「万引とか従業員の不正防止なんて大声では言えないでしょう。でもICタグの利用を検討している第一の狙いはそこにあります。経営者にも費用対効果をはっきり説明できますし」――ICタグについて取材していると,あちこちの取材先からこうした本音が聞こえてくる。

 ICタグとは,ごま粒大のIC(集積回路)チップと無線通信用のアンテナで構成する超小型の装置のこと。チップに記録したデータを読みとるための「リーダー/ライター」と呼ぶ装置とともに利用する。身近な例として,JR東日本の乗車券「Suica」がある。Suicaは「タグ(札)」の形をしていないものの,チップとアンテナを内蔵している。個々の商品にICタグを付ければ,「Suicaを持った商品が動き回る」ことになる。あちこちに「改札(リーダー/ライター)」を設置しておけば,商品の所在を確認できるという理屈である。不正に商品を持ち出そうとしてもチェックされる。

リスク・マネジメントの道具として位置づける

 米国ではこの1月,かみそり大手のジレットが「5億個のICタグを単価10セント未満で購入し,商品のパッケージ一つひとつに取り付けて実験をする」と発表し,世間を驚かせた(あまりの個数の多さと金額の低さに,実現可能性を疑問視する向きもある)。ジレットは実験目的として,「店舗における効率的な商品補充」を掲げている。同時に,万引きや従業員の持ち出し,取引先からの不正納入を防止するといった目的があることも明らかにした(日経コンピュータの関連記事)。

 万引防止策を見てみよう。ジレット商品を陳列する棚には,ICタグの有無を感知して,チップに格納したデータを読み取る装置を取り付けておく。こうすることで,陳列棚に並んでいる商品一つひとつの動きをつかめるようになる。商品棚にはディスプレイも設置する。顧客が商品を棚から取り出すとメッセージが表示される。例えば,いきなり製品を10個も取り出すと,「『Mach3』を10個お買い上げいただきありがとうございます」とメッセージが出る。万引きしようとしていた人が,ギョッとして商品を棚に戻す。こうしたことをジレットは期待している。

 さらに顧客が一度に大量の商品を陳列棚から取り出すと,売り場に設置したカメラで顧客の写真を撮影して,警備員が持つ情報端末に転送。その顧客が会計せずに店舗を出たら声をかける,といったことも検討する。

 ジレットは,この実験をサプライチェーン全体のリスク・マネジメント・プロジェクトをとして位置づけている。プロジェクトでは,チェーン全体のどこにリスクがあるかをまず洗い出した。その一つは商品到着時。納品受け入れ場所にICタグの読み取り装置を置き,所定の数量が納品されてきたかどうかをチェックする。

万引きした書籍の転売を不可能に

 ICタグを使うと,これまで不可能であった盗品の転売防止にも取り組める。最近問題視されている書籍の万引を例にとろう。発売されたばかりの人気タレントの写真集が書店から次々と姿を消し,数日後に古書販売店に並ぶ。これはよく聞く話である。もちろん発売直後に古書販売店に並んだ写真集がすべて盗品だとは言い切れない。とはいえ消費者が古書販売店に持ち込んだ書籍の販売ルートを特定できていない以上,盗品を含んでいる可能性は捨て切れない。

 ICタグを書籍に張り付けておき,書店側は売れた商品の番号を古書販売店に公開する(日経コンピュータの関連記事)。古書販売店は顧客が書籍を売りにきたとき,その場で本のICタグの番号を読み取り,書店が公開している番号に該当するかどうかを調べる。一致するものがあれば買い取るが,もしなければ「盗品の疑いがある」として買い取りを拒否できる。買い取ってくれないことが分かってくると,少なくとも転売目的の万引は抑えられそうだ。これまで企業は万引対策として,店舗にビデオカメラを設置したり,万引防止用の警報装置を導入してきたものの,防ぎ切れていないのが実情である。

 このほか食品業界を見ると,商品のトレーサビリティが重要テーマになっている。いったいどこで採れ,どんな原材料を用い,どのような流通経路を経た食品なのかをICタグを使えば把握できるようになる。製薬業界からも,同様の使いみちを期待する声が聞こえてくる。例えば三菱ウェルファーマは,医薬品のパッケージなどにICタグを取り付けることを考えている。「医薬品を製造してから患者に提供するまでの経路を完全に追える可能性が出てくる」(般谷徹 営業本部医薬統括部門流通推進部課長)と語る。カバンなどのブランド品なら,模倣品の摘発に使えそうだ。

標準化の動きが相次ぐ

 複数の企業がICタグのデータを利用するためには,データをやり取りする仕組みや,ICタグに格納するデータの記述形式を標準化する必要がある。そのための標準化組織が現在,主に二つ存在する。一つは,欧米企業が中心になって1999年に設立した「オートIDセンター」である(日経コンピュータの関連記事)。オートIDセンターは今年1月22日,慶応大学湘南藤沢キャンパス内に国内初となるICタグ関連の研究/開発拠点を設置した。もう一つは,3月11日に発足した国内企業が中心の「ユビキタスIDセンター」(日経コンピュータの関連記事)。いずれもICタグを業務に利用するときの規格策定を目指している。

 両センターが標準化を進めている規格は少しずつ異なる。例えば,オートIDセンターの規格ではICタグに格納するデータを96ビットのコードとして記述するが,ユビキタスIDセンターでは128ビットで記述する。オートIDセンターはインターネットの利用を前提にICタグを利用する仕組みを検討しているのに対し,ユビキタスIDセンターはインターネットに接続せずICタグを使うことも考えている。

 こうした違いがあるものの,業務への適用という面では,今のところ二つの標準化団体に大差はないとみるべきだろう。先に挙げたジレットや書店におけるICタグ利用の例は,どちらの規格でも実現できると考えられるからだ。

課題は多いが,応用範囲は計り知れない

 標準化以外にも,ICタグにはまだ多くの課題が残されている。たとえばプライバシやセキュリティの問題であり,ICタグのリーダー/ライターの読み取り/書き込み精度の問題である。このほか,「手術室には当然,医薬品がある。ICタグを使うときの電波によって機器の動作に影響が出ると危険だが,現段階ではこの点について研究されていない」(三菱ウェルファーマの般谷課長)といった指摘もある。

 課題は残すもののICタグには,大きな期待がかかる。ICタグの応用範囲は実に広い。最初は,本稿の冒頭でも述べたように不正防止やトレーサビリティといった企業にとってリスクの大きい分野から普及が始まるが,徐々にカバー範囲を広げていくだろう。巷で言われているように,ICタグにより企業から消費者へと流れる商品一つひとつの動きや,流通の過程をきめ細かく把握できるのは確かだ。その結果,欠品を防いだり品質を保証して,顧客満足度の向上を図れる。商品の入出荷にともなう検品作業や店舗における会計処理を自動化して,社内業務の効率を高められるといった利点も期待される。

 あるいは,思いもつかないような応用事例が今後出てくるかもしれない。幸い,ICタグはメモリーとデータ入出力用アンテナで構成したシンプルな装置。汎用性に富み,さまざまな分野に応用が利く。知恵を出し合いビジネスにつなげるのは,まさにこれからである。

(栗原 雅=日経コンピュータ)