ADSLの普及で一気にユーザーに身近になったブロードバンド。でも,まだまだADSLなどのブロードバンド・サービスを受けられない地域は多い。各事業者は,サービス・エリアを拡大する際に,それにかかるコストと期待できるユーザー数を考え合わせて判断する。そのため,地理的に費用対効果が低い地域ではなかなかブロードバンド・サービスが提供されないという図式になっているのだ。

 それでは,そういった地域のユーザーは,これから先もブロードバンド・サービスを利用できないのだろうか。法的にブロードバンドが「ユニバーサル・サービス」,つまり電話と同じように「日本国内のどこでも利用できる通信サービス」として認められれば,全国津々浦々まで一気に行き渡ることになるだろうが,現状その可能性はきわめて低い。

 では,技術的な面,コスト的な面から見て,より効果的に広いエリアをカバーする通信インフラのシステムは考えられないだろうか。

地上20kmに飛行船の無線基地局を浮かべる

 広いエリアをまんべんなくカバーするサービスとしてまず頭に浮かぶのは,衛星を使った通信や放送のサービスだ。

 放送でいうとBS(放送衛星)やCS(通信衛星)のテレビ放送がある。日本全国を1機(または2機)の衛星でカバーするサービスだ。これなら地理的な制約はほとんどない。通信に目を向けると,衛星携帯電話サービス「イリジウム」が思い出される。イリジウムは,66機の低周回軌道衛星を使って地球上どこにいても電話できるという画期的なシステムである。ただし,技術開発や衛星の打ち上げなどに膨大なコストがかかり事業は破綻した(その後,特定用途向けにサービスを再開している)。

 衛星を利用するシステムはメリットが多い半面,打ち上げなどに膨大なコストがかかるという問題点がある。では,全国どこでも利用できるブロードバンド向けシステムを低コストで構築できないだろうか――。

 こういうコンセプトで技術開発が進んでいるのが「成層圏プラットフォーム」と呼ばれる構想である。2002年12月に,独立行政法人の通信総合研究所(CRL)がその取り組みの現状を報告した。このコンセプト,あまり知られていないかもしれないので,ますざっと見てみよう。

 成層圏とは高度10k~50kmの層のこと。このうち比較的風が弱い高度20km周辺に飛行機や飛行船を上げて無線通信や放送の基地局として利用しようというのが成層圏プラットフォームの考えである。全長200メートル以上の飛行船十数機を成層圏に打ち上げれば,日本全国をカバーする通信/放送インフラが出来上がる。ブロードバンドのアクセス回線としての利用はもちろん,デジタル・テレビ放送や携帯電話の基地局として使うことも想定している。

 でも,なぜこんなシステムが検討されているのだろうか。それはその特徴を見れば理解できる。いくつか列挙してみよう。

(1) 地上に置く基地局と異なり,半径100km以上のエリアを1機の飛行船や飛行機でカバーできる(仰角10度の場合)
(2) 積載できる容量が大きいので,各種の通信/放送機器を搭載できる
(3) 人工衛星と異なり,飛行船や飛行機を回収して設備をメンテナンスしたり入れ替えたりできる
(4) 静止衛星と異なり仰角を大きく取れるので,建物などの障害物の影響を受けにくい
(5) 静止衛星を利用する場合と比べて伝送遅延が小さく,電波の出力も低く抑えられる
(6) 衛星を使う通信/放送と同様,地震などの災害時でも影響を受けにくい
(7) ロケットの打ち上げが必要な人工衛星や地上局を建てる土地が多く必要な携帯電話やテレビ放送と異なり,コストを安く抑えられる

 この中でも特に最後のコスト・メリットは大きそう。試算によれば成層圏プラットフォーム用の飛行船は1機50億円程度になる見込み。全国をカバーするのに20機の飛行船が必要だとすると約1000億円で全国規模のインフラが構築できる計算だ。それに対して例えば第3世代携帯電話の全国展開には数兆円の設備投資が必要になるという。もちろん数兆円が1000億円に置き換わるわけではないが,土地代や基地局の建設などを考えに入れるとコストは大幅に削減できそうだ。デジタル・テレビ放送など携帯電話以外の設備も相乗りさせれば,コスト・メリットはさらに大きくなる。

