【筆者から読者へ】
 正直いってびっくりした。3月18日付でIT Proに掲載した「ゲイツ氏の“授業参観”で考えた,IT教育のあり方」に寄せられたコメント数の多さにだ。公開後1日あまりで50件を超えるコメントが寄せられた。まず書き込みをしてくださった読者の方に厚くお礼を申し上げる。

 もう一度びっくりした。一つひとつのコメントを熟読したところ,非常に建設的なご意見・ご提案が多数あったからだ。「小学校で教えるべき内容」や「先生方のスキル向上」から「大学におけるエンジニア教育のあり方」まで,いずれも示唆に富むものだった。

 拙文の最後に記した「皆さんも一緒に考えてほしい」との呼びかけに,皆さん真摯に応えてくれた。この熱意をムダにはできないし,したくもない。取材を重ね,再度「IT教育のあり方」について記事を発表したい。それまでに自説をもっと練り上げておくことを約束する。

 掲載時期に関するコミットはご容赦いただきたい。本業である日経コンピュータの仕事の合間を縫って,取材,および思考と執筆の作業をすることになるからだ。できれば桜の咲くころ,遅くとも連休前には何とかしたい。だが,週末もロクに子どもの相手ができない状況で,時期を明言するのは危険だろう。

(星野 友彦=日経コンピュータ副編集長)



【読者から筆者へ】
「ゲイツ氏の“授業参観”で考えた,IT教育のあり方」に対して,IT Pro読者の皆様から3月20日までにいただいたコメントをご紹介します。新たなご意見や,このようなところを取材してみては,といったご提案などございましたら,本記事末の「FeedBack!」欄をご利用いただくか,メールをIT Pro編集部あて(iteditor@nikkeibp.co.jp)にお送りください。メールの場合は,題名に「ITと教育係あて」とお書きいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

◆コンピューター教育は「ワープロや表計算ソフトを使うことを教えることではない」に賛成です。昔、Logoでタートルグラフィックスを用いてコンピューター教育を行っている学校がありましたが、コンピュータは教えられたとおり(Logoの命令通り)にしか動かない、という基本から始めるべきではないでしょうか。

◆ITは道具だから、もっと時間がたってから教えればよいという発言が多いのがちょっと気になりました。 ITを情報を得る道具として考えるのであれば、それは本や新聞なども同じですよね。情報の質がいろいろなのも、本質的には同じだと思います。「IT」という手段のみを特別扱いするのは、どうかと思います。 ITか書籍かに関わらず、入手した情報を整理して自分で考える能力が大事なのは、もちろんそのとおりだと思います。 ITを使う云々という方向のではなく、情報を整理し、判断する能力をどう教えていくかという方向の議論が重要だと思います。

◆結コメントを読んで感じたのだが、学校、特に小学校におけるIT教育ではキーボードを使わせないでペンによる入力機器(そういう機材はあります)のみで作業を行わせるほうがよいのではないか。また、切り取りやコピー&ペーストの機能を制限したPCのみを教育現場に導入したほうが、現行のIT教育で発生している問題を小学生に理解させ、かつ思考に必要な経験も手に入れられるのではないか。キーボードでコピー&ペーストを使うのは中学生からでも十分に間に合うと思う。

◆私もこういうことが気になって、自分の息子の小学校で、1年間ボランティア補助をしたことがある。 ソリティアを延々やらせていたりはしなかったが、子供が興味を示しやすいタイピング・ソフトが導入されていたりするのも事実。「インターネット(Yahooキッズ)」と「エンカルタ」を利用し、調べ物をするというのも同じ(例えば修学旅行先について)。 先生自体のIT習熟度が一定ではないから、毎月必ずPC授業があるクラスがあれば、年に数えるほどしかPCにさわらないクラスもある。どちらがよいかは、現時点では何もわからない。 「きちんとした自分の考えを文章としてまとめる能力を訓練」するというのは、大切なこと。PCにさわる前に、もっと教えるべきこと、子供がやるべきことがあるという指摘はその通りだと思う。

◆何か新しいことがでると決まってそれを否定的に捉える人種がいる。問題提起は勿論結構なのだが、往々にしてそれは為にする否定。最初に否定ありきの論が多い。失礼だが今回のこの記事も私にはそのように受け取れた。子供達をもっと信用して自由にあそばせて良いのではないかと思う一人です。インターネットについて子供達はいろんな使い方をするのではないか。それを大人の心配で先にブロックするのは良くないのではないか。勿論問題は色々あるのです。しかしそれは、その問題が子供達にもはっきり見えてきて、考えられるようになってから子供達と一緒に考えるべきだと思います。大人が先回りしてするのは良くない。たとえ先が見えていてもです。大事なのは、子供に悪いことをさせないことではなく、悪いことを理解させることだと思うからです。

