日本,中国,韓国の3カ国が,“アジア版Linux”の標準化を進めている。

 4月には,中国・北京で「北東アジアOSS推進フォーラム」が開催され,3カ国のIT局長が共同でのLinux標準化や普及のための環境整備について合意(関連記事)。7月末には札幌で第2回目の「北東アジアOSS推進フォーラム」が開かれ,中国が標準化案を提出した(関連記事)。

 3カ国の政府がLinuxに関心を寄せる理由は2つある。1つは政府での利用,もう1つはIT産業振興だ。標準化の狙いは,3カ国の開発リソースを結集して機能向上を促進するとともに,大きな市場を形成してLinuxを利用したIT産業育成を図ることと考えられる。

 さて,このような政府主導による標準化は,果たして市場に受け入れられるのだろうか。

 ご存じの通り,ソフトウエアの標準が形成されるプロセスは時代とともに変化している。標準化機関がトップダウンで標準を決める方式は関係者の数が限られる分野に限られ,より多くのユーザーや開発者に支持されたものが標準となる「デファクト・スタンダード」が主流になってきている。

 さらにオープンソース・ソフトウエアでは,アイデアやプロトタイプの段階からユーザーや開発者に公開され,その意見や要望を反映しながら標準や実装が形成されていくことが多い。インターネットというコミュニケーション手段が可能にした標準化プロセスと言える。

 オープンソース・ソフトウエアの領域でも,ディレクトリ構造などを規定するLinux Standard Base(LSB)や,通信事業者向けのCarrier Grade Linux(CGL)のような標準化機関が規定する標準があり,多くの商用ディストリビューションが準拠しているものの,ディストリビューション選択の際にLSBの認定を受けているかどうかを気にするユーザーはあまりいない。CGLも,通信事業者という,ベンダーもユーザーも限られる用途に関するものだ。

 また,オープンソース・ソフトウエアは,誰でもどの国からでも同じように利用でき,情報にアクセスできるものだ。日中韓による政府主導の標準化は,オープンソース・ソフトウエアの理念と相容れるのだろうか。

中国の標準案は政府調達基準

 実は,今回の“アジア版Linux”の標準化案は,中国政府機関のサイトで公開されている。中国電子技術標準化研究所が開設している,LINUX国家標準工作組というサイトだ。

 文書はAPI標準,デスクトップ標準,サーバー標準,ユーザー・インタフェース標準の4つに分かれている。一読してわかるのは,例えばデスクトップでは中国語のInput Methodを備えていること,WebブラウザがHTML 4.0をサポートすること,サーバーでは非同期I/Oや差分バックアップが可能なこと,など機能要件の記述が多くを占めている。中国の政府調達基準としての標準案である。

 中国政府は,この調達基準をもとに中国国内のLinuxの機能を向上させようとしている。さらに,日中韓の標準とすることで,開発のためのリソースを他国からも集めようというのが中国政府当局の目的だ。

 ただ,この標準案がそのまま日本のユーザーやベンダーへ影響する可能性は低い。中国政府の調達基準になったとしても,経済産業省の担当者によれば「少なくとも日本では強制力を持つようなものにはならない」との方針をとっている。日本でもし強制をすれば,日中韓協力そのものが日本のベンダーの支持を失いかねない。

 強制力を持たないとすれば,このような標準が普及するかどうかは,それが必要とされているか否か,言い換えればこのような標準が何かの役に立つかによる。記者の印象では,このような機能要件のリストを求めている日本のユーザー,ベンダーはほとんどいない。前述のようにLSBでさえ,ユーザーは全くと言っていいほど気にしていない。

ユーザーや開発者の問題を解決する標準を

 それでは日中韓による協力から標準が生まれる可能性がないのかというと,そうでもない。ユーザーやベンダーにとって有用なものとなり,支持されるような標準を作成できれば,すなわち標準が存在しないために不便が生じているような問題に対し,解決策となることができれば,賛同が得られるだろう。

 そのような問題として,ある日本の大手メーカーの担当者は,フォントの取り扱いの標準化を例にあげる。ディストリビューションごとにばらばらになっているフォントのインストール状況などを標準化し,あるいは共通の方法でダウンロードできるようにして,各国語の文書を同一のレイアウトで閲覧可能にする。英語圏では切実ではないが,アジアをはじめとする2バイト圏では共通の悩みとなっている問題はいくつもありそうだ。

過程から情報を公開し,ニーズと知恵を集めよう

 もうひとつ,必要なことは,標準化のプロセスが世界に公開されることだ。出来上がった案をISOなどの国際機関に提案しようという案はあるようだが,議論の過程から公開することが望ましい。

 オープンソースが標準となりえた最も大きな理由は無料であることではない,と筆者は考えている。情報が公開され,誰でもアクセスできること。そして前述のように,開発プロセスが公開されているため,衆知を集められたことだ。実際に意思決定を行うのは中心となる数人であることが多いが,誰でも開発や改良の過程を追いかけることができ,アイデアや意見を表明できる。その中でインタフェースが定まり,実装が行われる。万人が参加できる開発プロセスが,オープンソース・ソフトウエアが発展した最大の理由だ。

 情報やプロセスの公開という点では,OSS推進フォーラムの現状は不十分だ。その目的からして,よく理解されているとは言い難い。4月に3カ国日中韓IT局長がに調印した際にも「OSを共同開発」という新聞報道が流れるなど,情報が錯綜(さくそう)した。

 標準化案も,Webで公開されているものは,中国語版しかない。7月の会合で,OSS推進フォーラムのWebサイトを開設するという方針が示されたが「詳細は12月に韓国での会合で詰める」(日本OSS推進フォーラム)といった具合で,時期は明らかにされていない。

 「生煮えの案を公開すると混乱が起きる」という意見もあるようだが,不完全なうちから様々な知恵を取り入れていくことが,オープンソース・ソフトウエアを標準たらしめた開発モデルである。

 7月のOSS推進フォーラムで採択された共同声明でも「世界に開かれた」という表現があった。この言葉の通り,その世界に開放することを期待する。

(高橋 信頼=IT Pro)