 このように,人工衛星を使う放送や通信のメリットを生かしつつ,デメリットをできるだけなくしたインフラが成層圏プラットフォームだと考えればいいだろう。

世界初の実証実験に成功したが・・・

 成層圏プラットフォームの研究開発は,昨日今日始まったわけではない。国内では郵政省(現総務省)で1989年から基本的な検討がスタートした。1998年には郵政省と科学技術庁(現文部科学省)が共同で成層圏プラットフォーム開発協議会を発足させ,研究開発を始めた。現在は,前出のCRLと通信・放送機構(TAO)などが技術開発を継続する一方,企業でも飛行船の開発などを進めている。

 CRLは2002年6~7月に米国ハワイで成層圏プラットフォームの実証実験を実施(関連情報)。その結果を2002年12月に報告した(関連情報)。

 実験では,太陽光をエネルギーにして飛ぶソーラー・プレーン「Pathfinder Plus」にデジタル・ハイビジョン・テレビの中継局設備と第3世代携帯電話IMT-2000の基地局設備を搭載し,ハワイ上空20kmに滞空させた。そして成層圏の無線通信基地局と地上のネットワークおよび端末が問題なく通信できるかどうかを調べた。

 通信は見事に成功。IMT-2000の中継で一部電波干渉が発生したが,それを技術的に解決できることも証明する結果となった。成層圏の無線局を中継した通信実験は世界初だという。

 しかし,実用化への道のりはまだ遠い。最大の課題は,飛行機や飛行船の建造。CRLが今回実験に利用したPathfinder Plusは,実は米国NASAなどが開発したもの。国内にはこういったソーラー・プレーンはない。さらに,飛行機よりも積載量が多く成層圏プラットフォームの本命と見られている飛行船はまだ世界のどこにもない。

 地上20kmの成層圏に浮かべる飛行船は,軽量でかつ丈夫な船体が必要だが,その素材や構造など,研究はまだまだ未完成。さらにその飛行船を一点に滞空させておく技術もまだ確立されていない。その上,太陽のない夜間でも通信や放送を中継するために電力を蓄えておく燃料電池の技術なども必要だ。

 国内では川崎重工が無人で飛行を制御する飛行船の試験機を2002年4月に完成させたところ(関連情報)。実際の用途に利用できる飛行船の完成はまだ先だ。今回の実験を行ったCRLは「飛行船の実用化は2010年ころになるのではないか」と見ている。

順調にいけば2007年にも出来上がる新東京タワー

 でも,時は待ってくれない。NTTドコモをはじめとする携帯電話事業者各社はすでに「FOMA」などの第3世代携帯電話サービスを始めており,膨大な設備投資で着々とエリアを拡大している。テレビの地上波デジタル放送も,関東圏では今年末にも放送が始まる予定。当面は現在の東京タワーにデジタル放送用の設備を置くという話だが,関東圏のデジタル地上波放送用に上野公園内に「新東京タワー」を建設するという計画も浮上している。まだ決まったわけではないが,総工費は450億円で順調に進めば2007年にも完成する見込みだという。

 これらの通信/放送インフラがすべて出来上がってしまうと,成層圏プラットフォームのメリットがかすんでしまう。前で見たように,通信や放送のさまざまな設備を搭載することで,各システムの構築にかかるコストを折半できるというのが成層圏プラットフォームの最大のメリット。それなのにこのままでは,技術開発が済んでいざ実用化という段階になってみたら,実は搭載するアプリケーションがなかったという事態にもなりかねない。ブロードバンドのラスト・ワン・マイルとしてしか使えないようになると,それはそれで割高なインフラになってしまう。

 それでも,個人的には成層圏プラットフォームにとても期待している。その理由は,搭載する機器を入れ替えて上げなおすことができるから。成層圏プラットフォームは第3世代携帯電話のインフラとして使われる可能性は低いが,その次の第4世代携帯電話では使われるかもしれない。日々進歩するブロードバンドにもそのつど対応していけるだろう。

 成層圏プラットフォームは,新しい技術が登場したから捨てられてしまう技術とはちょっと性格が違う。通信/放送用のインフラを支える,よりベーシックなインフラとして実用化が待たれる。

(藤川 雅朗=日経NETWORK副編集長)