テレビとラジオの両方を,デジタル放送でも楽しめるようにする――。異なる二つの放送のデジタル化をめぐって,総務省が掲げる政策目標が揺らいでいる。地上テレビ放送のデジタル化で実現する移動体向け放送について,テレビ業界が提供できる番組の自由度を高めるよう迫っている。これに地上ラジオ放送業界が,「競争力のバランスが崩れる」として猛反発している状況だ。

突き付けられる二つの要求

 地上デジタル放送市場の形成に向けて,総務省は今,二つの決断を迫られている。

 一つは,地上デジタル・テレビ放送で実現する携帯電話などの移動体向けのテレビ放送で,独自番組の提供を解禁するかどうか。現在は,通常の据え置き型テレビ向け地上波放送と,まったく同じ内容の放送(サイマル放送)しか認めていない。だが,テレビ放送業界から独自番組の提供を可能にするよう,要求されている。

 もう一つの決断は,地上デジタル・ラジオ放送の全国展開を前倒しで実施するかどうかである。総務省は2011年に全国展開を可能にする予定だが,ラジオ放送業界からは「遅すぎる」との不満が上がる。

 テレビ放送とラジオ放送の競争力のバランスがとれたデジタル放送市場の実現を目指して,かじ取りの難しさが増している。

真っ向勝負になればテレビ放送に軍配

 地上アナログ放送市場では,テレビ放送とラジオ放送事業が明確にすみ分けられていた。テレビ放送は,「主に家庭の据え置き型テレビを対象とした動画放送」,ラジオ放送は「主にカー・ラジオなどの移動体向けの音声放送」というようにサービス内容が差異化されている。

 だが総務省はデジタル化を機に両者の垣根を低くする。テレビ放送事業者には,デジタル放送の一部の帯域を使った移動体向けのテレビ放送を可能にした。一方,デジタル・ラジオ放送には動画放送を認めた。デジタル技術を生かしたサービスを視聴者が享受できるようにするための措置である。この結果,「移動体を対象としたデジタル放送市場」という土俵で,テレビとラジオ放送事業者が競合することになった。

 NHKや民放のテレビ放送事業者は,2003年12月から東京・大阪・名古屋の三大都市圏を皮切りにデジタル放送を順次始めている。当初提供しているのは据え置きテレビ向けの放送で,移動体向けテレビ放送は2006年春をメドに開始する。そして2011年のアナログ・テレビ放送終了をもって,デジタル・テレビ放送に完全に移行する。

 一方,デジタル・ラジオ放送は2011年のアナログ・テレビ放送の終了に伴って空く周波数を使い,全国各地で本放送が始まる計画になっている。本放送に向けて現在,東京と大阪地区で実用化試験放送が行われている。総務省は本放送の開始にあたって新規参入を受け付けるものの,既存ラジオ放送事業者を中心に参入を認めるとみられる。FMやAMのアナログ・ラジオ放送は存続するので,デジタル・ラジオ放送に参入する既存のラジオ放送事業者は,アナログ放送と並行してデジタル放送も提供することになる。

 しかし,移動体向けテレビ放送とデジタル・ラジオ放送の真っ向勝負になれば,既存ラジオ放送事業者には不利だ。デジタル・ラジオ放送の全国展開は2011年まで待たなければならならず,ラジオ放送事業者は,その間にテレビ放送事業者が移動体を対象にしたデジタル放送市場を席巻してしまうと恐れる。

 しかも,地上アナログ放送におけるラジオ広告市場の規模は2000億円程度に過ぎない。約2兆円に達しているテレビ広告市場の10分の1である。移動体向けのデジタル放送市場で競合するテレビとラジオ放送事業者の競争力の差は歴然としている。

競争力を拮抗させるサーマル放送という制約

 その競争力の差を埋める役割を果たしているのが,移動体向けテレビ放送にかけられている規制である。

 総務省は移動体テレビ放送を,据え置き型テレビ向け放送の「補完放送」と位置付け,独自番組を放送することを禁じている。電波法施行規則の定めにより,補完放送では実質的に据え置きテレビ向け放送のサイマル放送を実施しなければならない。移動時の視聴などに適した番組を独自に放送することは難しい。結果的にこの規定が,移動体テレビ放送とデジタル・ラジオ放送の競争力を拮抗させる方向に働いている。

