10数年前から何度となく検討したものの,いつもお蔵入りさせていた企画があった。「動かないコンピュータ」の単行本を出版することである。動かないコンピュータとは,日経コンピュータに創刊当時から掲載されているコラム名であり,情報システムに関する失敗やトラブルを指す。

 この12月9日,ついに「動かないコンピュータ 情報システムに見る失敗の研究」という単行本を発売できた。日経コンピュータの創刊当時から数えると,20年以上たってようやく初の単行本が完成したわけだ。

 今回の「記者の眼」の主旨は,その単行本の宣伝と,IT Proの読者へのお礼である。以下の文章は,単行本の一部分を加筆・修整し,さらに再構成して作成した。

何度となく単行本を求められる

 「動かないコンピュータをまとめて読みたいので単行本にしてほしい」。日経コンピュータの読者や取材先からこう言われたことは何回もあった。IT Proの読者からも同様の意見をいただいた。1年半ほど前,記者の眼で動かないコンピュータについて書いたときに,読者から寄せられた意見を再掲する(記事へ)。意見の冒頭にあるのは,読者が意見を書き込んだ年月日である。

[2001/05/08]
過去の記事を読みたいので,「動かないコンピュータ」と「誤算の検証」の単行本を希望します。

[2001/05/08]
「『動かないコンピュータ』と『誤算の検証』の単行本を希望」に1票。

[2001/05/08]
 たいへん感心したので登録しました。(中略)単行本もそうですが,大々的にWebで公表してもらえると貧乏人には大助かりです。

[2001/05/09]
私も単行本を期待します。いかに古い記事でも,普遍的な問題点を改めて浮き彫りにできると期待します。

 ちなみに「誤算の検証」とは,動かないコンピュータの連載を復活させたときに付けたコラム名である。さて,読者からこれだけ期待されても,やはり単行本は作れなかった。理由は記事の性格にある。動かないコンピュータは,トラブルが発生している時,ないしはトラブル収拾の直後に掲載している。従って,時がたってから本にまとめることが非常に難しい。

 動かないコンピュータに登場した企業の多くはその後,たいへんな努力をされ,トラブルから脱出されている。過去の記事を単行本にした場合,本が出たときにそのシステムは「動いている」か,場合によっては,別のシステムに切り替わっている。動かないコンピュータという表題の本にするのは無理があるし,当事者は「もう勘弁してほしい」と言うだろう。

IT Proの読者の書き込みに対して,筆者はこう書いた。「10数年前から単行本を企画・検討している。動かないコンピュータは登場する企業を実名で報道している。単行本にそのまま名前を出していいかというと,現在はトラブルから脱出されている場合もあり,許可はおそらく得られない。といっても匿名にしては,迫力がなくなる。悩ましいところである」

 さらに,「匿名でもかまわないという読者が多ければ企画しますけれど」と述べた。するとさらにご意見をいただいた。

[2001/10/17]
「動かないコンピュータ」の単行本化には私も一票いや百票くらい投票します。具体的な企業名を書くのが憚られるのであればイニシャルでも良いではないでしょうか? 脱出されたプロジェクトはその旨フォローすれば良いでしょうし,その後の状況をトレース可能な範囲で(当然,限界はあるでしょうが)書ける範囲でとらえばいいでしょう。 情報サービス産業の負の面を後世に残すというメリットの方が大きいと思います。

[2001/10/22]
>>過去の記事を読みたいので,「動かないコンピュータ」と「誤算の検証」の単行本を希望します。
>前述した通りです。匿名でもかまわないという読者が多ければ企画しますけれど。
かまわない ぜひ欲しい

我が国の「コンピュータ裏面史」

 匿名でも読者が満足されるなら,作りようがある。IT Proの読者の後押しを受けて,単行本を出版することを最終決定した。ただ,2001年10月のやり取りから今回の出版まで,1年以上もかかってしまった。なぜそんなに時間を費やしたかについては,質問しないでいただきたい。

 読者の意見を受けて,企業名は原則として匿名にした。ただし,その後の状況はあまりトレースできていない。完成した本を見ると,我が国の「コンピュータ裏面史」とでも呼ぶべき内容になった。

 日経コンピュータの創刊直後である,1980年前半の時代においては,オフコンと呼ばれた中堅企業向けの事務処理コンピュータの導入に失敗した事例が多く見られた。オフィスの片隅でほこりをかぶっているコンピュータである。これは1980年代前半にあったオフコン導入ブームの反動であった。

 1980年代後半から,大企業が業務システムを再構築するプロジェクトを本格的に始めた。しかし,業務システムを一気に作り替える大型プロジェクトは困難を伴い,かなりのプロジェクトが迷走した。開発をなんとか終えたとしても,新システムを動かしたとたん,プログラムのミスが顕在化し,システムを止めてしまうこともあった。動かしてからかなりたって突然,ダウンすることもある。大規模なシステム・ダウンが目立ってきたのも1980年代後半からであった。

