筆者が編集を担当する雑誌「日経ソフトウエア」の人気コラムに「フリー・プログラマの華麗な生活」という1ページのエッセイがある。筆者のN氏は1960年生まれ。コラムのタイトル通りのフリー・プログラマである。いつもは電話やメールで打ち合わせをするのだが,先月久しぶりに会う機会があったので,独立したいきさつなどを詳しく伺ってみた。

 一括りにフリー・プログラマと言っても,業務内容は人によって千差万別である。N氏のケースが,今後フリー・プログラマとして生計を立ててみたいと考えている人に参考になるとは限らない。ましてや,プログラマの方々に,N氏にならってフリーを目指そうと言うつもりもない。「会社に勤めていたころよりも確実によい状態」と言い切るN氏の話を読んで,ちょっとでも元気になっていただければ,と思う。

 ちなみにN氏の言う「よい状態」とは,年収が会社勤め時代を大きく上回る,などという景気のよいたぐいのものではない。確かに仕事を直接受注するぶんだけ振り込まれる金額は増えたが,諸経費や,後で税金や保険で引かれることを考えると,手元に残る額は「年相応」だと言う。

 それよりも,プログラミングの新しい技術を習得したり,お客さんとじかに接して,お客さんが喜ぶプログラムを自分の手で作り続けられること――40歳を過ぎても現場の「プログラマ」であり続けられること――がN氏にとっての「よい状態」なのだ。「古い知り合いからは『まだ現場やっているの?』と言われることが珍しくない歳になってしまった」。そんな風に苦笑しながら,「独立してよかった,悪かったと言うよりは,こういう道もあったのだなあと今さらながら思う。少なくとも過去に戻りたいとは思わない」と語ってくれた。

スキルを生かす道を選んだら自然に独立へ

 N氏はソフトハウスなどの会社勤めを経て,5年ほど前に独立した。独立した2年後に有限会社を設立したが,社員は彼一人で,今後増やすつもりもない。会社勤めをしていたときの取引先の知り合いから直接仕事を受注したり,フリー・プログラマの仕事仲間から仕事を融通してもらったりしながら,一人で設計からプログラミングまでこなして開発したシステムを納める。一つの仕事の期間はだいたい1~2カ月程度。基本的に,一人で丸抱えできるような案件か,自分が主導権を取れるような案件しか取らない。

 会社勤め時代の取引先から仕事を受注している,などと聞くと,会社勤めのころから人脈を広げて,独立する機会を虎視眈々と狙っていたように思われるかもしれない。しかし実際はまったく逆で,「営業はまったく他人任せで,受注した案件に自分がアサインされるところから仕事が始まる。自分はひたすらシステムを設計したり,プログラムを書いたりするのが楽しいのであって,それで食っていけさえすればいい。むしろ雇われている方が気楽に違いない」とずっと思っていたと言う。

 そんなN氏に転機が訪れたのは30歳代半ば,所属する部署が丸ごと別の会社に買収されたときである。あるとき,部署の新規案件開拓が思わしくなかったので,以前にN氏が同じ開発プロジェクトにかかわった会社の担当に話を聞きに行ったところ,仕事ならあると言われた。その内容は,C++のデスクトップ・アプリケーションやネットワーク・アプリケーションなど,受注しても,最初から最後までN氏一人でこなさなければならないものだった。

 この仕事を一人でこなして会社の売り上げに少しでも貢献する,という選択肢もあったのだが,「何かトラブルがあったときに組織としてフォローできないような仕事は,会社として受注するべきではない」と考えて,そうはしなかった。だが,会社では受けられないが一人でなら受けられる仕事がある,と分かった時点で,独立という可能性がぼんやりと見えてきた。

 N氏が独立を考えたもう一つの理由は,所属する部署での彼の仕事内容にあった。その部署は業務系SEが主体で,N氏一人が新技術をリサーチしてそれを現場にトランスファするような仕事を担当していた。N氏自身はその仕事に満足していた。こうした仕事は新技術が次々に出てきて,それを使いこなせないと食っていけないような分野であれば必要不可欠である。だがその部署では,むしろ枯れた技術を使った案件が多く,「自分は組織のお荷物になりつつあるのではないかと感じていた」。

 そこでN氏は,自分の顔を覚えていてくれそうな人を次々と訪問し,自分が受けられそうな仕事がどれくらいあるのか,直接仕事をもらうというスタイルで生活できそうなのかどうかを確認。独立に向けて歩き出すことになる。自分のスキルを生かせる場所を探した延長線に自然に独立という選択肢が出てきたわけで,最初から独立しようと狙っていたわけではなかったのである。

受ける仕事はできるだけ選ぶ

 フリーでやっていると聞くと,どんな仕事でも来たら受けると思われがちだが,N氏は,仕事はできるだけ選ぶようにしている。例えば,Javaならサーバー・サイドしか受けないし,LinuxならRed Hatでなければ断る,といった具合だ。自分の守備範囲をある程度決めることでノウハウが分散しないようにすると同時に,専門性を高めることによってどの技術が将来有望であるかを見極めやすくする。それによって,一つの技術で長生きできるようになると言う。

 特定の技術にこだわるには嗅覚が必要である。将来性がない技術に固執していたのでは,食っていけない。生き残るための嗅覚は“遊び”で培われる,とN氏は語る。Windows 3.1のころにNCSA MosaicでWebを眺めたり,自分でWebサーバーを立てて“遊んでいた”が,その遊びのおかげで大きなプロジェクトに参加でき,独立した後は,もっぱらこの仕事を通じて知った人たちとの縁で仕事をもらってきた,と打ち明ける。

 「会社勤めの時代よりも確実によい状態」と語るN氏だが,逆風もある。最近は大きな仕事がなかなか入ってこない,とこぼす。インターネット関連技術者の数が増え,それに伴って技術者の人月単価が下がってきた状態では,N氏のような単価が高い人に頼まなければならない仕事は少ない,というわけらしい。

 そんなときに頼りになるのは技術力だけではない。「仕事が少なくて知人の会社を頼っていったときに,社内でこなせるはずの仕事をまわしてくれたときには,『仕事っていうのは,こうやってもらうこともあるのだ』と感激した」。これまで他人の期待を裏切らない仕事をしてきた彼ならではのエピソードだろう。

 プログラマという肩書きにこだわりたいと言うN氏がその思いをまっとうできる様に祈るばかりである。

(中條 将典=日経ソフトウエア)