携帯電話機に鉄道の定期券やクレジットカード,小銭入れ,会員証など様々な機能を盛り込んだ“電子財布”の実用化を目指して,巨人が動き出した。ソニーとNTTドコモは2004年1月7日付けで,携帯電話機向け非接触IC「モバイルFeliCa IC(仮称)」の技術提供会社「フェリカネットワークス(本社:東京都品川区,社長:河内聡一)」を設立した(関連記事)。

 同1月21日には資本金を60億円に増資し,モバイルFeliCa ICを管理するプラットフォームの設計に着手するなど,いよいよ内蔵端末に対応したサービスの商用化に向けて走り出した。

 NTTドコモは既にFeliCa関連の取り組みとして,モバイルFeliCa ICを内蔵した携帯電話機を27社のサービス提供事業者に提供しており,2003年12月17日から試験サービス「iモードFeliCaプレビューサービス」を開始している(関連記事)。サービス提供事業者はこの試験サービスでビジネスモデルなどを検証していく。

 2004年8月にはNTTドコモが商用サービスに移行させる予定であり,「試験サービスに参加している27社のサービス提供事業者も,大部分はそのまま商用化に踏み切る見通し」(フェリカネットワークス)という。

 一方でKDDIと日立製作所は2003年12月に,携帯電話サービス「au」向けに非接触ICを搭載した携帯電話機を開発した。日立製作所は現在フェリカネットワークスから,モバイルFeliCa ICの技術供与を受ける方向で交渉中である。KDDIはこの電話機で電子切符や店舗決済を実現する方針であり,非接触ICを巡る動向は一段と活発になってきている。

 しかし,携帯電話機にこのような短距離通信機能を付加して機能強化を図る動きは過去にもあった。90年代後半には,各国の大手情報通信メーカーが共同で2.4GHz帯の電波を使うBluetooth方式を提唱した。国内でもこのBluetooth方式を搭載した携帯電話やPHSの端末はいくつか発売されたが,どうやらこのままフェードアウトする気配が濃厚である。

 Bluetooth方式が普及しえなかった要因の1つに,通信事業者やメーカーが安価な代替機能として既存の赤外線モジュールを採用したことがあった。これからFeliCaが普及する上でも,赤外線通信は依然として強力なライバルとして立ちはだかる。

 筆者は基本的にはFeliCa対応携帯電話の普及を願いたい。しかし既に普及に向けた問題点が関係者から指摘されており,キラー・アプリケーションの不足に泣いたBluetooth方式と同様の道を歩む可能性もゼロではない。ここでは,あえて苦言を呈して,FeliCa支持の方々から反論をいただきたいと思う。

赤外線方式との“すみ分け論”は現実的か?

 iモードFeliCaプレビューサービスでは,交通機関の電子切符や,決済,各種ポイントやクーポンなどの会員向けサービス,チケット販売など,多種多様な一般消費者向けサービスが提供される。これらのサービスの中でフェリカネットワークスは,「まずは東日本旅客鉄道(JR東日本)が提供しているSUICAなどの電子切符サービスと,クレジットカード会社などが提供する電子決済サービスを確実に提供することを重要視している」という。電子切符はほぼ毎日使うサービスと想定される。また,電子決済はあらゆるサービスを提供する上での基本になる機能だからだ。

 ところがNTTドコモは2003年6月からビザ・インターナショナルや日本信販と提携して,赤外線通信機能を持つ携帯電話機を使った店舗におけるクレジット決済の試験サービス「VISAッピ」を開始している(関連記事)。またKDDIも同様の試験サービス「Kei-Credit」を,2003年3~8月にトヨタファイナンス,UCカードと提携して実施しており,2004年中の商用化を目指している(関連記事)。

 このように携帯電話での決済は赤外線通信によるものが既に準備中であり,FeliCaと競合しかねない。こうした見方に対して,,NTTドコモの立川敬二社長は1月7日の発表会の席上「FeliCaと赤外線は用途によって使い分ければよい」とすみ分け可能との見解を示している。

 両者の使い分けについて,NTTドコモと提携して両方の実験に参加している日本信販は独自の構想を打ち出している。同社は,大きな金額を扱うクレジット決済には赤外線方式を採用する。一方,コンビニエンス・ストアなど小口の決済が大半の環境では,FeliCaを採用して短時間で処理が終わるクレジット決済を実現したい考えである。