 1990年代に入ると,大型コンピュータ中心の時代から,UNIXサーバー機とパソコンを組み合わせてシステムを作る時代に入った。クライアント/サーバー・コンピューティングと呼ばれた,この手法で従来の業務システムを作り直そうとする動きが始まったものの,なかなか難しかった。

 技術の潮流が大型コンピュータからクライアント/サーバーに移ったのもつかのま,1990年代半ばにインターネットの本格利用が始まった。クライアント/サーバーへの移行過程と同様に,インターネット技術を使ったシステムにおいてもトラブルが続発している。

人間がかかわる限り,失敗はついてまわる

 本書をまとめてみて痛感したのは,動かないコンピュータが無くなる日は永遠にこないだろう,ということだ。これは必ずしも悲観論ではない。「動かないコンピュータは必ず姿を見せる」という前提で,ことに対処していこうという主旨である。

 情報システムの構築や運用には,人間が密接にかかわっている。残念ながら,人間はコンピュータほどには劇的に進化しない。さほど変化しない人間と,変貌を続けるコンピュータ技術。人間とコンピュータのあつれきが表に出てきたのが,動かないコンピュータである。

 情報システムとは,コンピュータを使って業務を処理する仕組みである。コンピュータそのものは順調に動いていたとしても,それを使った業務の仕組みが担当者や関係者に周知徹底されておらず,仕事をうまく進められなかった場合,情報システムとしては「動かなかった」と言わざるをえない。

 また,コンピュータに何をさせるかを決めるのは人間である。しかし,コンピュータが理解できる形式に,業務のやり方をきちんと整理することは案外難しい。何をしたいのかを曖昧にしたまま,システムを開発してしまうと使われないシステムが生まれてしまう。

 しかも,企業の要望を汲み取り,情報システムを開発し運用するのはその企業の社員とは限らない。コンピュータ・メーカーやソフト会社あるいはシステム・インテグレータと呼ばれる外部のシステム開発会社の社員が実際の作業を請け負う。外部の企業にいる技術者が顧客の要望を正しく認識できないと,動かないコンピュータを作ってしまう。

 人間がさまざまな形でかかわってくるため,情報システムの構築は,原則として一社一社ごとの「個別生産」になる。一定の品質の製品を大量生産するような仕事とは根本的に性格が異なる。個々の顧客を満足させるシステムを構築することは簡単ではない。

メディア批判に答える

 最後に,メディア批判について触れる。動かないコンピュータは,書かれる当事者にとってはたまらないものがある。ただでさえ,情報システムの開発プロジェクトは厳しい仕事である。プロジェクトの終盤に入ると,開発現場では徹夜作業が続く。こうした状況で,開発遅れなどトラブルが起き,しかも大きく報道されてしまったとき,当事者がどんな心境になるか。これは我々記者が意識すべきことと考える。

 「日経コンピュータはマッチポンプだ」という批判もよく聞く。日経コンピュータは,最新の製品や技術についても報道している。「バラ色の話を喧伝しておき,それに飛びついて失敗すると,今度は動かないコンピュータで叩く。けしからん」というわけだ。最新技術についてはその可能性に加え,そのリスクや注意点まで報道するよう心がけたいと思う。

 ただ自己弁護をすると,筆者は保守思想の持ち主なので,「こんなに新しいことがある」という報道はあまりしたことがない。むしろ,「その話は昔あった××と同じ」とすぐ思ってしまう。人間がからむ話で本質的に新しいことなど,さほどないのではなかろうか。本欄の読者から先般,「いつもおなじ話を書いている」という批判をいただいた。その通りである。確信犯でそうしている。

 ここまで書いて,かなり前に,ある大手金融業のシステム責任者に電話で怒鳴り込まれたことを思い出した。その企業は,メインフレームの基幹システムをクライアント/サーバー環境に移行しようとして失敗し,そのプロジェクトを打ち切った。筆者はそのことを動かないコンピュータに書いた。

 システム責任者は筆者にこう言った。「プロジェクトには,絶対失敗できないものもあれば,リサーチを兼ねてあえて冒険するものもある。今回のプロジェクトは基幹業務とはいえ,リサーチ活動の位置付けもあった。既存の基幹システムはそのまま動いており,現場に迷惑はかけていない。新しいことにチャレンジした姿勢と努力を認めず,ただ批判するあなたはおかしい。猛省せよ」

 電話で30分くらい,怒られた。確かにプロジェクトの成否をどう判断するかは難しい。経営上,実害がない失敗は,実験と割り切ってもよいのだろう。ただし,かなりの時間と人員をプロジェクトにつぎ込み,しかも完成のめどがたたないプロジェクトがあった場合,現場の業務に当面影響はないとはいえ,積極果敢なチャレンジとはいえ,筆者は動かないコンピュータに書く。

(谷島 宣之=コンピュータ第一局編集委員)