今回の「記者の眼」には,単行本の宣伝および関連セミナーの告知が含まれている。以下を読まれる読者の方はこの点をご了承の上,先へ進んでいただきたい。

 IT Proの読者の方々は,「SEの体制図」をご存じと思う。本稿のテーマは,「SEの体制図は顧客に出すべきではない」である。このテーマを取り上げようと思ったきっかけは,SEの体制図問題について書いた記事に,読者の方から質問のメールをいただいたことだ。体制図の問題は,SEの管理職のみならず,SE一人ひとりにとっても重要と思う。一読の上,ぜひ多くのIT Pro読者のご意見をいただければ幸いである。

 SEの体制図とは,コンピュータ・メーカーやシステム・インテグレータ,ソフト会社が顧客に提出する資料である。組織図があり,その中にメーカーやインテグレータのSEの人名とその役割が記載してある。顧客企業からシステム開発を請け負うと,メーカーやインテグレータ,ソフト会社はSE体制図を顧客に持っていく。請負に限らず,大手顧客の日常サポートを担当しているSEチームの体制図を出すこともある。

 読者とやりとりをするきっかけになった記事を再掲する。「しつこくネクスト・ソサエティを読む」という表題で,2月27日に筆者のWebページで公開したものである。既にお読みの方は,こちらをクリックして先へ進んでいただきたい。


 ピーター・ドラッカー氏は,ネクスト・ソサエティ(異質な次の社会)において重要なのは,専門知識と技能を売り物にするテクノロジスト(専門教育を受けた技能を持つ技術者)をマネジメントすることだと述べている。そして,テクノロジストをマネジメントするときに,もっとも効果がないのは,「金で釣ること」と書いている。

 テクノロジストあるいは知識労働者がやる気を出す条件の一つとして,ドラッカー氏は,「責任を与えられ,かつ自己実現すること。もっとも適したところに配置されること」と述べている。だが現状の情報システム関連の世界を見ると,これはなかなか難しいことである。

 「なんでこんな仕事ばかりなのか。もっと自分の力を生かせる仕事があるはずだ」と思っているITプロフェッショナルの方は多いのではないか。問題はまさにマネジメントにある。システム・インテグレータやソフト会社の経営者や管理職が適材適所の人事をしているかというと,はなはだあやしい。残念ながらソフト業界の大半は,顧客企業ごとにエンジニアを常駐させる旧態依然のやり方で仕事をしている。

 ここのところ,単行本の編集をしていたと本欄(注・筆者のWebページの前書き)で書いた。その本とは,馬場史郎氏のSE関連本である。日経コンピュータに連載していただいたものを全面的に修整・加筆して一冊の本にまとめた。その本の中で,SEの管理職(SEマネジャ)が部下にどのような仕事を割り当てるか,いわゆるジョブアサインの重要性がしつこく語られている。

 もちろん,部下が育つように配置することと,部下の希望をそのまま聞くことは同じではない。多少のリスクがあっても,「今この仕事を彼にさせると伸びる」と判断したら,思い切ってアサインすることが肝要と馬場氏はいう。

 そうしたアサインをするための前提として馬場氏は,「SEの名前と担当する仕事を書いた体制図を顧客に出してはならない」と主張する。体制図を出したとたん,そのSEはその顧客企業の仕事だけをすればいいという意識になる。これでは仕事の幅が広がらないし,柔軟なジョブアサインができなくなるというわけだ。現在,SEの体制図を顧客に出さない気骨のあるSEマネジャはいったいどのくらいいるのだろうか。 


 上の記事に登場する馬場史郎氏は日本IBMで長年,システムズ・エンジニア(SE)やSEマネジャを務めた。その後,ユーザー企業のシステム部門に転じ,現在はグローバルナレッジ・ネットワーク副社長として,SEの教育事業を手がけている。一貫してSEのことを考え続けており,日経コンピュータにSEについてのコラムを長期連載されている。

 この記事を公開したところ,製造業のシステム部門におられる読者から「ユーザー企業の一人の担当者の立場から見て感じたことをお知らせしたく,本メールを送らせていただきました」という書き出しのメールをいただいた。この方とやりとりするのは初めてである。こういう出会いが一瞬にして成立するのだから,インターネットは素晴らしい。読者のメールには,非常に重要な指摘が書かれていた。以下に紹介する。


読者からいただいたメール

 SEの体制図を出さないというのは,ベンダー側の人材の育成や確保の戦略として理解できますが,ユーザーの立場から見ると,それはベンダーの都合であって,ユーザー企業のコストを無視されているように感じました。

 新しく担当SEが来た時,我々ユーザー企業側は,多大な労力を払って自社や業界の業務知識を教えます。これは少なくないコストです。基礎的なビジネスやプロジェクトの進め方を教育させられる場合もあります。担当されるSEがコロコロと替わられては,その度に一からのやり直しとなり,たまったものではありません。また,体制図を出していただけなければ,プロジェクトにおいて,ベンダーの実行能力の評価や選定もできませんし,ユーザー企業でやるべきマネジメントもできません。

 確かに,担当SEが成長される事は,ユーザー企業にとってもメリットがあるので歓迎すべき事であり,我々ユーザー側もベンダーのSEの方から技術や業界知識を教わります。ですから我々としても可能な限り,知識は提供すべきと考えます。ですが過度に利用されるのは納得がいきません。

