「小霊通」と書いて,「しゃお・りん・とん」と読む。PHSを意味する,この中国語を日本のメディアで目にする機会が増えてきた。いずれも「中国で時ならぬPHSブームが起きている」とする記事だ。11月22日付の日本経済新聞朝刊にも「中国でPHS『復活』」との見出しが踊っていた。「日本発の技術であるPHSが中国で急速に普及し,これに呼応して東芝や沖電気工業などの日本メーカーが部品や端末の増産に動いている」というのが趣旨だった。本当だろうか。

 北京に拠点を構える筆者は,こうした日本での報道に疑問を抱かざるを得ない。現地で中国のハイテク産業をウオッチしている範囲では,PHSの“ブーム”など起こっていない。

 「第3世代携帯電話(3G)前夜のあだ花」というのが,中国のPHSに対する筆者の率直な感想である。なぜ,こう判断したのか。日本とは大きく異なる,中国の携帯電話事情を紹介しながら,説明しよう。

13億人の市場をキャリア2社が独占

 まず最初に理解してほしいのが,中国の携帯電話市場における勢力図である。人口1億2000万人の市場で4社のキャリア(通信事業者)がしのぎを削る日本に対し,中国市場で携帯電話事業の免許を持つのはChina Mobile(中国移動通信)とChina UniCom(中国連合通信)の2社しかない。

 中国の人口は13億人,比較的経済力が高い沿岸部だけでも4億人を超える巨大市場である。今年10月には両社の加入者数は2億5000万に達し,固定電話を上回った。

 この巨大市場を独占できる中国移動と中国連通は相当オイシイ。2002年12月期を見ると,中国移動は売上高1286億元(1元=13円換算で1兆6484億円)に対して,最終利益は257億元(同3341億円)。利益率は20%に達する。中国連通も406億元(同5278億円)の全体売上高のうち,306億元(3978億円)を携帯電話で稼いでおり,46億元(598億円)の最終利益を計上している。こちらの利益率も10%を超える。NTTドコモ・グループ9社の2003年3月期は連結売上高が5兆7099億円,最終利益が4213億円だったことからも,中国のキャリア2社の利益率の高さがわかる。

 両社はこの利益をせっせと基地局などのインフラ整備につぎ込み,サービス・エリアを中国全土に広げている。上海では走行中の地下鉄の車内でも通話できるほどだ。中国移動は今年5月,エベレストの登山隊に自社の携帯電話を持たせ,「世界最高峰からの通話に成功」という宣伝までしてみせた。まさに「この世の春」をおう歌している状況だ。

 当然,中国移動と中国連通はPHSにまったく興味を示していない。両社が展開するのは,欧州や東南アジアなどで広く普及している,第2世代のGSM方式のサービスである(中国連通はKDDIの「cdmaOne」に相当するCDMA方式のサービスも展開している)。

固定電話事業者の窮余の策

 それでは中国における“小霊通ブーム”の立て役者は誰か。答えは固定電話の事業者である。中国の固定電話事業は南部地域をChina Telecom(中国電信)が,北部をChina NetCom(中国網絡通信)がほぼ独占している。日本におけるNTT東西地域会社のようなものだ。

 固定電話事業の先行きが不透明なのは,中国も日本と変わらない。固定電話事業者2社は,大きな収益が見込める携帯電話事業への参入を以前からうかがってきた。しかし中国の通信行政を管轄する「信息産業部」は各キャリアの業務範囲を厳格に規定しており,固定電話事業者には携帯電話事業の免許を交付しなかった。

 窮余の策として中国電信と中国網通はPHSを担ぎ出した。当局を刺激しないよう,ここ1~2年で地方部から順次サービスを展開してきた。それも「PHSは無線方式による市内の固定通信網の延長」という珍解釈によるもので,「行政指導を受けたら終わり」というグレー・ゾーンのものだった(現在は信息産業部も両社のPHSサービスを追認している)。

 固定電話事業を手掛ける両社にとって,PHSサービスはインフラ整備コストを削減できるというメリットもあった。なにせ中国は広い。未曾有の好景気に沸く沿岸部も中国なら,電話線に「電線盗むな――これは光ケーブルです。盗んでも銅は採れません」とただし書きがしてある中国西部・陜西省の農村地帯も中国である。人口密度や所得水準も低い過疎地や島しょ部などで電話網を確保するには,費用や管理の負担が固定電話より軽いPHSはうってつけだ。

 中国電信と中国網通のPHSサービスは陜西省・西安や四川省・成都など地方の主要都市で着実に加入者を獲得してきた。味を占めた両社は昨年から今年にかけて広東省や北京など沿岸部の大都市でもサービスを開始,着実に加入者を増やしている。すでに加入者は2000万を超え,来年には3000万が確実視されている。米UTスターコムをはじめとする3~4社が寡占していたPHS端末市場に,民族系の携帯電話メーカーが参入する動きもある。

