ADSLの上り方向(ユーザー宅から電話局向け)の速度がアップする。これまで下り方向(電話局からユーザー宅向け)の速度は,1.5Mビット/秒から8M,12M,24M/26M,40Mビット/秒超とステップアップしてきたのに,上り速度は8メガADSLサービスのときから1Mビット/秒のままで進歩がなかった。2003年11月,ADSL事業者のアッカ・ネットワークスとソフトバンクBBが上り速度3Mビット/秒のサービスを始めると発表。しかし,事業者間で上り拡張方式の取り扱いについて合意が成立せず,サービスはなかなか始まらなかった。

 それから半年以上。ようやくADSL事業者間の調整がつき,この8月から相次いで上り速度を拡張したADSLサービスが始まる。「ようやくスタートか」という印象を持った人もいることだろう。

 なぜ,こんなにもサービス開始が遅れてしまったのか。ADSLのスペクトル管理標準については,2003年5月に情報通信審議会管轄下のDSL作業班で一応の決着が付いたはず。それなのに,クアッド・スペクトル方式(下り40Mビット/秒超のサービス)や今回の上り速度の拡張方式など,新方式のサービス開始が取り上げられるたびに,議論が蒸し返されてきた。

 その原因はどこにあるのか。今回の議論の進展,決着した内容,さらに今後のADSLの進むべき道に関して考えたことを書いていきたい。

紆余曲折を経てようやく合意に達した上り拡張方式

 ADSLのスペクトル管理標準の議論は,2003年6月に舞台を情報通信技術委員会(TTC)に移し,これまで数多くの会合がもたれてきた。その内容は,TTCのWebサイト上に「議事録」としてまとめてあるので,興味のある方は見てみると面白いだろう。

 その流れを過去の掲載記事を基に簡単にまとめると以下のようになる。

・2003年6月:DSL専門委員会で下り24メガADSLの議論が始まるも紛糾

・2003年7月:スペクトル管理サブワーキング・グループ(以下SMSWG)で下り24メガADSLのサービス開始を合意

・2003年8月:SMSWGで下り40メガ超ADSL(クアッド・スペクトル方式)まで含んだスペクトル管理標準の改訂版を合意

・2003年10月:SMSWGで上り速度拡張方式(以下EU方式)の検討が本格的にスタート

・2003年12月:SMSWGでEU方式について長野県共同電算(JANIS)が反対。干渉度合いを計算するモデル自身に問題があると主張し,議論が紛糾

・2004年1月:SMSWGでEU方式の距離制限に関して意見が合わず,合意に至らず

・2004年2月,3月,6月:SMSWGで,スペクトル管理の判断基準となるモデルの見直しまで視野に入れた意見が出て,議論が進まず(2月の記事3月の記事6月の記事

・2004年7月:SMSWGで上り拡張方式を合意

 こうした経緯を経て,ようやく上り高速化版ADSLサービスが日の目を見ることになったのである。

既存のスペクトル管理標準より厳しい制限が付く

 では,今回決着した内容についてちょっと詳しく見ておこう。

 従来のADSL方式では,上り方向の伝送に26k~138kHzの周波数帯域を使い,1Mビット/秒の速度を実現していた。それに対してEU方式は,138kHz以上の帯域も上りに使うことで,最大5Mビット/秒の伝送を実現する。しかし,この帯域を上りの伝送にも使うと,隣接するADSL回線の下り方向の通信に干渉をおよぼす可能性がある。

 そこで,EU方式から干渉を受ける方式を8メガADSLの規格であるG.992.1Annex A,同Cとし,これらとEU方式を干渉の度合いを計算するJJ100.01第2版の計算式に当てはめた。その結果,G.992.1の下りで4Mビット/秒の速度が出る距離から500mを差し引いた距離を,EU方式でサービスを提供できる上限の距離としたのである。

 つまり,ADSLのEU方式はすべてのユーザーにメリットをもたらすものではない。隣接する回線への影響を抑えるために,電話局からの距離制限を設けたので,電話局から離れたところに住むユーザーは利用できない。スペクトル管理の考え方は現在の標準規格JJ100.01第2版の定める基準をベースにするが,実際にはそれより厳しい基準を設けて,EU方式に隣接するADSL回線の速度低下を極力抑えるという折衷案になったわけだ。

 ただし,これが最終結論ではない。SMSWGでは,2004年11月を目標にスペクトル管理標準JJ.100.01の第3版をまとめる予定だが,そこで計算式のモデルの見直しなどの課題を解決して,EU方式の最終的な取り扱いが決まることになるという。

スペクトル管理の議論がなかなか進まない理由

 ADSLのスペクトル管理について事業者間で足並みがそろわない理由は,大きく2つありそうだ。

 1つは,そもそもADSL事業者は相互に協力できる関係にないということ。特にスペクトル管理の側面で言えば,銅線を共用する他社が新しいADSLサービスを始めれば,その影響は自社サービスのユーザーに及ぶ可能性が常にある。スペクトル管理上,干渉の可能性が認められれば,なおさら新サービスに合意できない。さらに,自社のサービスに同様のメニューを用意できない場合には,新サービスの提供を容認する根拠は全くなくなる。

 もう1つは,ADSLの中核チップを開発するベンダー2社の機能拡張ステップがずれていることが挙げられる。国内の大手ADSL事業者の多くは,米コネクサントシステムズ(旧グローブスパン・ビラータ)製もしくは米センティリアム製のADSLチップを搭載したADSL装置を利用してサービスを提供している。この両社でチップの開発ステップが微妙にずれているのである。

 これについては,筆者の見方を交えながら具体的に見ていこう。