米マイクロソフト日本法人の平井康文取締役エンタープライズビジネス担当は「マイクロソフトは挑戦者だ」という。この謙虚な表現は,本社のビル・ゲイツ会長が最近,発した「他の者から尊敬されたい」との言と似ている。“傲慢”という枕詞は今のマイクロソフトには不適切かもしれない。

 それは昨年から今年にかけての一連の施策が証明する。マイクロソフトは経営構造を7つのビジネスユニットに一新。これまで重きを置いてこなかった財務統制を厳しくし,株主に配当金を払い始めた。従業員に対しても,ストックオプションを廃しリスクのない制限付き株式に切り替えるとともに,評価尺度を顧客満足度に置くなど報酬制度を変えた。日本法人の幹部が「当社のためにではなく,顧客のための会社になる」と話すように,これらはみな実際的で賢明な措置だ。

 だがそれは,マイクロソフトへのこれまでのような期待が褪せ,伸びが衰え始めた今の“時代”に同社が一歩,道を譲ったということでもある。スティーブ・バルマーCEO(最高経営責任者)は社員に向けた電子メールで,組織や財務を転換したのは「マイクロソフトを野心的にし,伸びる市場のサイクルへ向かわせるため」とした。しかし,同社の富と権勢をもってしても,この挑戦は手強いものになりそうだ。

 独禁法から放たれたマイクロソフトは,ちょうど20年前の米IBMと酷似し,その後の10年のIBMを振り返れば,いかに変化が難しいかが分かる。約20年前,IBMは米司法省との30年戦争から解放され,立ち上がろうとしていた。当時のIBMはメインフレームで市場を独占し,膨大な利益を上げていた。2002年に世界のIT市場に占めるIBMのシェアは9%に過ぎないが,80年当時のそれは43%もあった。

 マイクロソフトも現在,パソコン用OSや個人向けソフトで独占を享受している。だが,メインフレームのIBMがすぐさま,マイクロプロセッサ革命によるダウンサイジングに直面し,10年後の93年には80億ドルもの巨額赤字企業に転落した。今のマイクロソフトはLinuxに足下をすくわれようとしている。こうした盛者必衰を見てきたゲイツ氏やバルマー氏は,IBMを他山の石として320億ドル企業に成長したマイクロソフトを立て直そうとする。ゲイツ会長はこう言う。「変えるチャンスは目の前にある」と。

 バルマーCEOは6月,社員向けメールで「新しい飛躍的な技術は当面登場する気配がない。Linuxの脅威が迫っている今,我々は,顧客が求めるものを我々が既に持っていることを強く顧客に訴えなければならない」と叱咤した。強敵ひしめく企業市場攻略に向け,ソフトの見せ方を個別ではなく,一貫性,統合性,連携性,接続性,早い話がバンドル戦略によって売り込めという指示だ。

 ソフトのスタック(階層)は複雑性を増し,IBMや米サン・マイクロシステムズ,米オラクル,富士通など,大手ベンダー各社は自社ソフトの守備範囲を拡張し,調整済みのソフト群を風呂敷に包んで顧客に届ける動きを見せている。「行き過ぎたオープンの揺り戻し」とも言えるが,顧客はベスト・オブ・ブリードの選択肢を奪われ,危険性と利便性の綱引きになる。

 こうなると,いかに多くの優秀なパートナーを持つかが販売を左右する。平井取締役は「我々の強みはパートナーにある」と自信ありげだ。米市場で成功したマイクロソフトとの合弁を,アクセンチュアの村山徹社長が「日本での展開もあり得る」とほのめかす一方,ITアナリストは「マイクロソフトは96年にNTTと組んだWINEプロジェクトを蘇生させる」と見る。WINEは当時,NTTのISDNが貧弱なために失敗した。だが今や,光ファイバー,人口3万人以上の都市にありサーバーファームに転用可能な空き家同然のNTT局舎,ソリューションに目覚めた東西NTTの法人営業の組み合わせは魅力だ。加えて平井取締役には,日本IBM時代にNTT営業統括部長だったという人脈もある。

(北川 賢一=日経ソリューションビジネス主席編集委員)

この記事は,日経ソリューションビジネス 2003年10月30日号のコラム「乱反射」より転載したものです。