「こんな直し方をされても,納得できません。元の文章のほうがいいと思います」──

 入社3年目のとき,1年目の後輩が書いた記事に赤入れをして,こう言われたことがある。記事といっても,IT関連機器の新製品の紹介文でわずか200文字ほどのもの。「書ける文章量が少ないのだから,競合製品にもある基本的な機能を列挙するのではなく,特徴を優先して書くように」。こんな当たり前のことを指摘した。

 ところがその後輩は,「私が読者なら基本的な機能が書かれている方が分かりやすい」と切り返してきた。この反論にムッと来て,「勝手に自分自身を基準にするな。とにかく言うことを聞けよ」と叱責したところ,後輩は席を立ってどこかに行ってしまった。冒頭の言葉は,そのときの後輩の捨てぜりふだ。

指導する側にも原因がある

 この話を聞いて,どう感じただろうか。「その程度の後輩なんか取り立てて言うほどのものか。うちの後輩なんか・・・」と,共感してくれた人も少なからずいると思う。

 少し前,取材先のITエンジニアにこの話をしたら,こうぼやかれた。「上司や先輩に頼らなくても,雑誌や本で技術知識を仕入れるようになったせいか,人の言うことを聞かない後輩が増えてきた。たまに腹に据えかねて怒鳴ってやろうと思うことがあるけれど,うつ病になられても困るから,自重しなきゃならない」

 一方で,「後輩の態度はともかく,指導する側にも問題があったはず」と考える人もいるだろう。恥ずかしながら入社9年目の今になって,ようやくそのことに気が付いた。

 思い返してみると,その後輩は当時1年目だったから毎日,困ったり悩んだりの連続だったと思う。しかし筆者はというと,日ごろ後輩の様子を気にも掛けなかった。冷たい先輩だったと思う。さらに筆者自身が半人前で,しばしば上司に絞り上げられていたから,後輩からすれば頼りない先輩に見えたに違いない。つまり先輩として,後輩の信頼をまったく得ていなかったわけだ。にもかかわらず急に上司に指導を命じられ,後輩の言い分をあまり聞こうとせず一方的にダメ出しをした。後輩が怒っても仕方がない面があったかもしれない。

指導方法を考えるベースに

 指導が上手く行かない原因が自分にもあると考えるようになったのは,日経ITプロフェッショナルの9月号で「部下・後輩の指導」をテーマにした特集を担当したことがきっかけだ。それまでは,後輩への指導のために何かを学んだり,やり方を工夫しようなどと真剣に考えたことはなかった。

 その特集で柱に据えたのが,OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)に有効な指導の理論と手法をまとめた「コーチング」と,感情の動きに着目して対人関係を深めるための考え方「EQ(Emotional Intelligence Quotient)」の2つである。どちらも指導方法のマニュアルではなく,部下や後輩に対する適切な指導方法を考えるベースとなるものだ。

 コーチングは,現代の企業が求めるようになってきた「自発的に問題を見いだし解決できる人材」の育成を目的とした指導方法である。「こうしろ,ああしろ」というような指示命令を下すのではなく,部下や後輩が自ら考えたり行動するように仕向けて,対話を通じて問題を発見したり解決できるように誘導する。

 「いったい,何が問題かな」「では,どうすればいいと思う」「ほかの解決方法はないか」といった具合に,指導は問いかけが中心となる。部下や後輩が壁に突き当たっていたとしても,いきなり解決策を与えることはしない。ヒントを与えたり,思考過程の誤りを指摘したりしながら,あくまで部下や後輩の“気づき”を促す。

 「そんなことは必要に応じてやっている」と思うかもしれないが,コーチングでは相手の性格や気質によってタイプに分けて,それぞれのタイプに応じた質問の方法,褒め方などを体系立てて整理している。ここまで考えて実践している人は,そう多くないだろう。

感情の状態に注目する

 一方のEQは,対人関係における感情の役割に注目してコミュニケーションを円滑にする理論や手法をまとめたものだ。相手の感情を正しく理解したり,状況に応じて自分の感情をコントロールすることで,適切に指導できるようにする。

 EQは「感情は人の行動に大きく影響する」という考えを前提としており,外部からは分かりにくい相手の感情を,行動に注目することで理解できるとしている。どんな行動をするときにどういう感情の状態になっているかという“法則’は,日ごろ部下を観察して見つける必要がある。例を挙げると,部下がいつものような元気な挨拶をしなくなった場合,「落ち込んでいる」「悩んでいる」「怒っている」といった感情の状態になっているかもしれない。

 そんな状態で無理に指導しても効果は望めないだろう。そこで,そうした感情を生んでいる原因を推測して取り除く必要がある。EQではその具体的な方法を提示していないが,その際に気を付けるべきポイントを挙げている。それは相手の感情の影響を受けて,自分も怒ったり落ち込んだりしないようにすることだ。そういう状態に陥ると,適切な対処方法を考えられないからである。

指導は自分のため

 正直に言うと筆者自身かつては,どことなくうさん臭さを感じて,コーチングもEQも敬遠していた。ただし今は「食わず嫌い」だったと反省している。特集の取材を通じて,考えを改めざるを得なかった。

 コーチングはNECや日本IBM,日本ヒューレット・パッカードをはじめとして管理職向けの研修に導入する企業が相次いでいる。EQはコーチングほど導入企業は多くないが,導入した1社であるNECでは「研修終了後のアンケート調査では『参考になった』という回答の割合が,全研修プログラムの中で最も多い」(人事部の石山恒貴 労政エキスパート)と評価が高い。

 もちろんコーチングとEQを学んだからといって,すぐに適切な指導ができるようになるわけではない。部下や後輩に合わせてやり方を工夫し,自分の指導のスキルを高めていく必要がある。ただしその際に,コーチングとEQという基本となる指導の考え方を身に付けていることは大いに役立つと確信している。

 「指導のために何かを勉強している時間などない」とは思わないでほしい。今回の特集では,熱意を持って部下や後輩の指導にあたっているITエンジニア20人以上に取材したが,すべからく仕事に前向きで優秀な人ばかりだった。「寸暇を惜しんで部下を指導するのはなぜかって? 考えたこともなかったな。強いて挙げれば,自分のためだよ」。取材したあるITエンジニアの言葉である。

(中山 秀夫=日経ITプロフェッショナル)