経済産業省が産業技術総合研究所や教育機関で導入実験を進めるなど,デスクトップLinuxに対する関心が高まっている。ただし,産業技術総合研究所での実験は,導入部署の選定などに手間取っており,まだ実際の導入までには至っていない。では,民間の企業ではどうだろうか。

 実は,すでにデスクトップLinux導入実験を行った大企業がある。住友電気工業である。同社は,情報システム部の部員を対象に,2004年春から実際に20台のLinux機をデスクトップ用途で導入し,評価を実施した。「全社の一般部署に導入する場合を想定した」(住友電気工業 情報システム部 インターネット技術グループ長 大釜秀作氏)。使用したディストリビューションは「TurboLinux 10 Desktop」である。

 住友電気工業は,3年ほど前から,社内の標準サーバーをLinuxに指定し,基幹業務を含む多数のシステムで約100システム,およそ300台のLinuxサーバーを導入している。基幹業務システムにLinuxを最も活用している企業のひとつだ。果たして,同社はどのような評価を下したのだろうか。

共通業務はほとんど問題なし

 まず,全社の共通業務がLinuxで可能かどうか。評価したのは稟議システムや各種の届出システム,電子会議システムなどである。その結果は「ほぼ問題なく使用できる」(大釜氏)。

 ただし,いくつかの前提条件や細かい問題がある。まず前提条件として,同社の業務システムの多くがWebべースだったことが挙げられる。さらに,Internet Explorerだけでなく,Netscapeも標準ブラウザとして規定しており,両方のブラウザで動作するよう,ブラウザ依存の機能を使っていなかった。このため,Linux上のMozillaでもほとんど支障なく使用することができた。ただし,ファイル名などに漢字を含むURLをブックマークに登録すると設定ファイルを読み込めなくなる,一部のPDFファイルが印刷できない,という障害があった。

 同社の勤怠管理システムは,文字端末のtelnetを使用している。こちらはファンクション・キー定義ファイルを配布する必要があったが,問題なく利用できた。

 そのほか,Notesクライアント・ソフトウエアのLinux版が存在しないが,Webブラウザで利用できるDominoへのアップグレードを予定しており「回避できない障害にはならないと判断した」(大釜氏)。

一般の事務処理部門ではやはりソフトの互換性に課題

 次に,専門業務についての評価である。情報システム部門の専門業務はシステム開発だ。同社は開発言語をJavaで統一している。統合開発環境にはEclipseを使い,クライアント上でサーブレット・エンジンTomcatを動かす。ソースコードのバージョン管理にCVSを使う。いずれもWindowsと同様に使用でき「むしろ使いやすいくらい」(大釜氏)。DB管理も,WebからDBを操作できるツールを自社で開発しており問題ない。「システム開発もほぼ問題なく使用できる」(大釜氏)。

 しかし,データベースを設計するためのE-R図作成には「使いにくい」という評価になった。Windows上ではドロー・ツールVisioを使用していた。TurboLinux 10 DesktopにはMicrosoft Office互換オフィス・ソフトのStarSuite7が含まれており,その中にドロー・ツールもあるが,Visioに比べ使いにくく,Visioのデータを読み込むこともできない。

 もっとも,E-R図を作成する担当者は限られているので,致命的な問題というわけではない。システム監視も,Webブラウザで行えるため,ほとんど問題なかった。

 まとめると,システム部門での利用は十分可能だった。しかし,事務処理部門では「デスクトップLinuxの利用は難しい,という結論になった」(大釜氏)。

 StarSuite7はWord,Excel,PowerPointのデータを読み込めるが互換性は完全ではない。「表示が崩れる点が問題になった」(同)。また,費用処理システムでMicrosoft Accessを使用していた。StarSuite7ではAccessにそのまま相当するソフトウエアは含まれていない。また,粘着テープに文字を印刷する事務用品「テプラ」をよく使用しているが,テープに文字を印刷するためのソフトウエアがWindows版しかないことも不便だった。

