政府や地方自治体を含め,オープンソースへの取り組みが日本でも本格化し始めた。これまで二の足を踏んでいた層を後押しするのは確実だ。

 例えば経済産業省が管轄する独立行政法人・産業技術総合研究所(産総研)を舞台に今後2~3年で,サーバーだけでなく3000台のクライアント環境や,ルーターなどネットワーク環境までをオープンソース系システムに移行させる。2003年度に10億円の予算を獲得した。総務省は2003年度,オープンソースの検証に1000万円を当てる。政府がOSを比較検討すること自体,これが初めてで,それほどオープンソースを使うかどうかが避けられないテーマになった。

欧州・アジアなど“米国の一人勝ち”を強烈に意識

 それでも日本の動きは遅い。世界各国政府のオープンソースへの取り組みに詳しく「オープンソースと政府」というサイトを運営する三菱総合研究所の比屋根一雄情報環境研究本部情報技術研究部数理解析技術チームリーダー主任研究員によれば,世界各国は2000年を境にオープンソースへの取り組みを強化。そこに,2001年のCode Red/Nimdaといったウイルスの発生でセキュリティ対策に真剣にならざるを得なくなったことと,米Microsoftの新料金体系Lisence6が割高感を与えたことが拍車を掛けた。

 表向きは,色々な理由を挙げる各国政府だが,その根底では米国主導のIT(情報技術)産業での巻き返しを狙っている。日本がようやく重い腰を上げた理由の一つも,そこにある。日本のIT業界の弱体化が進んでいるからだ。

 今や日本は,ハードはもとよりOSからミドルウエア,ERPパッケージ(統合業務パッケージ)などのアプリケーション・ソフトまで,多くを海外製品に依存している。ソフトの貿易額は2000年に,輸出90億円弱に対し,輸入は9200億円弱と100倍の開きがある。それほど日本のIT業界は,海外製品をいかに使うか,どうすれば上手く動くかに力を割いている。

 そこでは,特定ベンダーによりブラックボックス化された商用製品を稼働させるためのノウハウしか蓄積できない。人材に投資せず,多くの若いソフト技術者を安価に使い捨ててきた。結果的にミドルウエアなどの製品となるソフトを開発する設計力や開発力が育たず,さらには設計力と開発力のある人材が必須のISV(独立系ソフト・ベンダー)という業態まで成立を困難にした。ISVを育てられなかったことが,日本のIT業界弱体化の一因と言える。

日本のオープンソースを支えるのは30~40代?

 こうした現状を打破するきっかけとして,自らソース・コードを見ながら判断できるオープンソースへの期待が高まる。

 ところが,オープンソース推進派に属する,官僚やシステム・プロバイダ,NPO(特定非営利活動法人)らを取材して感じたのは,失礼ながら「意外と年齢層は高いのだな」ということだ。筆者のイメージするオープンソース活動や,そこに参加している人材層は,ソフト開発やコンピュータに没頭できる若年層だったからだ。

 オープンソースの開発環境整備を進めるNPO,フリーソフトウェアイニシアティブ(FSIJ)の新部裕副理事長も「高齢化している」と嘆く。

 年齢が高い,といっても取材でお会いしたのは30~40代の方々が中心だったし,新部副理事長が体感する日本のオープンソース人口の平均年齢は32歳前後というから,それを“高齢化”と呼ぶと違和感はあるかもしれない。しかし,10年前にオープンソースに可能性を感じた若者達が,そのまま年を取っただけ,とも言える。海外では「20代や,それ以下の若者の参加が活発」(FSIJの新部副理事長)である。オープンソースに積極的に取り組む若い開発者が,もっと増えてもよい。

 「オープンソース=若年層」のイメージを持つ理由は,オープンソース文化として紹介される(1)金銭的見返りではないものに価値を見出せる,(2)ブランドも実績もある大手ベンダー製品と対抗するソフトを開発する,(3)権力の一極集中に抵抗する,などがいずれも,それなりの“反骨精神”の表れに映るからだ。若いほど過激になれるようにも思う。

 その“反骨精神”が若年層に育まれていないとすれば,オープンソースにとどまらず,IT業界,ひいては日本という国さえも,大勢が動き始めた際に「ちょっと待てよ。本当にそれがよりよい社会を作りだす方向に向かっているのか」と自己修正する力を失い始めていることになる。個々人の処理能力は優秀になっているだけに,方向性を確認できないことは致命傷とも言える。

 “高齢化”した層には,明るい兆しも見える。例えば,電子自治体をオープンソースで実現する際に助言するNPOなどで,リタイア組を中心とした組織が名乗りを挙げている。昨今の経済不況で,働きたくても働ける場所を追われた人々もいるため,彼らは金銭的なメリットよりも,むしろ“働けること”や“感謝されること”に喜びを発見できる。営利目的から離れた労働環境は,ある種の“反骨精神”を醸し出す土壌になるはずだ。

 とはいえ将来を考えれば,“高齢化”した層だけに期待することはできない。そこでこの層に俗する役職者などは今,その資金力を生かして若年層の育成にも力を入れ始めている。例えば,新日鉄ソリューションズなど大手システム・プロバイダやメーカーは,北海道大学に寄付口座を開きソフト工学的人材の育成に乗り出す。また沖縄・那覇市はNPOと共同で中高生を対象にオープンソースのサマー・スクールを開くことも計画している。

 いずれも5年先,10年先をにらんだ種まきだ。うがった見方をすれば,今の20代に“反骨精神”を芽吹かせるのは,そうとうに難しいと判断しているのかもしれない。

人材育成の第一歩は,まず“使ってみる”こと

 オープンソース推進派が人材育成に熱心なのは「オープンソースは,井戸と同じように,使うだけではいずれは枯れてしまう」(FSIJの新部副理事長)との危惧があるからだ。オープンソース,すなわち他人にソース・コードを公開しても恥ずかしくないレベルのプログラムを作れる人材を育成する必要がある。

 ただ,ソフト開発者にならなくてもオープンソースを支えることはできる。オープンソースを使い,要望などをコミュニティ伝えることだ。より多くの利用があれば,開発者のやりがいになるし,バグや課題も早期に見付けられるからだ。これならオープンソース推進派の主張のすべてに賛同できなくても,肩肘張らずコミュニティに参加できそうだ。

 利用者も製品やコミュニティ,さらには業界を構成する一員であり,成長を支えるとすれば,日本のIT業界の弱体化は,ユーザー企業にもその責任の一端はある。“反骨精神”があれば,特定ベンダーの一人勝ち状態は生まれないし,システム・プロバイダへの「丸投げ」発注もないだろう。

 コンピュータやITは,それ自体「現状を打破するのに,ITならこんな方法が可能になる」「こうすれば,もっと安い」といった“反骨精神”をはらんでいると思う。オープンソースに限定する必要はないが“反骨精神”ある人材を育成することが日本のITや業界の発展につながる。

(志度 昌宏=日経システムプロバイダ編集)