◆まさにそのとおり。 IT教育とは、例えばIEの使い方を教えることなら、なにも本屋の使い方のプロになることにどんな必要性を見出すというのか? なお、ITが叫ばれてから丸写しが進んだのではなく、知っているということは引用であるとでも思っている人が多いのも事実。人の意見を知って、感じて、意見を述べるから新しいものも生まれるが、知ったで終わっては進歩はない。それで、最先端だと思うってある意味こっけいである。

◆そろばんの授業が日本全国共通だったように、パソコンの授業も国で教育内容を定義すべきです。IT(情報処理技術)教育という呼び方もおかしいです。そろばんのようにパソコンの基本操作と使い道を教えればいいだけです。ここに書き込みをしている父兄の方々はパソコンを知っている方です。でもパソコンを知らない親がどう感じているかも議論すべきです。そうするとローマ字かカナかなんて議論はどうでも良いと思うはずです。情報の取捨選択能力もインターネットに関係なく現実でもあることです。図書館を利用しても結果は同じです。調べてレポートを書けという安易な授業がいけません。ワープロ、表計算などの使い方から始まって、インターネットはネチケットなどのルールから教えないといけません。自分は小学校4年からBASIC言語でゲームを作っていました。昔はパソコンに何をやらせるかを考え、パソコンを使うこととはクリエイティブなことでした。小さい頃からホームページ検索のように情報の受け身の味を覚えることはTV漬けの子供より危険だと思います。

◆星野氏の意見に私も賛成します。IT革命という言葉に惑わされていることが多すぎると感じております。特に、地方自治体で推進しているIT推進施策は多くの場合、PCを導入すればよいとしか考えていないように感じられます。重要なことは、インターネットの便利さだけでなく、それによって得られる情報をいかに活用するかの能力を習得させるこが重要だと考えています。恐らく、ITを推進している大人がこの問題について、問題意識を持っていないように思われます。

◆信頼性が怪しいのは、インターネットから得た情報だけではないんですけどね。・IT 教育がワープロや表計算を使いこなせるようになることとは違う、ということには同感。ただ、こうも変化が速いと「普遍的なスキル」はキーボードに慣れることぐらいしかないような気もしますが。

◆カナ入力こそ、実践的であると思うが、いったい何を考えているのやら。PCのキートップに印字されているアルファベットとカナの両方を憶えるなんて、それこそ小学生にとってはなんでもないこと。それを凝り固まった「自分流」を押しつけて良しとしている教員がいるというコトに、慄然とする。(キー入力をしている総人口中、最も多く使われているのは、ケータイなどでのテンキーを利用したカナ入力です)あなたはローマ字で物事を考えますか? それとも、日本語で考えますか?

◆小学生の調べものの授業は、パソコンがない私(31歳)の時代から文献からの「貼り付け」が主な成果物でした。▼判断力、論理思考力,表現力、重要です。そして、これらのものは、正確な基礎知識の上に立脚するもので、これなくして「情報の取捨選択」ができるようになることはありません。また、事実と推測と自分の意見を分けて考える訓練も必要と思います。▼「情報にふりまわされない」「情報の取捨選択」の必要性は、子供だけの問題だけでなく大人にもいえます。また、どなたかの意見にもあった通り、ITにかぎったことでもない。今の子供の教育の問題だけでなく、われわれ大人の問題としても捉えるべき課題と感じました。

◆教室に必要なのは鉛筆定規紙などの用具であって、そろばん・電卓・電子辞書・PCなどの道具は不要です。筆算の仕方や本・辞書の活用方法(もちろんスピードは遅いですが)を教え、スキルアップさせ、活用し内容を考えさせるのが教育です。自分の体で会得した知識の集積が大切で道具を使った効率アップは大人になれば誰でもできます。もちろん教材としてPCをとりあげ利用方法やそれをささえる科学技術・ソフト・言語の世界を教える事は良い事です。

◆こんな話,べつにITに限ったことじゃないでしょう.草木の名前すら満足にいえなくなった私たちの世代から観れば,「相変わらずマスコミって表面的なことしか記事にしないのだなぁ」とおもうだけ.それを「事実」と言うマスコミの再教育から再スタート!

