プロジェクトは難しい。特に新しいものを作るプロジェクトは大変である。自分自身が開発プロジェクトにかかわってみて,こうした当たり前のことを痛感した。

 開発といっても対象物は情報システムではなく,雑誌である。雑誌の開発は通常,短い場合は半年,長くても1年くらいで終わる。ところが今回はそうならなかった。筆者が新雑誌の開発を始めたのは2002年8月半ばから。その新雑誌はこの6月16日から書店で発売される。ざっと計算すると船出までに22カ月を費やしたことになる。実に長かった。

 これほど長くかかったのは開発を慎重に進めたから,と書きたいところだ。だが事実は筆者にプロジェクトマネジメント能力がなかったため,開発が遅れたのである。開発は2003年の初めから本格化し,筆者は2003年1月9日付の記者の眼に,新雑誌の予告を書いた(「エンジニアの皆さん,もっと経営者に意見しませんか」)。この記事に創刊時期は明記しなかったが,2003年の秋ごろには創刊したいと考えていた。しかし残念ながら越年してしまった。

 もっとも船出の時期を対外的に公表したのは今年1月になってからで,そのときは「今年6月創刊」とした。6月16日の発売にこぎつけたから,予定通りに進んでいると言い張ることもできなくはない。ここで思い起こすのは,筆者が日経コンピュータ編集部在籍時に担当していたコラム「動かないコンピュータ」である。動かないコンピュータを取材していたとき,取材先とよくもめた。

 ある企業が「2003年秋」に新システムを動かす計画で開発を始めたが遅れ,稼働が「2004年6月」になったとする。筆者は「8カ月遅れた。これは動かないコンピュータである」として,記事に書こうとする。企業側はこう反論した。「構想段階に稼働時期を2003年秋ぐらいと考えていたこともあった。しかしシステムの要件を固め,実際の設計作業を始めたときに正確なスケジュールを引き,2004年6月に稼働すると決め,経営会議で承認した。したがって今回の開発は計画通り進んでいる。あなたが言うような遅れはない」。

コミュニケーションが一番重要

 とにかく遅れは遅れである。最近人に会うたびに「自分でプロジェクトに取り組んで見たところ,うまく行かずとても苦労しました」と話している。すると取材先,とりわけIT関連企業の幹部は皆,非常に喜ぶ。中には「ざまを見ろ」と大笑されたコンピュータ・メーカーの最高幹部もおられた。さらに複数の方からは「顛末を書くべきでしょう」と勧められた。確かに人様のプロジェクトについて散々書いておきながら自分のことになると書かないのはまずかろう。

 新雑誌プロジェクトの経緯に関しては,ビジネスイノベーターや筆者のページである情識というサイトにあれこれと書いてきた。それらをまとめることもできるが,それよりも本プロジェクトから学んだ教訓(いわゆるLessons Learned)を抽出して,お伝えした方がよいと思われる。

 ただし現在は第二号を作る作業に入っており,一冊目の作業を反省する時間をなかなかとれない。プロジェクトマネジメントの知識体系には「プロジェクトの集結にあたってLessons Learnedを記述せよ」と書いてあるが,この作業がなかなか難しいことも分かった。

 現段階で「プロジェクトにとって一番重要なことは何か」と問われたら「一にも二にもコミュニケーション」と答えるつもりである。雑誌開発にかかわる人はたかだか10人前後。それでも難しいのだから,数百人,時には千人を動員して行われる情報システム開発プロジェクトになると一体どうなるのか。大規模開発の完遂は偉業であるとしか言いようがない。

成果物の定義がころころ変わる

 プロジェクトで重要なことの一つは,スコープの定義である。そのプロジェクトの目標を達成するためには何を仕上げなければならないかを事前に固めておく。成果物を明確にするという意味である。しかし今回の雑誌開発において,スコープの変化が非常に激しかった。

 今年1月21日,筆者のページである情識に「新雑誌開発顛末」という一文を書いた。2003年末に新雑誌の計画が一通りまとまったことを報告するためのものであった。恐ろしいことに1月21日から1カ月ほど経って,新雑誌の計画は大きく変化した。そこで顛末の一文を全面改稿して以下に再掲し,新雑誌の紹介としたい。

 新雑誌の名称は「日経ビズテック」,主題は「イノベーション(新機軸,新事業や新製品の創出を指す)」である(概要説明のページ)。こうしたテーマに関心のある方は本稿を読み進んでいただきたい。さて,先に引いた2003年1月9日付の記者の眼の中で筆者は次のように新雑誌を予告した。