日経コンピュータは今年これまでに,「メインフレーム」をタイトルに据えた特集を2本掲載した。1本目は3月24日号の『5年後,メインフレームはなくなる』,2本目は9月22日号に掲載した『メインフレーム大解剖』である。

 いささかお恥ずかしい内輪話だが,筆者は3月の『メインフレームはなくなる』の編集部内での合評で,執筆を担当した記者に「このタイトルを付けるには,肝心の大前提に説得力が足りない」とかみついた。問題視したのは“なくなる”前提とした五つの要因のうち,「オープンシステムが性能・信頼性ともにメインフレームに追いついた」というくだりである。

 『メインフレームはなくなる』では「ユーザー企業やメインフレーマ各社に聞いた結果,大ざっぱにまとめると」,メインフレームを100としてオープンシステム(UNIXサーバー)が「性能:100,信頼性:80~95,コスト:70~100」まで追いついた,と書いた。だが,これ以上に突っ込んで“追いついた”論拠は示さなかった。

 そんな経緯もあって,「オープンシステムはどれだけメインフレームに追いついたか」を掘り下げてみたのが,9月の『メインフレーム大解剖』特集である。技術的な側面に絞って「オープンシステムとメインフレームの違い」を浮き彫りにすることができたと,一応自負している。

「リンゴとミカン」が「リンゴと姫リンゴ」に近づいた

 『大解剖』の記事をまとめてみて感じたのは,メインフレームを追い落とそうとしているオープンシステムが,全社規模の業務インフラとしてここ数年で長足の進歩を遂げたことである。メインフレームが約40年がかりで培った,停止しないための「信頼性」技術,CPU/メモリー/入出力資源を仮想サーバーとして切り分け,負荷に対して最適に配分する「広義の可用性」技術を,オープンシステムがどんどん導入したためだ。

 日経コンピュータのミッションからすれば,今回のようなレベルで「オープンシステムはどれだけメインフレームに追いついたか」を掘り下げる記事は,5年ぐらい前に掲載しているべきだっただろう。しかし(言い訳にしかならないが),その当時のオープンシステムとメインフレームを比較する試みは,「リンゴとミカン」「バスと自家用車」を比べるようなもので,とても共通のモノサシで議論できるとは思えなかった。MIPS値や記憶容量や外部バス速度といった“定量的な”モノサシで比べても,それらの数字にどれほどの意味があるのか,書き手として納得できなかった。

 今回『大解剖』してみて,両者が“比べられる”距離に近づいていたことをはっきり感じ取った。まっとうな意味で「違い」を書ける,ということは,両者の基盤に共通の問題認識がある,ということである。現在のオープンシステムとメインフレームには,確かに共通の問題認識がある。「リンゴと姫リンゴ」の比較ぐらいに近づいたと言える。

「なくなる」と考えるのが当然だ

 3月の特集記事『メインフレームはなくなる』で日経コンピュータが“なくなる”と明言したのは,「シングル・ベンダー独自の技術だけで作り上げた世界というメインフレームの“概念”」であり,「独自OSと独自ミドルウエア,COBOLプログラムという3点セットで構築された既存のソフトウエア資産」である。IBMのzSeries富士通のGSシリーズ日立のAPシリーズNECのパラレルACOSシリーズユニシスのClearPath Plus Serverシリーズという,現在の「メインフレーム製品」の各シリーズが5年後には壊滅している,という意味で“なくなる”と書いたわけではない。

 「オープンシステムとメインフレームの混在運用は負担が大きすぎる」「メインフレーム技術者が不足する」「メインフレーマ自身が基幹系まですべてオープンシステムで構築しようとしている」。「UNIXベンダーによるメインフレーム撤廃サービスの登場」は別として,3月の特集で挙げた“なくなる”要因のうち三つは,否定することも転換することもできない事実である。

 そして,企業が今後も絶えざる競争にさらされる(政府・自治体も,市民からの厳しい評価と正当な要望に即応しなければ信任されなくなる)とすれば,情報システムは機動的な戦略変更に即応して,より短期・低コスト・反復的改善が可能な形で構築されなければならない。これはまさに「オープンシステムの文化圏」である。新規システムの基盤としてメインフレーム(の文化圏)が選ばれる可能性は,絶望的に小さい。