 新旧SE間の引継ぎが完璧になされれば問題はないのでしょうが,現実には不可能であり,全く不十分なケースの方が多いでしょう。SEの能力育成については,担当顧客における業務について最大限の努力をしていれば,十分向上すると思います。そうなれば自然に従来の顧客の業務遂行が早くなり,新たな顧客のプロジェクトに挑戦する時間や機会もできるようになると思います。


 おそらく多くのユーザー企業の担当者は,この読者の意見に同意されるであろう。筆者の説明が言葉足らずだったところもある。そこで「SEマネジャ時代にSE体制図を一回も顧客に出したことがない」という馬場史郎氏本人に真意を尋ねてみた。以下は対談風に書く。

谷島:読者から,こうしたご意見をいただきました。

馬場:このお客様の言われることはよくわかります。多くの顧客が同じ考えをもたれると思います。馬場の説明不足が大きいですね。ですが,お客様はシステムがきちっとできあがればよいのではないでしょうか。個々のSEの評価や管理は本来,お客様の仕事ではないと思います。

 そもそも体制図を出したとしても,そこに書かれた人間だけで済むプロジェクトはほとんどないはずです。現実には緊急時に,本社や別部門から助っ人のSEが投入されています。本稼働が遅れそうになったときは,お客様に何も言わずに増員しているわけです。こうしたことをタイムリーにできるかどうかがプロジェクトの正否の境目です。つまり,SE体制図に固定された体制の中で,ぎりぎりまで頑張るより,体制図にこだわらないダイナミックなやり方をとったほうが,お客様は助かるはずです。

谷島:とはいえ,この分野の責任はだれという名前は必要なのでは。責任の所在がはっきりしないとお客様は困るでしょう。

馬場:それはそうです。また,お客様のコンピュータセンターで仕事をするときには,入退出のカードが必要ですから,メンバー全員の名前を出さなければいけない。そこまで拒否しろといっているわけではありません。ただし,プロジェクトマネジャ以下,全員の階層構造を名前入りで書いて出す必要はない,という意味です。

谷島:ダイナミックというと聞こえがいいですが,担当SEがころころ交代したりしませんか。

馬場:担当SEの交代といっても,それほど頻繁にやるわけではないです。例えば,プロジェクトの実施中はかえません。提案活動をしたSEはプロジェクトに入って,システム開発を最後までやるべきです。

谷島:そういえば,担当SEという考えそのものを否定されていましたね。

馬場:否定というと表現が強いですが,「独りのSEに一ユーザーだけを担当させない」という意味です。「担当ではなく中心」といっています。SEの馬場はA社担当ではなく,A社を中心にサポートする,という意味です。つまり普段はA社のことを考えてサポートするのですが,仮に同僚が担当しているB社で非常事態が起こったとき,馬場はB社の仕事を手がけるということです。

 この考えでいくと,「担当SEの交代」という言葉の意味も変わります。馬場がB社中心のSEになることはあっても,A社からさよならするわけではない。A社で非常事態があれば,馬場は引き続き支援します。つまりお客様からみると,「SEが交代する」ということにはならないのです。

谷島:SEに複数の顧客を担当させようとしたのは,そのほうがベンダーとして都合がいいからですか。

馬場:都合といいますか,そもそもSEが足りなかったという切実な状況がありました。また,育成のことを考えるとこうしたほうがいい。ただ,ベンダー側のことばかり考えたわけではないのです。

 お客様が何かで困られて担当SEのAに電話したとします。Aが不在の場合,お客様は「そうですか,仕方ないですね」と電話を切る。これはお客様に失礼ですよね。そうではなく,「ではBさんはいますか?それではCさんは?」とお客様が言えるようにしたいと考えたのです。SEを一つのお客様に固定していては不可能です。だから一人が複数の顧客を担当するようにしようと考えました。

谷島:SEの育成問題には,鶏が先か,卵が先か,というところがありますね。しっかりしたSEがいないから顧客が自分で管理するしかない。あるいは,顧客がいちいち出席をとってSEを管理するから,SEが一つの仕事に固定されてしまい,なかなか育たない。

馬場:もちろん,新人の教育をお客様に頼んでは失礼でしょう。個人差や担当業界,担当している顧客にもよりますが,入社4,5年生で一通りのことは自分でできるレベルまでは,IT企業の先輩や会社がなんとかして育てないといけない。またSEたるもの,顧客の業務やアプリケーションを勉強しなければならないし,先輩は学んだ知識を後輩に伝えるべきです。体制図の件は,なんとか一人前になったSEを対象にしています。ここから先は,いろいろな仕事をこなしていかないと成長しません。

 「SE体制図を出さない」という一文を含む,馬場史郎氏の単行本「信頼されるSEの条件」は3月14日に発売される。出版を記念して,馬場氏を中心にしたセミナー「お客様はSEに何を求めているか?」を開催する。馬場氏と質疑応答する時間をかなり長くとってあるので,体制図問題について,あるいはこの問題にかかわらず,馬場氏に直接質問したい方はぜひともこのセミナーへご参加いただきたい。

(谷島 宣之=ビズテック局編集委員)