指向プログラミングもエクストリーム・プログラミングもすべて日本以外で生まれています。方法論や体系化や標準化は全く苦手です。大局的俯瞰的な見方も苦手です。好意的に言えば,SEの教育レベルが相対的に高く,また器用で木目細かく緻密なアルゴリズムやロジックが得意なので,日本において標準化や方法論をそれほど必要としなかったのでしょう。

 本来は,曖昧な上流から機能ごとに分けていって段階的に詳細化をします。最終工程が膨大な個々のアプリケーションの作成です。この機能分化は非常に抽象的な作業で,指揮者,ラグビーの監督,ビル・ゲイツ氏のような一人,せいぜい数人の天才肌の人が行う作業です。この部分は圧倒的に米国が有利です。

谷島:ゲイツ氏はビジネスの天才とは思いますが,ソフトウエア設計者としてはどうなのでしょうか。結局,日本のソフトウエア開発力は現場力に尽きる,ということになりますか。

戸並:下流の膨大な作業は現場型調整型ですから日本人が得意です。建築の世界でも,設計図通りに現場が動いているわけではなく,現場で調整する部分が多いので,頻繁に設計変更があるそうです。それらが圧倒的にうまいのが日本です。インテグラルな現場調整力があるからこそ,設計が欧米に比べ曖昧でもかまわないのかもしれません。製造業でも設計と製造とのコンカレント化は日本のお家芸です。