◆ 実際に教育現場にPCを納めている会社に勤めてる身として、興味深い記事でした。 この業界に踏み入ってまだ浅いですが、各学校を訪問して思ったことは、お世辞にも教師の方々のITに対する理解度は高くないということです。各学校「情報担当」の教師がいらっしゃるのですが、他に適任者がいなくて仕方なくやっている所も少なくありません。「インターネットに繋がらなくなった」というコールを受けて行ってみれば、HUBのケーブルが抜けていた、ということもあります。 小学生の身分から授業でPCを触らせることについては何とも言えませんが、やらせるからには教師の方々のITに対する意識をもっと強めていただきたいとは思っています。

◆日本の教育と言うかトレンドは、手段を重視する傾向にある。ITしかり、英会話しかりだ。手段をいくら向上させても、真の能力はそれほど変わらない。何で、これが分からんかね。

◆IT教育に関する誤解(というより無理解)が、教育現場に蔓延していることは間違いがない。パソコンを理解活用できない先生が、パソコンの授業をやっているのだから、仕方がないことだろう。 IT教育は必要なものだとは思う。娘は小4で幼稚園からパソコンを使い1年生からパソコンの授業を受けている。しかし、その為か紙で字を書く、文章を推敲する、正しい感じを覚え使う、といったことが面倒な作業のようだ。私自身、パソコンづけの生活であるが、本を読んで勉強してきた人間として、IT時代の基礎教育について見直す必要も感じている。

◆この記事の範囲とはずれるかもしれませんが、コンピュータを教育にどのように活用していくかということは、いろいろ議論したいです。皆さんの意見を拝見しますと道具の操作の習得ではなく人間として成長するための基本を大事にしたいという気持ちはおおむね同じ意見のようです。ただ、コンピュータとネットワークによる新しい局面、一人一人により密着した指導ができそうなこと今までコミュニケーションがとりにくかった地方と地方の子供たちが情報交換が可能になりそうなことこれらを踏まえた話に進んでいけたらと思います

◆▼久々に考えさせられる良い記事を読みました。コメントの多さにその反響がうかがえます。このテーマは殆ど論議されることが無かったのではないでしょうか。次世代を担う若い芽をどう育てていけばよいか、もっと論議される問題だと再認識しました。▼道具は使えることは教えれば誰でも覚えますが、やはり考える力を醸成するための教育が大切なのでしょう。▼ITという切り口で記事を書かれていますが、ITだけの面でなく学校教育の改革もっと極端に言えば、教える教師側の教師改革が必要なのではないかと思います。▼ともあれ、教師側にももっとITの知識を必須にする必要があるのかも知れませんね。現状IT教育の先生のレベルはどうなっているのか、かなり興味があります。

◆IT教育って必要なのでしょうか? 道具(機械)は必要が生じた時に学べば良いのでは?。一律的にPCを弄れる様になっても、PCが将来も今の形である保証もありません。まして、ソフトの操作法など論外です。Web世界を無条件に是とする子供の世界観の形成が恐いです。これはTV報道等についても同様です。可能な限り自分で判断し体験し・・また他人の「知」も学び自分の物とする。いつも自分の子供に「なぜそう考えた?」と問い掛けています。(2児の子を持つSE)

◆私は小学生段階ではあまり深刻に考えなくて良いと思います。とにかく、PCを使わせて、楽しくて便利なものだと感ずるだけでいいと思います。ただし、始めからローマ字入力というのは大賛成です。やはり、効率的ですから。ITの意義など小難しいことは、自我に目覚める中学生以降で十分でしょう。 ビル・ゲイツさんの話は私も過去に聴いたことがありますが、あまり大したことはありませんでした。まあ、PCに詳しい少年がそのまま大人になった感じの人ですから。

◆旧文部省が官僚であり、ITと名付ければ予算がつくという政府(≒公共事業誘導しかできない田舎議員集団)に属する以上、予想された行動を列挙しただけではないか。◆ITがどうこうではなく、そもそも教育にカネも時間もかけようとしない風潮をどうにかしたいとは思うが、「考えてくれ」というだけのコラムなら私にでも書ける。

◆全く同感。しかし、子供に「情報の取捨選択の重要性」を教えられるような教師が限られているのも事実。自分が出来もしないことを他人に教えられるわけが無い。有能な教師がいる学校の子供たちは真実を見分ける目を育てることができるかもしれないが、残りの大多数はそうはならないか自ら学ぶであろう。親は必要だと思えば、自分の子供に教えればよい。

◆ITを含め、いまの教育の最大の問題点は「クローズド」であることではないでしょうか。インターネットやPCをどう子供達に伝えればいいかという課題にコンセンサスが得られるにはこの先あと10年はかかる大きなテーマであり、少なくとも現時点で決定打はありません。いま我々に求められているのはたくさんの竹内先生が登場し、たくさんのゲイツ、アラン人々がさまざまな取り組みを試し、そこに父母・地域住民を交えたオープンな議論を巻き起こすことだと思います。少なくとも何もしないのは最悪です。この時代に生きる人々の全ての知識を総動員してこの問題にあたっていく必要性を強く感じます。

◆4月から小学校のIT教育支援ボランティアとして活動する予定なので興味深く読みました。カリキュラムの作成は学校が行うのですが、ご指摘のような使い方だけという傾向がありそうです。調べ学習が丸写しに終るのも大いにありそうです。支援ボランティアがそのために何をすべきか、考えてみたいと思います。

