「まるで陸の孤島だな」――。ボウリング場やゲーム・センターを運営する山梨県内の企業,桂商事の尾形惠社長はポツリと言った。同社では,県内外で運営する8店舗のうち1店舗だけ,IP電話を利用できない。冒頭の言葉をもらしたのは,その理由について通信事業者の担当者からひと通りの説明を受けた直後だった。

 IP電話サービスは,社員数の規模で十数人の中小企業にまで普及し始めている。小さな雑居ビルに入居する企業にも,周囲を山々に囲まれた地方の企業にもIP電話が入り込んできた。その事例の数々は,日経コミュニケーションの最新号(7月15日号)に掲載した特集記事「うちは通信コストをここまで下げた!」で紹介している。

 桂商事もまた,全店舗でIP電話を導入し,電話にかかるコストを削減する予定だった。しかし,IP電話はブロードバンドと一体でなければ利用できない。音声品質を確保し,常に社外からの電話を着信できるようにするには,高速な常時接続の回線が不可欠だからだ。桂商事がIP電話を導入できなかった1店舗は,このブロードバンドの提供エリア外にあった。

 大企業から中小企業へとユーザー層のすそ野を広げつつあるIP電話だが,その動きが加速するほど,“安い電話”を使えない不平等感が広がる結果となりそうだ。問題の根源は,ブロードバンドを利用できない空白地帯が発生する「デジタル・デバイド」(情報格差)にある。

ブロードバンドの提供は義務ではない

 桂商事の1店舗がブロードバンドの提供エリア外となった理由は,線路状態が良くないため,十分な通信速度を確保できないから。ブロードバンドの主流となっているADSL(asymmetric digital subscriber line)は,収容局から延びる電話回線の距離や線路状況などに応じて通信速度が低下する。このため通信事業者は,十分な通信品質を確保できないと判断すればサービスを提供しない。

 もう一つ,別の理由から通信事業者がサービスを提供しないことがある。通信事業者は,加入電話については全国あまねくサービスを提供する義務を負っている。ところが,ADSLをはじめとしたブロードバンドについては,こうした義務を負っていない。このため,通信事業者はサービス提供に必要な投資費用を回収できないと判断すれば,無理をしてまでサービスを提供する必要がない。

 尾形社長は,後者の実態を身をもって知った経験を持つ。桂商事は,神奈川県相模湖町でもゲーム・センターを併設したボウリング場を運営している。もともと,相模湖町はブロードバンドの提供エリア外だった。そこで,地域住民がブロードバンドを誘致する署名運動を展開した。この結果,約300世帯の署名が集まった。相模湖町では,月額3万~5万円と提供エリアのユーザーよりも利用料が割高だが,NTT東日本のFTTH(fiber to the home)サービス「Bフレッツ」を利用できるようになった。

 こうした経験もあって,尾形社長は「店舗の先1kmぐらいのところには,ADSLが届いているんだが・・・」と悔しさをにじませる。冒頭の発言の後,尾形社長は目の前の担当者に「無線LANでも提供できないのか」と食い下がった。しかし,担当者は通信品質の維持が困難なこと,採算が合わないことなど,同じ説明を繰り返すにとどまった。

 桂商事が本社を置く山間の町,山梨県都留市は相模湖町よりも町の規模が大きい。「私一人が頑張って都留市内で300件の署名を集めるというわけにもいかない」と言う尾形社長は今,「情報通信政策を担当する山梨県の県会議員に相談して,なんとかブロードバンドが届くように働きかけている」。

ブロードバンドの有無が会社の将来性を左右

 桂商事がブロードバンドの引き込みに強くこだわるのは,IP電話のためだけではない。ゲーム・センターを運営する同社にとって,ブロードバンドの有無が会社の成長すらも左右する大きな要因になっているからだ。最近のゲーム機は,遠隔地のプレーヤとネットワーク経由で対戦できる機能を持っている。こうしたゲーム機は,これまでダイヤルアップ接続でネットワークにつなぐ「フレッツ・ISDN」に対応していた。

 しかし,ブロードバンドの普及に伴って,最新型のネットワーク対応ゲーム機ではイーサネットのLANポートを備えたブロードバンド接続に置き換わりつつある。ゲーム・センターが集客力を維持するには,常に最新型のゲーム機を設置する必要がある。しかし,最新型のゲーム機を設置するには,どうしてもブロードバンドが欠かせないという状況が生まれつつある。

 ブロードバンド対応のゲーム機は,1台で1日当たり平均4000円の売り上げがある。これを5台設置すれば,1カ月(=30日間)で計60万円の売り上げが立つ。しかし,ブロードバンドが届かなければ,この売り上げが丸々ゼロになってしまう。尾形社長は,「ブロードバンドが届かない以上,もはやゲーム・センターとして成り立たないのではないか」と不安を隠さない。

 総務省は6月10日,デジタル・デバイドの解消に向けた研究会「全国均衡のあるブロードバンド基盤の整備に関する研究会」を発足させた(関連記事)。発表資料によれば,「市」でのADSLの普及率は100%を達成している。しかし,その数字が実態を反映していないことは,ここに挙げた桂商事の例を見れば明らか。発表資料の数字は,「サービスが少なくともその地域の一部で提供されている」ことを前提にしているからだ。

 ブロードバンドは,電話だけでなく放送のインフラとしても用途を広げつつある。桂商事のようにユーザー自身が,ブロードバンドが生活や企業活動に欠かせないインフラだと気付くのも時間の問題だ。デジタル・デバイドが深刻さを増す前に,研究会には実態を正確に把握した上で,確実に実効力のある政策につながる方向性を打ち出してほしい。

 研究会は12月,最終報告をまとめる予定だ。

(加藤 慶信=日経コミュニケーション)