本記事の主旨は,ピーター・ドラッカーという思想家をIT Pro読者の皆様に紹介することにある。ドラッカー氏の著作をまだ読まれたことがない方は,だまされたと思ってここから先をぜひ読んでいただきたい。ただし,拙稿は紹介文に過ぎないので,ドラッカー氏の著作そのものを読むことを強くお勧めする。ドラッカー氏をすでに知っており,同氏の著作を読んだことがある方は,以下は読み飛ばすか,別な記事をお読みいただきたい。

 今回は,「プロフェッショナルの条件」(ダイヤモンド社)という著作を紹介する。これは「はじめて読むドラッカー」と題された3部作の中の一冊で,「いかに成果をあげ,成長するか」という副題が付けられている。すなわち本書のテーマは,プロフェッショナルが仕事で成果をあげ,自分自身を成長させていくにはどうしたらよいか,ということである。

 筆者が本書を読んだきっかけは,ドラッカーの著作のほぼすべてを翻訳されている上田惇生氏から電子メールをいただいたことである。1月9日付の記者の眼で,「エンジニアの皆さん,もっと経営者に意見しませんか」という一文を書き,その中でドラッカー氏の「ネクスト・ソサエティ」という本について触れた。すると,この記事を読まれた上田氏から次のようなメッセージが送られてきた。

 「もしかすると,というよりも,必ずや,『プロフェッショナルの条件』 パート5の第2章が,谷島さんを刺激するものと愚考いたします。ご参考まで」

 たいへんなことになった。大至急,読まなければならない。早速,インターネットを使って,「プロフェッショナルの条件」を発注した。ところが他の本もあれこれ発注したところ,取り寄せになる本まで同時に頼んでしまった。すべての本が一括配送される仕組みであったので,本が届いたのは1カ月後だった。「プロフェッショナルの条件」だけを頼めばよかったと悔やんだが,後の祭りである。こうして上田氏からメールを頂戴してから,実際に読むまで1カ月以上もかかってしまった。一読して,大いに刺激されたので,この原稿を書くことにした。

■最大の問題は知的労働の生産性向上

 ドラッカー氏は本書の冒頭で,「20世紀最大のできごとは,人口革命である。世界人口の爆発的な増加であり,平均寿命の爆発的な伸びである」と述べ,さらに重要なこととして,「肉体労働者から知識労働者への重心の移動」を挙げる。「プロフェッショナルの条件」は,こうした大変化をふまえ,「知識労働の生産性向上」のために必須と思われる事項を解説している。

 IT Pro読者の方は,本書に頻繁に出てくる「知識労働者」という言葉をご自分の職種に置き換えて読まれるとよいだろう。システムズ・エンジニア(SE)の方は,知識労働者をSEと,プログラマの方は,知識労働者をプログラマとそれぞれ読み換えるわけだ。

 以下,本書の中で筆者が面白いと思った文を引き,考えたことをあれこれ書いてみたい。

 「知識労働者は自らが責任を負うものについては,他の誰よりも適切に意思決定をしなければならない。仕事の目標や基準や貢献は自らの手の中にある。したがって,ものごとをなすべき者はみなエグゼクティブである」

 つまりシステムズ・エンジニアやプログラマやコンサルタントやプロジェクトマネジャやアーキテクトはすべて,一人ひとりがエグゼクティブということである。自ら目標を立て,目標達成のために努力し,意思決定をするからである。

 こう書くと,「お前は現状を知っているのか」とかみつく人がいるかもしれない。現状はいやというくらい知っている。だから,あえて書いている。次の一文は本書の中でもっとも感動的なくだりの一つである。

 「知識労働者は,自らに課される要求に応じて成長する。自らが自らに求めるものが少なければ,成長しない。だが多くを求めるならば,何も達成しない者と同じ程度の努力で,巨人にまで成長する」

 日本が元気になるには,ITプロフェッショナルの頑張りが不可欠である。多くの巨人たちが登場することを期待したい。

 さて,ITプロフェッショナルがエグゼクティブであるとすると,彼らを雇用している企業は,いかなる態度でITプロフェッショナルに向かうべきであろうか。

 「組織は知識労働者に対し,その知識を生かすための最高の機会を提供することによって,初めて彼らを獲得できる」

 ドラッカー氏は別な著書で,もっとも効果がないのは知識労働者を金で釣ることだ,と述べている。知識労働者のために,彼らが実力を発揮できる仕事と環境を用意するのが,経営者の役割というわけだ。しかし,現状はどうか。これまたIT Proの読者がご存じの通りである。ドラッカー氏もそれは分かっている。

 「あらゆる組織が,『人が宝』と言う。ところが,それを行動で示している組織はほとんどない。本気でそう考えている組織はさらにない」

 知的労働者をやる気にさせる環境作りは,世界的な課題のようである。日本の現状を悲観する必要はないかもしれない。こんなくだりもある。

 「インダストリアル・エンジニアリングや品質管理など肉体労働者の仕事を測定評価するための手法は,知識労働者には適用できない。知識労働者は自らをマネジメントしなければならない」

 もちろんシステム開発の世界においても,品質を高めることは極めて重要である。ただ,そのやり方が通常の工業物と同じではおかしい,ということだ。工場の生産ラインにいくら工夫をしても,生産性がいきなり数倍になることはない。しかしシステム開発の世界では,できるエンジニアがやる気を出すと,数倍,いや数十倍の生産性で仕事をしてしまう。問題は,こうした知的労働の対価を作業時間を基に計算していることである(関連記事1関連記事2)。