◆インターネットが、まだそう呼ばれる前から大学で使ってきましたが、ここ数年、掲示板などで「気味の悪い」場面を見かけるようになってきました。何かというと、他人の文章を丸ごとコピーして、自分の文章は一言もない(「引用します」という断りさえない)だけのものを、自分の意見として掲示板に貼り付ける例が多々あるのです。検索エンジンで単語がたまたまヒットしただけの記事を、現在の議題に対しては的外れな話であるにも関わらず、自説を補強する材料が見つかったと思って貼り付ける例もあります。はじめは掲示板荒らしかと思ったのですが、どうもそうではなく、検索して見つかった記事の内容を理解することなく、使っているようです。相手の発言どころか自分自身の発言さえ理解していない発言者・・・ ちょっと問題ですね。

◆全くその通りだと思う。しかし他の学校の例では、現場の教師がパソコン恐怖症であるといったことも、問題を大きくしているのではないか。こういったことは、保護者も含めた地域の技術者の支援を学校が受けることも必要でしょう。 最後に記者と違う意見を.ローマ字で教えることが良いと書かれていますが、カナで入力することを覚えるのは日本人として、入力の速度が早い等を考えると良いと思うのだけど.... (また多くの学校ではローマ字入力を教えていますよ。カナではありません。) 今後も学校に関連してレポートしてください。

◆小学校1年の息子の授業参観で、丁度パソコン学習を見学しました。一人1台のデジカメで、自分が撮った写真をワープロ文書に挿入し、カルタを作るというものでした。ごく普通の市立小学校ですが、1クラス24名しかいないため、設備的にも充実しているようで、パソコンも結構新しく、OSは、XP PROFESSIONALでした。早い内のパソコンに限らず、見たり触ったりすることは、理屈抜きに良いことではないかなと思いました。

◆これらの "わーい楽しいコンピュータ" って小学1,2 年向けの釣り道具ですよね。小学3,4 年なら Scheme 等のプログラミングを当然教えるでしょ。5,6年になったら勿論、C 等のプログラミングを教えていますよね。中学生にはアセンブラなどで機械語を教えてるんですよね。 え、違うの?

◆「IT教育の目的は『ITに振り回されない力』を身に付けさせること」との意見に賛同します。但し、ローマ字入力については懐疑的です。正しい日本語を知らないうちから変なローマ字入力を覚えさせたくないからで、同じように早期英語教育もウチはやりません。

◆高校生の娘を持つ母です。記事、特に竹内先生の「自分の意見を公開することに対する責任感を身に付けてほしい」という意見に共感します。コンピュータやインターネットの操作法を教えるのではなく、何に使えるかを考えることができる教育の望みます。娘が小学生の時に自分のホームページを持ちたいと言われた時に、私が最初に教えないといけなかったのは、HTML作成ツールの使い方ではなく、著作権のことでした。ツールは、教えなくても必要であれば覚えます。小学校では、使い方をマスターさせる必要はなく、体験の一種でいいのではないでしょうか?であれば、学校にパソコンを揃えるのではなく、専門学校や企業での体験学習でもいいような気もします。一言付け加えさせていただくと「IT教育」で、もっと深刻なのは、企業で再教育が必要な技術者しか排出できない大学の「IT教育」では?

◆パソコンは楽しいです。お兄ちゃんは、ゲームをします。僕にも時々やらせてくれます。今日は、パソコンを使う授業があって、消防署のはたらきを調べました。家に帰ってお父さんに消防署をインターネットで調べたことを話したら、お父さんのときは、実際に消防署を見学したと言いました。僕は学校にいたまま色々見ることができるのが、楽チンだと思いました。それに、パソコンなら漢字だって書かなくてもいいので楽チンです。字は、書く順番とか、はねとかはらいとかがあって、自由に書けないのできらいです。でもパソコン授業なら、書いてあることをそのままえらんではりつけるとできあがります。ぼくは、授業の全部がパソコンになっちゃえばいいと思います。そうすれば、漢字なんて覚えなくても良いし、人に知らせたいときは、読めなくても画面を見せればいいだけです。計算もパソコンでできます。ひき算なんかできなくても、パソコンがあれば答えがわかります。 ──参観日に、そんな小作文が貼ってある教室があったのをふと思い出した。

◆「ITに振り回されない力」が不足しているだけでなく、現代の子どもたちは実社会での氾濫した情報にも十分振り回されていると思う。私(28歳 女性)が子どもの頃よりも飛躍的に増えている氾濫している情報に対しての処理能力がない。大学生の頃(10年前)から家庭教師などをしていたが、算数の文章問題で「式」が書けずに「答え」だけを解答欄に書いてしまう子どもが多かったことを思い出した(自分の意見:式を明文化できない、考えを整理する能力がないが答えは出すことができる)。この子どもに「式は?」と聞くと「わからない」と平気で答えるのだ。たとえばPCを使って「日記を書く」などといった自分の言葉を使う努力が必要な作業をさせるとよいのではないかと思った。

