「IPセントレックス」というキーワードを見聞きすることが増えてきた。先週7月2日から4日まで日本コンベンションセンター(幕張メッセ)で開かれた「Networld+Interop 2003 Tokyo」でも,あちこちのブースで目にした。それにしても,IPセントレックスとはなんだか分かりづらい単語である。筆者も始めて聞いたときは,なんのことやら分からなかった。

 IPセントレックスとは企業向けの電話サービス。オフィスの電話をつかさどる構内交換機(PBX)を自前で持たずに,サービス提供会社の電話交換サーバーを用いる。これによって,PBXの管理コスト,所有コスト,通信回線費用などを削減するというものだ。東京ガスが年間10億円のコストをIPセントレックス導入によって5億円削減する,ということで一躍注目を集めた(関連記事)。

 「電話は総務部の仕事。自分の(もしくは自分が関係する)情報システム部には関係ないさ」とお考えの読者もいるかもしれない。ところが,電話もIT化の波を受け,情報システム部の皆さんのお知恵が必要になる時代になってきた。それを端的に表す単語が「VoIP[用語解説] 」である。音声信号をデジタル化して,IPパケットの上に乗せて,LANや回線を通そうというものである。

 これまでは,音声をデータと一緒に扱うのは,オフィス間を結ぶ回線に限られていた。音声は何kbps,データは何Mbpsと帯域を分けて時分割多重装置(TDM)に流し込んでいた(ATMを使っているところもあるだろう)。ところが,VoIPになると,音声とデータを区別することなく企業内ネットワークを流せるようになる。情報システム部が電話の面倒もきちんと見なくてはならなくなるのだ。

 情報システム部の皆さんだって,何も仕事を増やしたくはないだろう。ところが,この厳しい経済情勢の折,全社的な経費削減を求められている企業が多いのではないだろうか。経営層が「よし!ウチもIPセントレックスで5億円削減だ」と突然,言い出す可能性がある。すると総務部の手には余り,情報システム部の出番となるのである。こう言ってしまうと後ろ向きかもしれないが,電話と情報システムを統合した新たなアプリケーションが生まれる可能性もある。そこで今回の記事では,コンピュータ的視点から,IPセントレックスにアプローチしてみよう。

 補足:「音声とデータを区別することなく」と 述べたが,社内ネットワークの混雑具合に応じては,音声とデータを区別して, 音声パケットの優先度を上げて,音声が途切れないようにするといった 対策が必要になる。これこそ,情報システム部の出番だろう。

PBXの前に“元祖”セントレックスがあった

 実は,1980年代にはIPが付かない“元祖”セントレックスが存在していたという。伝聞形なのは,筆者が社会人になった1980年代末には目にしなくなっていたからだ。元祖セントレックスは「ビル電話」と呼ばれることもあった。いずれにせよ,セントレックスという単語は昨日,今日,生まれてきた単語ではない。

 オフィス内に複数台,電話機があれば,それぞれの電話線を当時の日本電信電話公社の電話局からひっぱってくる。その電話機のあいだで電話を取り次ぐには,電話局側にある交換機を用いて,交換する。それが1980年代のセントレックス・サービスだった。局側(center)で交換(exchenge)することからセントレックス(centrex)と名付けられた。セントレックスが出てきたころの交換機は普通のオフィス・ビル内におけるほど小さくはなかった,ということもあるのだろう。

 ところが,その後,交換機の電子化が進み,普通のビル内に置けるような装置が開発された。PBXの誕生である。企業は交換機を自前で持たなくてはならなくなるが,PBXはセントレックスに比べて,使い勝手が良く,セントレックスを置き換えてしまったという。

IPセントレックスはASP

 それから20年。21世紀のセントレックスは,今度はコンピュータの顔をしてやってきた。IPセントレックスの交換機はIP網につながったサーバー(IPセントレックス・サーバー)である。電話線はつながない。IP電話機をIP網経由でつなぐ(図1)。元祖セントレックスのコンセプトを引き継ぐのは,交換機はオフィス(ビル)内に置かず,サービス提供会社のIP電話網の中にある,という点だ。