 こうした当事者たちが主張する“すみ分け論”に対して,外部からはうまくいくのか疑問の声が上がっている。「新しいクレジット決済方式を普及させるには,膨大な数の店舗に決済用端末を設置する必要がある。この作業はクレジットカード業界全体で推進するのが現実的であるため,最終的には1方式に絞って端末コストを下げたうえで普及させるという考えが主流になるのではないか」(業界関係者)という。

 このためフェリカネットワークスは,「店舗端末のコスト削減は喫緊の課題であり,早急に提携先を拡大するなどの方法によって,1台当たり5万円を切る価格を実現していきたい」としている。

 フェリカネットワークスの意向に対して,ビザ・インターナショナル・アジア・パシフィック・リミテッドは厳しい見方をする。「短距離通信方式に非接触ICを使う場合は,店舗用端末を1万円前後まで低価格化しないと普及が難しいだろう」という。現時点でFeliCaに対応した店舗用端末は数十万円のコストがかかる。一方で赤外線方式を使う場合,店舗用の端末(赤外線ユニット)は1万円強で導入できるようだ。このレベルまで安くならないと,多くの店舗で世界的に普及させるのは困難という考えである。

 このためビザ・インターナショナルは,「現時点では赤外線方式をより多くの店舗に普及させ,非接触ICは少額決済などに用途を絞って導入するのが現実的」とみているようだ。

最短距離のJRでも難しい経営判断

 これらの業界の見方から考えると,当初はやはり端末コストの低さに勝る赤外線方式の携帯電話向け決済が普及する可能性が高そうだ。また,クレジットカード会社が提案している少額決済にはFeliCaを使うという考え方は,決済処理時間を赤外線方式の場合より短縮できることから,一見は合理的な考えのように見える。しかし多少処理時間が長くても店舗端末の安さを優先したいという企業も多いだろう。

 仮にNTTドコモとソニーが店舗でのFeliCa対応端末の導入を促進するために,端末導入コストを一部補助するといった施策を講じれば普及が進む可能性はある。こうした施策抜きでは決済用途での普及へのハードルは高そうだ。

 こうした状況において,最もFeliCa対応携帯電話機向けのサービスを本格展開しやすいのはJRグループである。既に東日本旅客鉄道(JR東日本)や西日本旅客鉄道(JR西日本)が,FeliCaに対応した電子切符サービスを実用化しており,対応自動改札機を着々と増やしている。ゼロから新規設備を導入しなくてすむ分だけ,JRグループはFeliCa対応携帯電話機向けのサービスを導入するハードルは低い。こうした状況の中でJR東日本は,NTTドコモのiモードFeliCaプレビューサービスにおいて携帯電話機向けの電子切符「モバイルSuica」の実験を行う。

 JR東日本は,モバイルSuicaでしか実現できない機能を提供して,ICカード型のSuicaよりも利用者数を拡大したい考えである。具体的には,定期券や指定席券の購入や発券処理を通信経由で実現したり,プリペイドカードとして使う場合に料金のチャージを通信で処理するサービスを検討している。こうしたサービスが人気を集めて利用者が拡大すれば,JR東日本は定期券や指定席券を発行するための人件費を削減できたり,将来的にはチャージ用券売機の台数も削減できる可能性がある。

 だが,JR東日本はこうした導入効果を確信するにはまだ至っていない。同社内には「一部の先進ユーザーがICカード型からモバイルSuicaに移行するだけでは,新規システムの投資コストを回収できない恐れが出てくる」という慎重論も根強い。つまりJRグループがFeliCa対応携帯電話機向けサービスへ参入するには,店舗決済など他業界でもより多くの採用が進み,ある程度の対応電話機の普及が見込まれることが前提条件になりそうだ。その際には,先述したクレジットカード業界の見方が足かせになることとなる。

 NTTドコモの立川社長はフェリカネットワークスの設立会見で,「今回のモバイルFeliCaのような新規インフラ事業が立ち上がるには長い期間が必要だ。温かく見守ってほしい」と強調した。フェリカネットワークスの船出は決して順風満帆ではないことを,既に見通しているようだ。読者の皆様からもコメント欄を通じて色々とお知恵を拝借できると幸いである。

(稲川 哲浩=日経ニューメディア)