◆■コメントに対するコメントで申し訳ありません。■非常勤講師の方のコメントがありましたが、ただ頭ごなしに記事を否定するだけでなく、その方が感じている問題点の例なども提示して欲しかったです。個人的に大変興味深いのですが・・・。残念ながら単なる言い訳にしか聞こえませんでした。■『現場』の声はここにはまだ上がっていませんが、少なくとも『現場』に子供を預けている親の声は多数あがっております。ステレオタイプなのではなく、『現場』の人間が問題を問題として捉えられていない、正視できていないように思います。■ステレオタイプだとしても、これをきっかけにITProの読者だけでも『現場』に一層の興味を持てれば、それはそれで有意義なコラムだと思いますが。
【IT Proより】
コメントありがとうございます。先のコメントをいただいた読者の方から,編集部あてにメール(iteditor@nikkeibp.co.jp)をいただきましたので,ご紹介させていただきます。ご確認のほど,よろしくお願いいたします。
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私のコメントに対してコメントをいただきましたので再度投稿させていただきます。特別非常勤講師@2児父です。記事を頭ごなしに・・ということですが、否定はしておりません。あくまで特定の学校で、ある特殊な状況で観測された事実のひとコマに過ぎず、これを押しなべて記事のタイトルにある『IT教育のあり方』を論ずるための起点とすることには反対だということです。また、コメントを書かれた多くの方も、小学生のお子さんをおもちのようですし、記者の方も2児の父ということですので、この場で意見を表明するよりもPTA会員として現場である学校へ足を運び、懇談会などで担任と話をしたり、学校長と教育方針を議論した方が、より現実的な問題意識を共有でき、かつ有益な影響を行使できるものと考えます。当のS小学校でそのような授業が行われていたのは、そのS小学校に通う子どもの保護者の無関心さが作り出した状況であるとも言え、まさに『すべての責任は大人にある。』と言うことができると思います。

◆若い人に夢を語って将来への希望を持たせることは必要です。ゲイツ氏との出会いから、IT業界に進む人も出てくるでしょう。しかし、記者の懸念は本来ならゲイツ氏のような立場の人がはらすべきだったと考えます▲20世紀末、日本は「ゆとり教育」の名のもと、勉強することの意義をはき違えてしまいました。勉強で大切なことは、それに取り組むことで身に付く「ものの考え方」が重要だと言うことを忘れたのです▲本来なら、IT教育も、(必要ならいつでも身につけられる)道具を使いこなす教育ではなく、コンピュータ的な論理思考や仕組みを伝えるべきだと思います(もちろん、記者の言うリテラシー教育も必要です。ただしそれは教員側、大人側の準備も必要です)▲「基礎を教える」という考え方はこちらのサイトで何度も言われていることですね。考えてみると、貴社はIT教育のオピニオンリーダにもなっていく必要があるのかもしれません▲なお、私は、例えば小学生にインターネットの仕組みやコンピュータの動作を伝えられることがたぶんできるだろうなあ、と思いました。

◆1児の母ですが、記事の内容に賛同します。最近の早期教育のあり方は、その意義や効果についての評価はさておき、とにかく「みんなに遅れないように」という観点でどんどん早く粗悪になっているような気がします。早くから学ばなくてはならないのは、利用する上でのマナーとその危険性、そしてITは身近な道具の1つでしかないことを知ることだけだと思うのですが。新しい学習内容なので、試行錯誤はあってしかるべきだとは思いますが、それだけを教えるにしては、今の体制は教師にも生徒にも無駄に時間とお金と労力を浪費させてしまっている気がしました。

◆「IT教育」て言葉が悪い。なんにでも「IT」をつけるのは如何なものか。記事に出てくる事例だって、結局PCの使い方を教えてるだけの結果じゃないですか。PCなんて文房具みたいなもんなんだから、その操作方法取得に主眼をおいたような「教育」はよくない。子供たちにはもっと見につけさせるべきことがあるのではないのか。PCはあくまでもただの道具として扱うべき。ちなみに私は「IT」エンジニアです。

◆この記事とここに掲載されているコメントの多くに流れている通奏低音は、「ITはあくまで道具であり、その道具を使いこなすための基礎体力をまずつける必要がある」ということであろうか。そして、その基礎体力をつけるべき初等教育においては、むしろ道具を持たずに自分の手足を使って物事に接していくことと読み・書き・そろばんといったより基礎的な道具を身につけていくことが必要ではないかと思う。その上でないと、ITという道具を使いこなす体力をつけることはできないだろう。