図1●IPセントレックスを用いた社内電話システム 複数の拠点があれば,やはりIP電話網に接続して,IPセントレックス・サーバーを用いる。
IPセントレックスを用いた社内電話システム

 これまでのPBXを用いた図2と比較するとお分かりいただけるように,図1ではPBXを中心とした内線,外線がIP網(LANまたは回線)に置き換わっている。内線通話では社内LANの中でVoIP化した音声データのやり取りが行われる。外線への通話は,サービス提供会社のIP電話網を経由して,通話先の最寄りのゲートウエイで固定電話網に接続する。


図2●PBXを用いたこれまでの社内電話システム 複数の拠点がある場合は,専用線などで接続していた。
PBXを用いたこれまでの社内電話システム

 こうしたやり取りをつかさどるのがIPセントレックス・サーバーである。このサーバーは,通常の交換機やPBXのように音声データそのものを交換するわけではない。電話番号とIP電話端末のIPアドレスの変換をするサーバーである。音声データは,IP電話機間あるいはIP電話機とゲートウエイの間でピア・ツー・ピア通信でやり取りされ,IPセントレックス・サーバーを経由しない。あくまで制御を行うサーバーである。

 IPセントレックスは見方を変えると,ASP(Application Service Provider)が提供する音声サービスである。「米国ではIP電話はASPの1つのサービスというとらえ方が主流」という(米Sylantro SystemsのPete Bonee社長)。IPセントレックスをASPサービスととらえれば,PBXを所有せずに,機能を利用して,使用料を提供会社に支払うというビジネス・モデルが,すんなり理解していただけよう。

 サービス提供会社は1台のIPセントレックス・サーバーで,複数の企業に対してサービスを提供することにより,コスト削減を図れる。より高い料金を出してくれるユーザーに対しては,1社1台の専用サーバーを用意して,ユーザーの要望に応じた独自機能を実装することも考えられよう。この点は,Webホスティング・サービスをイメージしていただければ,ご理解いただけよう。

オープンシステム

 もう1つの視点は,ベンダー固有のシステムから,オープンシステムへの移行である。これまでPBXは,NEC,日立製作所,富士通といったNTTに交換機を納入していたメーカーが中心に提供していた。これらのメーカーは,PBX本体から電話端末まで自社の独自仕様システムで固めていた。

 IPセントレックスでは,標準化されている通信手順を用いるため,原理的には他社の機器も接続できるようになる。特にIP電話機は海外も含めいろいろなメーカーが製造を始めている。これまでは電話システムは閉じたシステムだったが,オープン化の波が押し寄せてきたのである。

 追い風となるのは,ユーザーからの値下げ圧力だ。ユーザーからの値下げ要求に応えるためには,自社製品よりも安い他社のIP電話機があったら,それを選択せざるを得ない(もちろん機能的に要求仕様を満足している必要があるが)。

 もっとも,同じ通信手順を採用しているからといって,それですぐにIPセントレックス・サーバーに他社のIP電話機がつながることはまれだ。現段階では規格書の解釈の違いなどによって,微妙な差異がある。このため,完全に動作するためには調整作業が必要になることがある。

 家庭では,電話機をそこらへんで買ってきて,電話線につなぐと使えるのは当たり前である。これに比べるとIPセントレックスはそこまで成熟していない。なんとも,コンピュータ的な感じがしないだろうか。

 もっとも,電話の世界では,ベンダー独自仕様のコンピュータをUNIXサーバーやPCサーバーなどを中心としたオープンシステムに置き換えてコストを1ケタ削減,といった華々しいコスト・ダウンは望めない。

万人向けではない

 こうしたコンピュータ・システムとの対比でIPセントレックスを説明してみたが,少しは身近に感じていただけるようになっただろうか。ところが,IPセントレックスはどの事業所でも,メリットのあるソリューションかというと,そうではないのである。