■ITによる革命はまだ始まったばかり

 本書では,ITそのものについての興味深い観察結果も書かれている。ドラッカー氏は,コンピュータやITの限界として,現状では組織の中のことしか把握できないと述べている。

 「組織は外の環境に対する貢献が目的である。しかるに,組織は成長するほど,外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく。この危険は,コンピュータと情報技術の発達によってさらに増大する」

 最近の情報システムでは,企業の外にいる顧客,しかもまだ取引がない顧客の情報を扱おうという試みがされている。ただし,ドラッカー氏が指摘する「組織にとってもっとも重要な意味をもつ外のできごとが,多くの場合,定性的であり,定量化できない」という問題は残る。

 本書の巻末には,付章として,「eコマースが意味するもの IT革命の先に何があるか」という一文が収められている。これも面白い。かつての産業革命と今日を比較した論文である。ここでは,蒸気機関とコンピュータはともに革命の導火線であったと述べられている。ただし蒸気機関は以前から存在していた製品の生産を機械化しただけであった。コンピュータも同じだとドラッカー氏はいう。

 蒸気機関の次に,世の中を大きく変えたのは鉄道であった。蒸気機関の登場から鉄道が生まれるまで,なぜか40年が経過した。鉄道にあたるのが,インターネットを使ったeコマースである。こちらもコンピュータが登場してから大体40年後に出現した。鉄道によって火がついたブームは100年近く続いた。従ってITによる新たな革命は,まだまだ先が長いということになる。世の中がどう変わるかは,100年後にならないと分からないのかもしれない。

■専門知識を非専門家に伝えるのがプロ

 ここまでは,ITプロフェッショナルの方が「そうだそうだ」あるいは「なるほど」と思われるような指摘を集めた。以下では,ITプロフェッショナルにとって耳が痛いくだりを引用する。

 「専門知識はそれだけでは断片にすぎない。不毛である。専門家の産出物は,ほかの専門家の産出物と統合されて初めて成果となる」

 「今日の若い高学歴者のもっとも困った点は,自らの専門分野の知識で満足し,他の分野を軽視する傾向があることである」

 これらの文をITの世界に置き換えることは止めておく。さらに,こんな激烈な指摘もある。

 「知識あるものは,常に理解されるように努力する責任がある。素人は専門家を理解するために努力すべきであるとするのは,野卑な傲慢である」

 ちょっと前に,筆者がコンサルタントとある顧客について書いた記事について,「コンサルタントに曖昧な発注をした顧客のほうが悪い」といった書き込みを相当数頂戴した(記事へ)。

 確かにITプロフェッショナルとしては,自分でなにをやりたいのかをはっきり言えないし決められない顧客とは付き合いたくないだろう。それはまったくその通りであり,専門家が怒るのはもっともである。しかし,それでも専門家たるもの,素人を正しい方向になんとか導く責任があるのではないか。

さて,ドラッカー訳者の上田氏が教えてくれた「パート5の第2章」には何が書かれていたか。

 この章の表題は,「“教育ある人間”が社会をつくる」である。教育ある人間とは,専門知識を習得したプロフェッショナルといってよいだろう。ドラッカー氏はこの章の冒頭で,「知識社会への移行とは,人間が中心的な存在になることにほかならない。そして知識社会の代表者たる教育ある人間に対し,新しい挑戦,新しい課題を提起する」と述べる。詳しくは本書を読んでいただきたいが,新しい課題の一つは以下の責任を果たすことである。

 「専門知識の所有者たる専門家自らが,自らの知識領域を理解しやすいものにする責任を果たさなければならない。メディアだけでは,この役割を果たすことできない」

 1月9日付の記者の眼で,「エンジニアの皆さん,もっと経営者に意見しませんか」という一文を書いた。その主旨は,「ITの専門家のほうから,ITの素人である経営者にもっと働きかけをしましょう」ということであった。筆者は今,ITをはじめとするさまざまな専門知識を経営者に分かりやすく発信する媒体を作ろうとしている。IT Proの読者の方々にその媒体で活躍していただきたいと思って,ああした記事を書いた。

 ドラッカー氏によれば,専門知識を非専門家に伝えることは,プロフェッショナルの責任である。しょせん,メディアは専門家の発言を聞いて,それを広く伝える媒介の機能しか果たしえない。メディアに“あんこ”を詰めるのは,専門家の役目なのである。

 IT Proには,日本有数のIT専門家が集っていると思う。ぜひIT Pro,そして筆者が作成中のメディアを利用し,プロフェッショナル責任を果たしていただきたい。筆者に専門家としてのご意見をいただければ,筆者はそれを集約して再発信させていただこうと思う。以前の記事で「筆者を『意見の増幅器』として使ってほしい」と書いたことがある。これが筆者がメディアとしてのプロフェッショナル責任を果たすことだと考えている。よろしくお願いします(ご意見は下の「Feed Back!」欄から,または電子メールでiteditor@nikkeibp.co.jpあてにお願いします)。

 なお,ドラッカー氏についてあれこれ書いた別の記事を本日から,筆者のページで公開している(記事へ)。興味を持った方はそちらものぞいていただきたい。

(谷島 宣之=ビズテック局編集委員)