◆特別非常勤講師として自分の子どもが通う小学校で、総合的な学習の時間にITを教える2児の父親です。この記事はマスコミにありがちで、ステレオタイプな偏った見方で書かれてます。もう少し学校に足を運んで普段の現場を見聞きし、学校が抱える他の問題の中でバランスの取れた議論をすべきです。

◆判断力、論理思考力、表現力を養うのは特定の授業だけで行うのではなく、学校生活や家庭、友達との関わりなど、いろいろな場面を通じて行われると思う。学級新聞を作るときにパソコンを使えば文章の作成や写真を使っての表現が早くきれいにできるし、手直しも簡単にできる。そういう道具を使うことができる環境なのに、それを使わずに学級新聞を作るというのはおかしい。またメールや掲示板は大人の社会では新しいコミュニケーション手段として重要になっているのだから、子供のうちからそれを使って友人とコミュニケーションをとることも大事な訓練だと思う。手書きで文字を書くことは非常に少なくなっているし、将来はさらに少なくなるでしょう。それなら大人になったときに活用できる方法を、子供の時から学ぶことは悪いことではない。私の次男(2年生)も担任の先生の方針で初めからローマ字入力を学んでいて、今では5年生の長男よりスムーズに入力できる。長男は学校ではカナ入力を学びながら、結局ローマ字入力に変わっている。これではカナ入力を学んだ時間は無駄だったように感じる。

◆過去の自分を振り返ると、学校で(特に小中学生の段階で)IT教育など全く不要だと考える。場合によって(仕事の内容など)違う事もあるが多くの人にとってIT等と言っても単に道具だ。道具の使い方など成人になっても自分で覚えないでどうするのか。そもそもITなどと言うものは5年もすれば知識は陳腐化してしまう以上、イヤでも学習は必要だ。この問題については是非とも継続的に(出来るだけ複数の記者の方に)記事にしていってもらいたい。余談:日本語入力方式は自分自身はかな入力だが、ローマ字入力など他の入力方法でないと入力できない端末などもあるため、1つの方法でしか対応できないようだと仕事になりません。

◆調べ事は考えるための手段であって、目的ではないです。それを意識した授業の課題ならいいのですが…。ただ、どうやったら知りたい事を調べられるかが分からない人も多いと思います。漢和辞典の使い方は学校の授業でやった気がするので、取材された授業はまだこの段階だったのかもしれませんね。ネット上の情報は「うそ」「冗談」もたくさんあるので「冗談ぬき」の情報がどこにあるのかをまず教えないといけないと思います(これはネットに限りませんが)。個人的にはWWWは18歳未満禁止にしたい(笑)(冗談と本気の区別がつくようになるまで禁止という意味)

◆私も二児の父で、カミさんは公立の学校で教師をしています。記事に書かれていた「生徒(子供)とITのかかわり」はたいへん重要なテーマだと思います。それをよい方向に持っていくにはまず、「先生(大人)とITのかかわり」を考える必要があるかもしれませんね。カミさんの学校の話を聞いていて思うのですが、今の学校や先生たちは、「よい先生って何?」という方向を見失って苦しんでいる気がします。ちょっと極端な言い方ですが、汗水たらして子供と接する先生よりも、ワープロの罫線の使い方がうまくてきれいな文書を作る先生が評価されたりして・・・。この記事もそうですが、「よい先生像」について、親として、IT関係者として発言することはとても大切なことだと思います。

◆IT教育に関る生業を持つ2児の父です。NETでの情報を評価し吟味するには、自分の中に独立した辞書が要ります。内容の少ない辞書で物事を判断することは傲慢で滑稽ですが、嘲ってくれるひとがいないと教育にはなりません。自らの辞書を充分に育てるには「品質の保証された情報を貪欲に吸収すること」(=学習)が必要になります。キーやマウスを扱う最低限のスキルさえ身につけておけば、後は質の点で、中学生位までは読書の方に重点を置くべきではないかと思います。また、「操作法」「用い方」「結果の出し方」を混同してはならないと思います。現時点では未だ多くの局面で「操作法=IT教育」となっていますが、これは黎明期の混乱と捉えるべきだと思います。

◆記事に賛同します。子供の教育の問題ではなく大人もITに振り回されている。これを回避するためには遠回りなようでも「まず大人が、現在のITを徹底的に使いこなし、その仕組みを細部まで知り尽くす」ことだと思います。大人がITを「何かわけがわからないもの」として神格化しているうちはそれがそのまま子供に伝播します。科学・技術に興味を失った社会には進歩はありえません。現状では「IT」とか「デジタル」という言葉に「わけがわからなくても許されるもの」という免罪符的な効果があるように思います。マスコミにも責任があるのでは?