 IPセントレックスではいくらPBXをなくしたとしても,電話機は必要になる(パソコンを電話機代わりにできなくはないが,そこまで先進的なユーザーはまれだろう)。IPセントレックス・サーバーはIP網につながっているため,電話機もIP網につながるようにしなくてはならない。2つの手法がある。1つは電話機そのものをLANにつながるIP電話機に取り替えてしまう。もう1つは既存の電話機にアダプタを付けてLANにつながるようにする。家庭用のIP電話と同様の方法だ。

 ここで新たにコストが発生する。電話機を交換,あるいはアダプタを付加する費用を,他の部分でのコスト削減で相殺できるかがポイントになる。IPセントレックスでコスト削減しやすいのは

  1. PBXの台数が多い
  2. 内線化したい拠点の数が多い
  3. 内線通話が多い
  4. 外線数が多い

といった場合である(日経バイト2003年7月号「遙かなりIP電話時代」参照)。つまり大企業ほど,IPセントレックスに向いているということだ。

それ以外の選択肢

 このように,IPセントレックスは万人向けのソリューションではない。キーワードとしてIPセントレックスばかりが吹聴されており,キーワード先行のきらいがあるのではないだろうか。ベンダーのマーケティング戦略もあるだろう。

 IPセントレックスが万人向けではないとすると,小規模なオフィスには,電話コスト削減の手段はないのだろうか。電話機を総取っ替えしなくても済む方法として,個人向けIP電話サービスと似た法人向けIP電話サービスの利用がある。

 内線網からPBX(あるいはボタン電話の主装置)までは既存設備のままで,PBXから外線に行く部分をIP電話化する(図3)。こうしたニーズに応えるために,PBXからの複数本の電話回線をIP電話化するためのアダプタをNTT東日本や田村電機,ヤマハなどが販売している。これによって外線発信の電話代を削減できる。


図3●法人向けIP電話サービスの利用 VoIPアダプタでPBXの 複数の外線をIP網に乗せて,IP電話サービスを利用する。個人向けIP電話 サービスをこのような形で利用できる場合もあるかもしれない。
法人向けIP電話サービスの利用

 補足:IP電話サービスで,IPセントレックス・サーバーに相当するサーバーはコール・エージェント(CA)と呼ばれる。通信手順としてSIPを用いる場合はSIPサーバーと呼ばれることもある。なお,広い意味ではIPセントレックス・サーバーはコール・エージェントに含まれる。

 もし,内線接続していないため外線でかけていた他の拠点があれば,そこもIP電話化することによって,相互の通話料は無料になる。個人ではコスト的に考えにくいが,電話を良く利用するオフィスなら小規模でも,IP電話のためだけにADSLを導入しても,メリットは出てくるだろう。

 また,IP網に接続する機能を備えた「IP-PBX」も製品化が進んでいる。既存のPBXにモジュールを追加して,IP網接続機能を付加することもできる。

安くなるだけか?

 こうしたサービス/製品を用いることにより,オフィスの電話コストは削減できそうである。VoIP技術は20世紀の技術だが,ようやく実用になってきた。とは言え,値下げ,コスト・カットばかりでは,経済は縮小していくばかりである。

 テクノロジは新しい価値を生み出すことにも使っていきたいとIT Proの読者もお考えだろう。コンピュータ化した電話システムに付加価値を与えるのはこれからである。

 1つには,プレゼンス機能と呼ばれる,ある人がどこに,どういう状態でいるのかという情報との統合である。相手の居場所に応じて,内線電話をかけたり,電話中であればインスタント・メッセージを送ったり,外出していれば携帯電話を鳴らしたりといったことも可能だ。

 補足:もう少し具体的な例は日経バイト2003年7月号の特集「遙かなりIP電話時代」に記載したので,お時間があったらご覧いただきたい。

 こうなると,音声データは社内ネットワークを飛び交うし,パソコンとの連携も必要になってくる。オフィスの電話のみならずコミュニケーション・システムを変革するのは,総務部ではなく,やはり情報システム部の皆さんではないだろうか。

(和田 英一=IT Pro副編集長)