 しかしテレビ放送事業者からは,「視聴者のニーズを無視している」(日本テレビの関係者)との不満が絶えない。地上波テレビ放送各社は,通勤・通学時の視聴に合った短時間番組など移動体に適した番組を模索している。またNTTドコモやKDDIなどと協力して,携帯電話の通信機能と連携した新しい形態の双方向番組のあり方を研究している。 「独自番組の解禁により,将来的に新たな収入を移動体のテレビ放送事業から得る」(TBSの幹部)というのが各社共通の最終目標である。

 こうしたなかテレビ放送業界では2008年秋の独自番組解禁を目指すことで合意が形成されつつある。2003年12月にデジタル放送を開始した三大都市圏のテレビ放送事業者にとっては,2008年秋が放送免許の更新時期になる。免許更新を機に制度を見直し,三大都市圏以外の事業者も含めて移動体向けテレビ放送で独自番組の放送を可能にしたい考えだ。

 一方,ラジオ関係者は,「独自番組は絶対に認められない」(FM東京の幹部)と反発している。デジタル・ラジオ放送の需要が移動体テレビ放送に奪われると危惧しているのだ。総務省はテレビ放送とラジオ放送事業者の板挟みにあっている状況である。

 ラジオ放送業界の要求は,さらにデジタル・ラジオ放送の全国展開の前倒しにも及ぶ。背景にあるのは,「2011年まで待たされては,テレビ放送のデジタル化に後れを取る」という危機感である。現在,FM東京など全国のFM放送事業者38社で組織する「ジャパンエフエムネットワーク」(JFN)を中心に,総務省に早期の制度整備を求めている。具体的には2006年に周波数の使用計画を作成し,2007年にも各地でデジタル・ラジオ放送を開始することを目指している。「周波数に比較的余裕がある地域など,全国の3分の1の放送エリアで2011年を待たずにデジタル・ラジオ放送が提供できる」(JFN関係者)と見込む。

保護行政より市場立ち上げの優先を

 ラジオ放送業界が全国展開の前倒しで目論むのは,移動体向けテレビ放送をけん引役とした,デジタル・ラジオ放送の普及である。移動体テレビ放送では基幹放送である地上波テレビ放送の番組が見られる。その移動体向けテレビ放送との共用端末によって,デジタル・ラジオ放送の普及が進むと期待している。

 メーカーが共用端末を作りやすいように,デジタル・ラジオ放送の基本的な技術は移動体向けテレビ放送と同じにするなど,規格面でも配慮している。共用端末を普及させるためにも,移動体向けテレビ放送に遅れることなく,デジタル・ラジオ放送のエリア展開を急ぐ必要があるというわけだ。

 こうしたラジオ放送事業者の普及戦略を知るテレビ関係者は,「独自番組が認められれば移動体テレビ放送のけん引役力が強くなり,結果的にデジタル・ラジオ放送にもプラスになる」と主張する。これにラジオ関係者は,「移動体向けテレビ放送のけん引力には期待するが,独自番組まで可能になれば共存は図れない」という。

 総務省には,テレビ放送とラジオ放送の両立に向けて「移動体向けテレビ放送の独自番組解禁」と「デジタル・ラジオ放送の全国展開前倒し」の両方をにらんだ難しい調整が求めらる。

 もっとも,両立を重視するあまり,保護政策に走りすぎることは避けなければならない。放送事業者の思惑通りに移動体向けテレビ放送の普及が進まないことも予想される。その際にデジタル・ラジオ放送の保護を優先し,独自番組解禁などの規制緩和措置をとらなかった場合,デジタル・ラジオ放送を含めて移動体を対象としたデジタル放送市場全体の立ち上げに失敗することも考えられる。

 状況によっては共存体制の構築よりも,利用者の利益のために市場の立ち上げを優先するといった柔軟な発想が求められる。

(吉野 次郎=日経ニューメディア)