◆アラン・ケイ氏の言葉を重く捉えるべきでしょう。氏が「未来への教室」に出演されたことをご存知ない方も多いかもしれませんね。ただ、果たして人間にとって「有意義」であったかは疑問です。まだまだこれから、大きな可能性を引き出す必要があるでしょう。教育そのものも、子どもたちの可能性をいかに引き出すか、の観点を欠いてはいけないのですが、今までの日本はそうではなかったですね。

◆小中学校の勉強は、内容もさることながら、授業を聞いたり調べたりした情報を如何に整理し、自分の考えを持ち、興味を広げるかの訓練だと思っています。情報の入手が高速になったからといって人間の処理能力(整理、自分の考え)が上がるわけではないので、この部分の訓練を十分に行うことが先なのではないでしょうか。パソコンの使い方など、大人になってからでも1週間もあれば十分ですね。

◆IT教育を云々している教育委員会や現場教師の中で、「教育のめざすべきもの」についての議論が深くされていないように思います。 ITを仕事にしている立場からみても、SI会社はそのシステムが「めざすべきもの」をみないで「どんな機能を実装できるか」ばかり語っていることろが多い。それは、教育から社会にまで、「目的」というものを意識しないで行動することが定着してしまっているからなのではないか、と最近考えるようになった。

◆大筋で記者のご意見に賛成です。事例で気になった点ですが、百科辞典ソフトを使わせる事からして間違っている気がしますね。知りたい事をどう類推してどう辞書を引くか、そこからさらに知りたい事が出てきた時にまた辞書を引く、という行動だけでも「考える力」の底上げになるでしょう。自動的にリンクが表示されて、クリックするだけで飛んでしまう辞典ソフトだとその手順を考える事すら無くなります。ツールの活用法など後からでも身に付くのですから、基礎を押さえる事を重視して欲しいですね。あと、以下はコメントへのコメントになりますが、ローマ字入力で覚えさせるのも母音と子音の概念を理解するには有効だと思いますから、一概にかな入力と比較してどちらが優れているとは言えないかと。

◆まだ幼稚園に通っている女子達の父である。 SI関係の仕事柄、家にパソコンを持帰り作業をする事が多い。子供達は見様見真似でマウスを使う事を覚え、親の目を盗んでテレビアニメのサイトを閲覧している。お気に入りに登録してあげたのでキーボードを叩かなくても見つけられるのだ。これからの子供達は、我々の世代がラジオやテレビを友とし、現在の高校生世代が携帯電話を友とするようにコンピューターを生活の一部に受け入れて行くのだろう。 しかし、私は子供に対して情報検索の方法よりも先に「お箸の正しい持ち方」と「きちんとした挨拶」を教えていくつもりである。科学技術はある程度の能力さえあれば(或いはそれすら必要としなくなるかもしれないが)使いこなす事ができる。大事な事は過去我々の先達が成長に応じて学んできた「経験」と「知力」、それと「マナー」を伝えることであろう。

◆確かに教育の問題は大きなテーマであり、今後の日本を担う子供たちを、どう育てていくか?という点に於いては同感できる。しかし、2点ほど記事に疑問を持った。ます、氾濫している情報を取捨選択するという行為は、何も IT 教育という面だけでなく、これまでも行われてきたことだと思う。ゴシップ系の週刊誌やスポーツ新聞などには、不確かな情報も掲載されており、これらの情報をどう扱うかは、これまでの(学校教育以外の場面も含めた)教育で行われてきたのではないだろうか?また、ローマ字入力が主流であるから、それを教宣するような文面があるが、それは正しい行為なのだろうか?単純にスピードを考えると日本語の文書を打つ場合はかな入力の方がタイピング数が半分で済むはずであり、習得するメリットがあると思われる。英文を打つときは当然アルファベット入力で、日本語を打つときはかな入力と切替ができるのが一番ではないだろうか?(ちなみに、私はローマ字入力で日本語を打っていますが・・・)

◆「小学校2年生からローマ字入力を教える...」ことがどうして「非常に実践的である」のか疑問です。入力方法はかな配列を含めて複数ありますし、選ばせるのは別に難しいことではないでしょう。このあとローマ字表記も教えることだし。

◆ミヒャエル=エンデのモモを思い出しました。よく出来たおもちゃよりも、空想を掻きたてる何かや、仲間を大事にするような子供達が、本当に楽しそうに描かれていました。こういう気持ちを大人も持っていればいいのではないかな、と思います。そうすればITにとらわれることもないのではないかと。

◆全く同感です。いいことを書いて貰ったと思います。「次代を担う子どもたちに何を教えるべきなのか」こういうことを語り合える場があればいいのにと常々思っています。日経さんで掲示板とか用意できませんでしょうか?