「導入とサポートがコストを引き上げる」

 コストに関しては,StarSuite7がMicrosoft Officeに比べ安価であることから,それがコスト削減につながる可能性もある」と大釜氏は見る。

 しかし導入に関しては「インストール作業は決して簡単ではない。情報システム部の人間でも手こずることがある」と大釜氏は指摘する。ハードウエアのドライバの有無などが問題になることがあり,インストール作業は導入コストを引き上げる要因になる。

 また,Linuxのデスクトップ環境は,Windowsと似てはいるが異なる部分もあるため「エンドユーザーの問い合わせに応えたり,障害に対応するためのサポート体制が必須」というのが,大釜氏の実感だ。実験では,評価担当者同士がメーリング・リストで情報交換を行い,利用ノウハウの不足を補った。

 Linuxディストリビュータの問い合わせサポートは,マイクロソフトと同程度という評価だった。ただしLinuxの場合,パソコン・メーカーがインストールしたものではなかったため「故障時は自社である程度の切り分けを行う必要があった」(大釜氏)。

 セキュリティについて言えば,現時点ではLinuxを標的にしたウイルスはほとんどない。しかし,ソフトウエアのアップデート機能について改善すべき点も多いという。「デスクトップ機を集中管理し,アップデートも集中制御できるツールがない」ことが課題として挙がった。

 総括して,用途を限れば利用可能だが,必ずしもコストを削減できるとは言えない,というのが現状だ。このため全社にLinuxデスクトップを広げる予定は今のところないが,実験終了後もLinuxをデスクトップで使い続けている情報システム部員もいる。

課題は解決されるか

 住友電気工業が挙げた主な課題をまとめると,(1)Microsoft Officeとの互換性,(2)パソコン・メーカーによるプリインストールとサポート,(3)クライアント管理ツールの未整備,ということになる。これらの課題は,今後解消する可能性があるだろうか。

 (1)について,StarSuiteとそのベースとなっているOpenOffice.orgではMicrosoft Officeとの互換性は最優先課題として開発が続けられており,次期版では,Microsoft Office互換マクロの搭載が予定されている。しかし,現実的には,社外や他の組織とのやりとりには,Microsoft Officeを使用するしかないだろう。実際,Linuxパソコンを販売するグッディでも,社内ではLinuxデスクトップ機を利用しているが,1台だけWindowsマシンを置き,社外とやりとりする文書はMicrosoft Officeで確認するようにしている。

 (2)に関しては,Linuxをプリインストールするパソコン・メーカーが徐々に増えている。これまでは東京フォレックス・フィナンシャルやグッディなどベンチャー企業だけだったが,10月1日には大手/準大手で初めてエプソンダイレクトがLinuxをプリインストールしたデスクトップPCを発売している(関連記事)。

 (3)については,経済産業省による教育機関でのデスクトップLinuxの導入実験に関連し,日本IBMがクライアント管理,アップデート用のツールを開発し,オープンソース・ソフトウエアとして公開する予定である(関連記事)。

 このように,課題を抱えながらもデスクトップLinuxは着々と進化している。ここで重要なのは,一般論として「デスクトップLinuxは使える,使えない」と論じることはできない,ということだ。やはり,住友電気工業のように,自社の事情を考慮した地道な検証を続けることが大切ではないだろうか。もう一つ,同社の「共通業務」がそうだったように,できるだけ特定の環境に依存しないようにアプリケーションを整備しておくことも重要だと感じている。

 「そこまで手間をかけてデスクトップLinuxを検討する意味があるだろうか」とお感じの方も多いと思う。「単にWindowsクライアントの代替としてであれば,現状ではMacOSのほうがはるかに完成度は高いし,マイクロソフト純正のOfficeもある」というご意見もあるだろう。

 それでもLinuxが期待される理由は,オープンソースであることにある。住友電気工業の大釜氏は「現状は課題もあるが,Linuxの改良は目ざましい」と評する。誰でも改良にかかわることができ,その成果が世界中に公開されるというオープンソースの開発スタイルがもたらす可能性の高さにあるのだろう。

(高橋 信頼=IT Pro)

【訂正】
掲載当初「住友電気工業は(略)百台近いLinuxサーバーを導入している」と記述しておりましたが,これは誤りで,正しくは「約100システム,およそ300台のLinuxサーバーを導入している」です。お詫びして訂正いたします。(2004年11月15日)