 まっとうに考えれば,メインフレームは「オフコン」と同じ道を歩むと考えるしかない。オフコンは,現在でもIBMのiSeries富士通のPRIMERGY 6000NECのExpress5800/600シリーズによって,その“レガシーな”ソフトウエア資産が継承されている。だが,もはやこれら各社の製品シリーズを,横断的に「オフコン」と称することはない(日経コンピュータの記事にこれらの製品が登場する時に限って,「オフコンの後継機」などと書かれる程度だろう)。個々の製品シリーズは生き残っていても,オフコンという市場セグメントは“なくなった”のである。

すでにメインフレームは「なくなった」

 そうして見ると,「シングル・ベンダー独自の技術だけで作り上げた世界」「独自OSと独自ミドルウエア,COBOLプログラムのソフトウエア資産」としてのメインフレームは,市場セグメントとして“すでに存在しない”と言うべきかもしれない。

 確かに,「オフコンの後継機」が独自のプロセサ,独自OSを放棄した(IBMのiSeriesと富士通のPRIMERGY 6000は独自OSを積んでいるが)のに対して,メインフレーム製品の主力は,まだ独自のプロセサ,独自OSに立脚している。だが小型メインフレームはすでに,NECのi-PX7300ユニシスのCS7201(ともにインテル製プロセサを採用),日立のAP7000(IBMのUNIXサーバーと同じPower4+プロセサを採用)が,独自のプロセサを放棄している。

 何よりも,IBMのzSeries以外のメインフレームは,“レガシーな”ソフト資産の継承以外の役割が,ベンダー自身からほとんど与えられていないという点で,「オフコンの後継機」とほとんど同じ状況である。『大解剖』のメインフレーム特集で,結局zSeries以外のメインフレーム製品を取り上げなかったのは,このためである。しかも残念なことに,これら取り上げなかったメインフレーマからは,筆者のもとに「なぜ当社のメインフレームを無視した!」という抗議すら来なかった。

 メインフレームが,“レガシーな”ソフト資産の継承だけで生き残れる可能性も低い。メーカー団体の電子情報技術産業協会(JEITA)が2003年6月に発表した「メインフレームの利用に関する調査報告書」によると,メインフレーム・ユーザー476社中,既存のメインフレーム・アプリケーションを今後も(一部はオープンシステムで再構築しても)主にメインフレームで利用し続ける,という回答は55%。今後メインフレームを増設ないし新機種に更新し使い続ける,という回答は47%しかなかった。大型機や複数台のメインフレーム・ユーザーは増設・更新を予定する比率がやや高いが,それでも60%には満たない。

 JEITAによれば,2001年度のメインフレームの国内出荷実績は約4800億円2002年度は約3700億円しかない。米IBMはzSeriesの開発にあたって,z900にもz990にもそれぞれ約1000億円を投資したという。海外市場からほとんど撤退してしまった国産メインフレーマが,この小さくかつ縮小しつつある市場だけのために,どれほどの開発投資をできるだろうか。

 そのzSeriesはといえば,これは『大解剖』でも書いた通り,オープンシステムの文化圏への侵略に照準を定めて,他のメインフレーマとは全く別の方向に走り始めている。z/OS上のUNIX互換環境の実現(これは先代のOS/390からだが),Linuxの搭載に始まり,「ギガヘルツ・クロックのプロセサ」,「64ビット・アドレッシング」,「高速化のためのスーパースカラー技術の採用」など,オープンシステムの文化圏での競争を強く意識した技術を次々と導入している。

 オープンシステムの世界のソフト資産は,極論すれば「安価な主記憶を湯水のごとく使い,高クロックかつクロックあたり実行命令数の大きいプロセサをブン回す」「ファイルは主記憶のバッファに書けば出力完了。空き時間にディスク装置に書いておけ」という論理で組まれている。「高価な主記憶やプロセサ資源を浪費せず精密に割り当てる」「きっちりディスク装置に書き込み終わるまでの全体で“性能”を考える」メインフレームから見れば,“こんな乱暴なプログラムと相性がいいはずがない”シロモノだ。IBM以外のメインフレーマが,これをメインフレームの世界に取り込もうとしなかったのもうなずける。

