人工知能(AI)という言葉を聞いて,いかにも古びていると感じるか,懐かしいと感じるか。それとも,関心のない人が大多数なのかもしれない。「考える機械」なんて,アニメじゃあるまいし,日々の仕事にはおよそ関係がないし,1980年代に“AIブーム”がコンピュータ業界を席巻したことを知らない人が第一線で活躍する時代になって,昔話のようになってしまった面があることは否定できない。

 筆者は,「懐かしい」と感じる側にいる。最近になって,ロボットに関する話題を目にする機会が増えてきた。そこで昨年末,最新の研究動向を取材してみた。

二つの方法論がある

 全体の状況は,スイス・チューリヒ大学のロルフ・ファイファー教授(現在,東京大学特任教授として日本に滞在中)の次の言葉に要約される。すなわち,知能を実現する研究には現在「二つの陣営がある」。記号主義に基づく伝統的な人工知能研究と,80年代半ばに登場した「身体性(embodiment)」の考え方に基づく研究である。

 後者の分野については,新しいという意味で「new AI」と呼ぶ案もあったようだが,もう「AI」という言葉は使わない方がいいと言う研究者もいて,なかなか難しい。それはともかく,この新しい潮流は米国で生まれたが米国ではあまり広がらず,むしろ日本で盛んになっているのである。

 というわけで,AIの歴史を概略振り返りつつ,ロボットを中心に知識工学やゲームを含めて『日経バイト』2月号の特集としてまとめた。また,同じテーマでシンポジウムを1月23日(金)に開催する。記事とはあまり重ならない構成にしているので,ご参加いただければ幸いである。

環境との相互作用を重視

 さて,ロボットに代表される最近の研究に共通するのは,環境(周囲)と相互作用する単純なセンサー・アクチュエータ構造を基本とし,そのような単純な機能を組み合わせることによって,あらかじめプログラムされていない機能が「創発(emergence)」されるという考え方をとることである。新しい機能を生み出せないのであれば,知能とは言えないからである。

 あらかじめ定義されていない行動を生み出すものは何か。それは知能の側にあるのではなく,環境の側にあり,環境との相互作用によって表面化する。そのようにさせる情報を環境は持っているのである。心理学者のジェイムズ・ギブソン(1904~1979)は,そのような情報を「アフォーダンス(affordance)」と呼んだ。これによりギブソンは,心理学の分野で知覚に関してそれまでとはまったく逆の考え方を提唱することになったのだが,偶然か必然か,それが人工知能研究の新しい潮流の基底になってしまった感がある。

 環境(周囲)は自然だけでなく,人工物も含む。例えば,椅子には「座れる」というアフォーダンスがあり,それは人間と椅子の相互作用によって引き出される。本欄でもデジタル機器の使い勝手を問題にする意見が目につくが(関連記事1関連記事2),ここにもアフォーダンスの考え方を適用できるかもしれない。

ダーウィンの進化論とも関係?

 アフォーダンスは意外なところにも結びつく。ダーウィンは進化論をまとめた後,長い観察記録を著作として出した。芽生えた直後の幼根と子葉の動きや,ミミズが穴をふさぐ行動を,詳細を極める観察によって記録したのである。そこから分かるのは,生物の行動というものは,環境の多様性に対応して柔軟な振る舞いが発現したものだということである。それを何と呼ぶか。遺伝でもなく,試行錯誤でもない。単なる反射行動でもない。そして知能と呼ぶしかなくなるのである。

 ギブソンが創始した生態心理学の第一人者,佐々木正人東京大学教授によれば,一般的なダーウィン理解には偏りがあるという。「多様化→選択→適応」のプロセスで,「選択」の原理が強調されすぎているというのである。ダーウィンは,「変化するとはどういうことか,を問題にしていた」。常に流動する環境の中で不変なものは何か。それが「種」なのである。

 人間や動物の身体が技術を獲得していく。それは,環境(周囲)に意味を発見していくことである。つまり,「身体が一つの“種”として成長」していくのである。

 アフォーダンスを数値化して,それが最大になるようにユーザー・インタフェースを作るという研究の例もあるが,必ずしも工学側が全面的に採用しているというわけではない。例えば前出のファイファー教授は,その重要性を認めながらも,あまりに環境を重視しすぎることを指摘している。

 ともあれ,いますぐ役に立つかどうかばかりを問題にせず,たまには異なる分野に目を向けてみるのもいいのではなかろうか。違う視点を得るためにも,1月23日のシンポジウムを再度宣伝させていただく。

(石井 茂=編集委員室)