やはり「携帯電話並み」を求める利用者

 だが,日本の報道にあるような大ブームをPHSが中国都市部で巻き起こしているわけではない。中国の有力経済紙『21世紀経済報道』によると,西部の主要都市である陜西省・西安の利用者は43万~45万加入をピークに横ばい状態が続いている。「ここ数カ月は解約者数が新規加入者数を上回っている状態」という。首都・北京でも苦戦している。『北京現代商報』は「中国網通は北京で35万個の電話番号を用意し,申し込みがあればいつでも利用可能な状態にしているが,現時点での利用者は11万にとどまる」と報じている。「北京で年内50万加入」という当初掲げた目標には遠く及ばない。

 都市部におけるPHSサービス伸び悩みの原因は,値段以外に売り物がないことだ。確かにPHSは安い。端末は400元(1元=13円換算で5200円)程度から入手できる。1000~2000元はする携帯電話の半値以下だ。通話料も携帯電話の8分の1程度と安い。北京の場合,市内通話で最初の3分が0.22元。これに対して携帯電話は市内通話で1分0.6元(中国移動の「神州行」サービスの場合)する。

 さらにPHSサービスには着信料がかからない。日本と異なり,中国の携帯電話は着信側にも1分0.6元(神州行の場合)の料金が請求される。これが利用者の不満を呼んでいるのは言うまでもない。

 だが,安いだけで通用しないのは,日本も中国と同じ。「安かろう,悪かろう」では,中国の消費者はもう飛びつかない。上海のように,現在のところ郊外だけで,市内中心部で利用できない地域も多い。

 「『通話が頻繁に切れる』,『調子が悪くなったときのサポート拠点が見つからない』など,評判は芳しくない」。ある携帯電話メーカーの開発責任者は,北京のPHS事情をこう説明する。「『それを承知で安いPHSを買ったんじゃない?』と利用者に聞いても納得していない。やはり携帯電話と同列に考えてしまうようだ」と続ける。

 まさにデジャブ。“ブーム”と日本のメディアが騒いでいる影で,中国の小霊通は,日本のPHSとまったく同じ道を歩もうとしているのだ。前述のように中国市場は日本と比較にならないほど大きいので,携帯電話の補完的役割に徹してもPHSは一定のビジネスになるだろう。だが,その先行きは決して明るくない。

 何よりもPHSサービスを手掛ける固定電話事業者自身の腰が据わっていない。11月中旬,北京で開催された無線通信関連の展示会「PT/WIRELESS & NETWORKS COMM CHINA 2003」で中国網通のPHS担当の説明員は,「3Gのサービス提供に向けて移動体通信の経験を積むためにPHSサービスを展開している」と本音を漏らした。

日本メーカーも冷静,既存投資で小幅対応

 日本の報道では,PHS特需に沸いているはずの日本メーカーもこうした事情は承知している。筆者が取材した範囲では,PHSのために新規の設備投資をしている日本メーカーは皆無だった。「既存のシステムLSI生産能力のうち,PHS部品向けに割り振る比率を増やしている程度」(東芝),「EMS(電子機器の製造受託サービス)事業者に生産を委託することで増産分をまかなっている」(沖電気工業)など,あくまで小幅な対応にとどまる。

 今後の見通しに関しても,「固定局の代替としての需要が地方で見込まれるが,大都市での売れ方は疑問。一本調子で伸び続けるとは思わない」(沖電気)といった意見が大勢を占める。「当面,中国のPHS事業は堅調に推移すると見ている」とする三洋電機はむしろ少数派だ。同社はPHSの基地局や端末を生産・販売するほか,UTスターコムに対する技術供与によるライセンス収入も得ている。「基地局の売上高は2003年度(2003年4月~2004年3月)見込みで435億円。2002年度に比べ91.3%増に拡大する」とする。

 総合的に判断すると,中国の小霊通ブームは一過性のものに終わりそうだ。過疎地での需要やオフィス内PHSといった用途は別にして,公衆サービスとしてのPHSは数年後に3Gが普及した暁には中国でも存亡の危機に立たされることになろう。日本のように,データ通信に活路を見出す道も考えにくい。中国では町中至る所に1時間1元程度で利用できるインターネット・カフェがあり,完全に市民権を得ているからだ。PHSのデータ通信はコスト面でインターネット・カフェの勝負にならない。

 「PHSは日本発の技術だけに残念でならない。中国でのPHSブームがもう少し早かったら・・・」。かつてPHS事業を展開していた,ある日系の携帯電話メーカー幹部はこうこぼす。「PHSの技術は確かに優れたものだ。しかしGSMがここまで広がってしまった今では経営資源をGSM,そして今後の主流である3Gに振り向ける判断をせざるを得ない」。

 最低気温が氷点下となり,街がすっかり色あせた北京の地でふと考える。日本発の通信技術がこの中国の大地で春を迎え,色鮮やかに花開く日は果たして来るのだろうか。

(金子 寛人=北京支局特派員)