 ともかく,もはや2003年現在においてメインフレームという市場セグメントは存在せず,「巨大なオープンシステム」と化したIBM zSeriesと,残り各社の「メインフレーム後継の大型サーバー」製品があるだけ,という見方も可能なのだ。

メインフレームは「不滅」

 だがしかし,である。へそ曲がりかつ保守的な筆者としては,こんな誰にでもわかる結論で終わるのは,口惜しくて許せない。牽強付会は承知の上で,「メインフレームが不滅」になるストーリを考えてみた。すべてのメインフレーマが残らぬまでも,少なくとも数社が「シングル・ベンダー独自の技術だけで作り上げた」「独自OSと独自ミドルウエア,COBOLプログラム」の世界を維持していける仮説である。

 第一のカギは「コスト」である。メインフレームは高い,という前提が崩れれば,状況は大きく変わる。メインフレームは「そもそも大きい」「定価が明確でない」ために,オープンシステムより高価だと信じられていた。悲しいかな,これは現在も変わっていない。だがここ数年で,「姫リンゴ」レベルに追いついてきたオープンシステムも,「大きくて定価が明確でない」ものになり果てた。良貨が悪貨に駆逐されようとしている。

 結局は,インテグレータがどちらのプラットフォームを使って,ユーザーにより低コストなソリューションを提供できるか。それだけのことだ。

 大規模・複雑な企業の基幹システムをオープンシステムで構築するとなれば,ハード/OS/DBMSをはじめ,技術要素の組み合わせは爆発的に増える。その検証にかかるコストは,これまで“戦略的に”ベンダーやインテグレータによって吸収され,ユーザーに転嫁されずにきたが,永遠にこれが続くわけがない。

 次々と新製品・新バージョンが投入され,常に最新版を使わないとセキュリティ・ホールの危険性が高まるオープンシステムの世界で,「過去に検証された組み合わせ」の流用が通用する期間は,たかが知れている。そして「膨大な組み合わせの検証」は,決して低価格化することのない“高いスキルの技術者”による,人手の作業に大きく依存する。

 むろん,特定のベンダーの“オープンシステム”製品に統一することで,膨大な組み合わせの検証は回避される。だがそれは「シングル・ベンダー独自の技術だけで作り上げた“準メインフレーム”の世界」である。メインフレームが高くつくというのが本当なら,同じように準メインフレームも高くつくのが当然。「オープンシステムが安価」なのは,小規模・単純なシステムに適用した場合だけの話。それにユーザーが気づけば,議論の前提が大きく変わる。

 もう一つのカギは「短期・反復開発への対応」である。これは,現在の短期・反復開発を取り巻く環境を見る限り,メインフレームにとって致命的な難問だ。まさにJava/UNIX(Linux),ないしは.NET/Windowsの文化圏なのである。

 最も単純な解決策は「オープンシステムで開発し,メインフレームで実行する」ことだ。だがオープンシステムで開発される成果物が“乱暴なプログラム”である限り,それをメインフレームで実行しても使い物にはなるまい。IBMがzSeriesで採用したように,メインフレームに「オープンシステムの文化圏の技術を取り込む」しかないが,それには大きな開発投資が必要になる。

 この問題をひっくり返す仮説としては,「短期・反復開発は,高いスキル・高い給与の限られた技術者集団以外では不可能」となってニッチに追いやられ,逆に「ウォータフォール型/COBOLプログラム開発なら,(若い開発者は減少しても)これからますます供給が増える熟年(リタイアした)開発者によって,相対的に低コスト・安定的に開発できる」ようになることぐらいしか,筆者には思い浮かばない。牽強付会にもほどがあるし,ユーザー企業にとっては決して歓迎できない仮説だが。

(千田 淳=日経コンピュータ副編集長兼編集委員)