今回はちょっと趣を変えて,LANの代名詞ともなっているEthernet誕生の裏側に言及してみたい。ちょうど,日経NETWORK誌の2003年1月号(新春号)の特集取材で当時の開発者にインタビューできたので,飲み屋でちょっとしたウンチクを語るネタにでもしていただければと思う。

 Ethernetという言葉が生まれたのは,1973年5月22日,もうすぐ30年が経つ。この日,Ethernetの発案者であるRobert M. Metcalfe氏が米Xeroxの研究所PARC(Palo Alto Research Center)の所員に向けて「新しいネットワーク技術の名前を“Ethernet”にしよう」と提案するメモを配った。これが発端だ。

 実は,それまでは「ALTO ALOHAネットワーク」という名前でEthernetは呼ばれていた。PARCで開発されていたALTOという研究用コンピュータ(これにまつわる話も面白い)同士をつなぐためのLAN技術で,ALOHAシステムというものを基に考案されたからである。

「アロハ」から「エーテル」へ

 1972年夏,PARCへ入所したMetcalfe氏は,ALTO同士をつなぐLAN技術の開発を任される。そして,秋にALOHAシステムの論文に出会うことになる。ALOHAシステムとは,インターネットの起源となったARPANETに続く世界で2番目のパケット通信システムである。

 このALOHAシステムの画期的なところは,同じ周波数の無線を使って,複数の端末がパケットをやりとりするところにある。当時は,電話のように1対1でやりとりするか,テレビやラジオ放送のようにデータを一方的に送るシステムしかなかったのだ。そこで,ALOHAシステムの発案者であり,当時はハワイ大学の教授だったNorman Abramson氏は,電波が混信したらランダムな時間だけ待って再送する方法を考え出した。

 この方式を有線に適用し,発展させたのがEthernetである。有線ならケーブルをいつも監視していれば,ほかの端末が送信していることが分かる。そこで,ほかの端末が信号を出していたら,自分は出さないようにする。これがキャリア・センスだ。

 運悪く複数の端末がほぼ同時に信号を出してしまったら,途中で信号がぶつかって異常な電圧の信号になるので,これを検出する(コリジョン・ディテクション)。そして,衝突を検出したらランダムな時間だけ待って再送する。

 ただ,ランダムな時間だけ待つと,ALOHAシステムのように端末が増えてLANが混雑すると伝送効率が落ちてしまう。そこでMetcalfe氏は,LANの混雑具合に合わせてランダムな待ち時間の平均値を変えることにした。これがマルチプル・アクセスを実現するバックオフ・アルゴリズムである。

 今では,Ethernetを動かす,これら三つの動作原理はCSMA/CD(Carrier Sense Multiple Access wtih Collision Detection)と言われる。

 こうして1973年春までには,Ethernetの基本原理は固まり,実際の実験システムを作ろうということになった。最初に動いた実験システム(Experimental Ethernet)の仕様は,以下のようなものだった。( )内はIEEE802.3標準10BASE5の仕様である。

 ・最大伝送速度:2.94Mビット/秒(10Mビット/秒)
 ・最大伝送距離:1km(2.5km)
 ・最大セグメント長:1km(500m)
 ・アドレス長:8ビット(48ビット)
 ・伝送メディア:同軸ケーブル(同軸ケーブル)

 この実験システムの開発中に,Metcalfe氏が思いついた名前が,Ethernetである。この語源は,「エーテル(Ether)」という仮想的な物質。17世紀にホイヘンスという学者が,光を伝えるために,宇宙空間などの真空も含めた至るところを満たしている仮想的な物質として定義したものだ。

 ただ,エーテルの存在自体は19世紀末のマイケルソンとモーリーの実験や,20世紀初頭のアインシュタインの相対性理論によって否定されている。「ある物理学者は,すでに存在が否定されている物質の名前を使うなんて,評判を落とすだけだと批判したが,こんな古い言葉を楽しんで名付けたんだ」(Metcalfe氏)という。

10BASE-Tの基は光,StarLANじゃない

 ここまでの話,断片的には知っている人も多いだろう。では,シールドなしより対線(UTP)を使ったEthernetである10BASE-Tの基となった技術は何か知っているだろうか。

 昔からネット技術に精通している人なら,「StarLANが基さ」と思うかも知れない。StarLANはIEEE802.3委員会で1BASE5として規格化されている。米AT&Tと米Intelが共同で開発した,UTPを使うLAN技術だ。伝送速度が1Mビット/秒とEthernetよりも遅かったが,CSMA/CDを採用していた。しかし,これが10BASE-Tの起源とは言い切れない。

 実は10BASE-Tの起源は光にある。XeroxではEthernet(10BASE5)がIEEE標準になる2年も前の1981年ころには,Ethenetの伝送媒体を同軸ケーブルではなく,光ファイバに置き換える試みが始まっていた。しかし,光ファイバをそのまま使うには課題も多かった。例えば,LANに端末を追加する方法である。同軸ケーブルは中の銅線に電流が流れているので,そこに端子を当てて電流を取り出せば,ケーブルの途中に端末を接続できる。しかし,光ファイバだと途中に穴を空けて光を取り出すのは難しい。

 そこで集線装置を設けて,端末と1対1でつなぐようにした。新たに端末を追加するときには,光ファイバの途中につなぐのではなく,集線装置から光ファイバを引いて接続する。これが,今では当たり前となっているスター状配線,そして集線装置はリピータ・ハブの原形となった。

 この光イーサネットの研究・開発にPARCで従事していたのが,Ronald V. Schmidt氏。彼は,この研究成果を基に事業化を考えていたが,「光ファイバのシステムは非常に高価でだれも使いたがらなかった」という。

 そうこうしているうちに時は流れて1985年1月,米IBMが同社のLANシステムであるトークンリング向けにシールドされたより対線(STP)の配線システムを販売するニュースが飛び込んでくる。このニュースによると,配線システムは先行販売されるものの,トークンリング機器自体は,その年の年末まで発売されないとある。

 これに目をつけたのが,先ほどのSchmidt氏。「光イーサネットのケーブルをSTPに置き換えれば,そのままEthernetが使える。そしてIBMの配線システムを先行導入した顧客に売り込もう」。こうして,1985年6月,Schmidt氏はSynOptics Communicationsを設立することになる。

 さらに,Schmidt氏はStarLANを見て,UTPでもEthernetを実現しようと開発を進め,UTPを使った初の製品LattisNetが生まれた。1987年8月17日のことである。Schmidt氏いわく,「その日のことはよく覚えているよ。ちょうど同じ日に,IEEEでUTPのEthernetの標準化作業が始まったんだ」。この3年後の1990年,UTPを使うEthernetは,10BASE-Tとして正式な標準になった。

 少し長くなってしまったが,まだまだ書き切れていない面白い話はいっぱいある。ご興味があれば,日経NETWORK2003年1月号特集1『総力現地取材 イーサネットの歴史探訪記――誕生から30年,栄光の軌跡をたどる』をのぞいてみてください。

(三輪 芳久=日経NETWORK副編集長)