◆問題提起としては意味があるので「参考になった」につけましたが、もうすこし議論の種を提示すべきではないかと。私は、小学校でパソコンの「使い方」なぞ無理して教える必要はないと思います。「無理して」、というのは、外部から講師を派遣してもらっている学校もあるからです。星野記者も書かれている通り「判断力、論理思考力,表現力」など基礎的な能力の訓練のほうが大事でしょう。加えて、社会生活や家庭生活の常識(こちらは主に家庭が担うべきですが)の訓練も。すくなくともゲイツさんとこの製品の利用スキルなんて成人してからでも身につきますから(そう宣伝してますよね)、少なくとも初等教育の場ではPCは@道具の一つ」程度で十分。PCに割くのと同程度の時間を鋸、金槌、鋏、針、新聞や事典などにもあてるべきでしょうね。

◆私も二児の小学生の父です。 どこかの塾の宣伝にありました。子供が総合的学習でお店を調べに行って発表するのですが、漢字は間違っているし、品物の値段の合計も計算間違い。 塾や私立に行かないと、基本的最低限のことも勉強できないという心配の他に、最近は全体の時間も減って、運動会や音楽会など行事の内容も落ち気味。 IT教育と言っても、前提の文字や計算に割く時間、皆で何かに取り組むという余裕も無い中では、どういう意味があるのやら。

◆この記事に賛同します。 ITに関わらず、日本人は(という括りでものを言うのは好きではありませんが)様々なメディアの情報を鵜呑みにして振り回され過ぎる傾向が強いのではないでしょうか。もちろん、技術を身につけることも必要ですが、あくまでも技術は技術、知識は知識に過ぎません。いま必要なのは、メディアリテラシーと呼ばれる情報を読み解く力、色々な技術や知識を元に、自ら判断し、自らの責任において行動する力を養う教育なのではないかと確信します。

◆パソコンの入力やインターネット検索なんか、小学校で教えることは全く必要ない。むしろ読み書き、自己の意志をはっきり言えることを教えることが重要。そうして、学年が進むにつれ、現象を数学的に説明したり、類推する能力を養うのです。ある方の例ですが、子供には高校生になるまで、どんなにほしがってもパソコンを与えず、数学をしっかりやるように言ったそうです。その子供は、大学卒業後は優秀なITエンジニアになっているそうです。小中学校の生徒にパソコンを教えるより、先生方に、パソコンの可能性を理解して、教育に役立てるよう指導したほうがよいのです。子供たちは、パソコンの操作なんて、ものが在れば2,3日ですぐ覚えます。学校でやるほどのものではありません。

◆きわめて重要かつ重いテーマである。ほぼ全面的に筆者の意見に賛同する。自分は小学校レベルでのIT教育など不要と考えていたが、なるほど「ITに振り回されない力を身につける」という観点でなら、小学校で実施する価値があろう。ただ、一点のみ疑問に感じたのは、竹内教諭の「ローマ字入力を教える」という方針だ。筆者も賛同しているようだが、自分は反対である。小学校で教えるなら「教育」としての位置付けのほうが重要なはずだ。日本語に対する造詣を深めるには、ローマ字入力は有害なのではなかろうか。後々の効率は劣るかもしれないが、ローマ字入力を覚え直すなど、子供にはそれこそ朝飯前だろう。日本語学者の意見も聞いてみたい。困難を承知で教育的な『理想論』を言えば、仮名入力がやり易いキーボードがあっても良いくらいだ。そんなのがあれば、小学校だけで使わせるのは惜しい。個人的にも使いたい。ちなみに自分は仮名入力である。

◆小学生に限らず、数年前の新入社員くらいから、自分で考える能力が低下しているのを感じる。アプリケーションの学習など、年を取ってから初めても、必要なら身に付くだろう。むしろ、日本語教育に力を入れるべきだと思う。 IT教育については、他人のパスワードを尋ねない、パスワード入力中は目をそらす、といったマナーや倫理の方が重要ではないか。

◆ 小学校でローマ字入力を教える先生の話 小学校2年生といえばまだローマ字を知らないはずだ。パソコンのためだけに習うことになる。そしてその入力方法は体を痛める(左小指がいたい)。いかに標準的な方法とはいえ、それでいいのだろうか。かな入力の方式(旧JIS、親指シフトなど)の良いものを選んで習わせるだけで、ローマ字式よりは良いだろう。しかし、もっと良い方法(しかも小学生に)がある。 それは「漢字直接入力」である。なぜ良いかと言うと、小学生は漢字をあまり知らないからである。1年生から始めるとすれば、まずは「かな」だけを習えば良い。その後、漢字を一字習う毎に、読み・書き方などと同時にその漢字の「キー・タイプ」を習えば良いのだ。 小学校のはじめから「漢字直接入力」を習うというのはベストの方法である。大人が「漢字直接入力」に挫折するのは、一気に多数の漢字の入力キーを習わねばならぬという強迫観念からである。