ちょうど1年前,2002年12月17日付の記者の眼で,Ethernetの歴史を紹介させていただいた。飲み屋でのちょっとしたウンチク話のネタにでも,という趣向だったが,今年なら“トリビア”と呼ぶのだろう。

 今回はその第2弾である。WWW誕生までの前史を紹介してみたい。日経NETWORK誌の2004年1月号(新春号)の特集取材で当時の開発者にインタビューできたので,それをベースに話をしよう。

 WWWの発案者はスイスの高エネルギー研究所CERNで研究に従事していた英国のTim Berners-Lee氏。これは多くの人が知るところ。彼が独自に開発したEnquireというハイパーテキスト・システムとインターネットを結びつけ,上司に提案した1989年3月がWWWの誕生である。

1960年代にはできあがっていたハイパーテキスト・システム

 しかし,WWWのベースとなるハイパーテキスト・システムは,もっと前からあった。

 史上初のハイパーテキスト・システムと言われているのは,米国の科学者Vanneuver Bush氏が第2次世界大戦終了間近の1945年に発表した論文にある。そこでは,マイクロフィルムに識別コードを割り当てて,文書から別の文書へたどっていけるような機械について説明していた。

 そして,1960年代に入って米国のDouglas Engelbart氏がハイパーテキスト・システムを具現化した「NLS:oN Line System」というコンピュータ・システムを開発した。Engelbart氏はマウスの発明者として知られているが,彼が作り上げたNLSというコンピュータ・システムは,今のWWWやパソコンの基盤となっている。

 彼は,第2次世界大戦中,米海軍でレーダー技師を務めていた。「レーダーのディスプレイがどのような原理で動作しているかを理解したら,レーダーの画面にはどんなものでも表示できると思ったんだ」と当時を振り返る。また,Engelbart氏は,Bush氏の論文を紹介した「Life」にも出会う。

 そして1951年,Engelbart氏は米カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得した。その後,同じカリフォルニア州にあるSRI(Stanford Research Institute)という研究所に移って数年の研究後,1つの論文を書き上げた。その題名はAugmenting Human Intellect:A Conceptional Framework。“Augmenting Human Intellect”とは「人間の知性の拡大」という意味で,コンピュータの力を借りて人間の知性を拡大しようという論文である。

 この論文でARPA(Advanced Research Project Agency)から研究資金を得たEngelbart氏は,Augmentation Research Center(ARC)という研究室をSRI内に設立した。そこで,「人間の知性の拡大」を成し遂げるための実際のシステム作りが始まった。1963年のことである。

 そこで開発されたコンピュータ・システムがNLSである。かなめはユーザー・インタフェース(マン・マシン・インタフェース)にあった。人間がその表示内容を指し示すことで,人間とコンピュータが対話するように操作するには,画面上の位置を自在に指し示せるポインタと,それを操作するポインティング・デバイスが必要だ。こうしてマウスが作られた。

 画面に表示されたテキストや画像をマウスで指し示す。コンピュータはそれに応答して,画面の表示内容を変化させる。こうしたコンピュータの使い方は,今では常識となっている。

 さらに,彼はディスプレイに表示する文書の表現方法にハイパーテキストを使った。戦時中に読んだBush氏の論文をヒントに,コンピュータ・ディスプレイを使ったまったく新しいシステムを作り上げたのである。ある文章の一部をクリックすると,別の文章を表示するシステムである。例えば,最初の一文を画面に表示し,それをクリックすると全文が表示される。文書中のリンクをマウスでクリックしながら,さまざまな文書を渡り歩く――。まさに,現在われわれがパソコンを使ってやっているWebアクセスそのものである

 NLSはマウスやハイパーテキストだけにとどまらず,現在のコンピュータの姿を先取りしていた。一例を挙げると,コンピュータの画面に複数のウインドウを表示させ,それぞれで別の処理を進めるマルチウインドウ。今のパソコンOSでは当たり前の機能だが,NLS以前のコンピュータは1つのプログラムが画面全体を占有していた。

実際のWWWはインターネットができあがる20年以上あと

 このNLSは,今のパソコンやWWWが使っているアイディアや要素技術のベースになった。以降のエンジニアに大きな影響を与え,パソコンを含む今のコンピュータの姿を作り出したと言えるだろう。

 しかし,NLSがそのまま発展してWWWシステムに進化することはなかった。NLSが発案されたのが,あまりにも早すぎたからである。

 WWWの実現には,ハイパーテキストの仕組みのほかに,それをつなぐための地球規模のネットワーク=インターネットが必要になる。しかし,インターネットの登場は,1970年代まで待たなければならない。インタネットのベースとなるプロトコルTCP/IPが完成するのは1978年。そして,大学や研究機関に普及するのは1980年代に入ってからだ。

 長い長い助走期間を経てWWWが誕生するのは,インターネットが作られたあとの1989年。その場所は米国カリフォルニア州から遠く離れたスイスのジュネーブである。

 少し長くなってしまったが,ここに紹介したのはプロローグに過ぎない。まだまだ書き切れていない面白い話はいっぱいある。ご興味があれば,日経NETWORK2004年1月号特集1『歴史を作った開発者が明かす Web躍進秘話――知られざるインターネット制覇の道のり』をのぞいてみていただきたい。

(三輪 芳久=日経NETWORK副編集長)