「ISO9001の定期審査の日は,部門の責任者以外の社員は早退させられる。マニュアル通りに仕事をしていないのがばれると審査に通らなくなるからね」

 首都圏で製造業を営むAさんは,ISO9001の認証を受けた取引先B社の社員にこんな話を聞いて愕然とした。Aさんの会社でもISO9001の認証取得を目指して準備にかかろうとしていたところ。Bさんの話を聞いて「審査だけ取り繕って終わりなら,せっかく取得してもあまり効果は期待できないのだろうか」と暗い気分になったという。

 「日経IT21」の12月号(10月29日発売)で中堅・中小企業におけるISO9001や14001の取得状況を調べるにあたり,こんな話を聞いた。ISO9001の認証を取得する中堅・中小企業の数は年々増え,最近は10人以下の企業が取得する例も珍しくない。

 「ISO9001の認証を取得すれば,きちんとした品質マネジメント・システムを構築した企業として,取引先などからの信用も上がる」。ISO9001を取得するメリットとしてよく言われることだが,Aさんが聞いたような“形だけの認証取得企業”もあるようだ。
 ISOを取得したのはいいが,現場の仕事は以前通りで品質向上効果も見えてこない。せっかく作ったマニュアルや手順書は実際に参照されることがほとんどない。とはいえ一度取得した認証を取り消されるのもイヤなので,定期審査の前だけ書類を整備して取り繕う。このように形骸化した運用が増え,一部ではISO不要論も唱えられている。

 ISO9001を取得しながらも,継続を中止した企業の経営者に話を聞くことができた。「取得や維持に多大なコストがかかる。文書管理が煩雑で,製造現場が本業に集中できない。その結果,取得後の不良品の発生率は取得前よりも上がってしまった。審査機関の意に沿うことを優先させて,顧客への対応が二の次になっていた」。ISO9001の“型”を満たすための負担に悩み,モノづくりがおろそかになってしまったことへの悔いを語ってくれた。

取るまでの“プロセス”を重視する

 こういった話から,ISO9001の“問題点”を念頭に入れつつ取材をスタートした。ところが実際にISO9001の認証を取得した中小企業に話を聞くと,「非常に得るものが大きかった」という前向きな意見が多い。「不良品の発生が1割以下に激減した」「顧客満足度の調査結果が著しく上がった」「クレームへの対応がスムーズになり,大きなトラブルを未然に防止できた」といった具体的な効果が次々と出てくる。

 ISO9001を活かして品質や経営レベルの向上などの成果を得られた会社と,ISO9001に振り回され成果もさして得られない会社。この二つの差はどこにあるのだろうと考えた。

 一つは単純なことだが,それまでの品質管理への取り組み具合の差だ。身もふたもない言い方だが,それまで何もやっていない会社ほど,ISO9001で体系立てた品質マネジメント・システムを構築すれば効果は大きい。逆に,すでに独自の品質管理体制を築き上げ,それなりの効果を上げてきた会社にとっては,さらに品質を向上できる余地はそう大きくない。「これまでうまくいっていたのに,なぜISO9001の規格に合わせて変える必要があるのか」という反発も生じる。

 もう一つは取り組みの姿勢の差だ。川崎市のフィルター製造業,東洋エレメント工業は「ISO9001の認証を取得するのが目的なのではなく,その過程で仕事のやり方を変えるのが目的だ」というメッセージを経営層が現場に発信。認証取得までの期間は1年10カ月とかなり長期に渡ったが,この間に現場の作業手順などを徹底的に見直し,改善が必要な手順,今後も継続すべき優れた手順などを整理していった。現場で工程を変更する際には,常にマニュアル類を参照する習慣も徹底。この結果製造工程でのミスが減り,不良品も減少するなど目に見える効果が上がってきた。

 現在も,定期的に内部監査を実施。問題点を早期に発見して改善するだけでなく,内部監査を通じて違う部門の仕事に対する理解も深め,全社的なプロセスの改善に取り組める体制が整ったという。

 一方で,ISO9001の認証を短期で取得しようとして,事務局など一部の社員とコンサルタントが集中的にマニュアル類などを作成した会社では,確かに効率よく取得にこぎつけている。しかしせっかく作ったはずの体制が現場にまで浸透せず,マニュアルと実際の業務がかい離してしまうケースも見られた。

情報システム整備にも取り組む

 ISOを取得する“プロセス”を大切にする会社では,情報システムの整備にも取り組んでいた。受発注や生産管理の新しい業務フローを現場に定着させるには,情報システムで“固める”のが有効なはずだ。予算にも人員にも限りがある中小企業にとっては,二つを同時に進めるのはかなり大変なことだが,長期の計画を立ててきちんと取り組んでいる会社もあった。

 例えば横浜市の部品製造業ツカサ工営では,ISO9001の取得に先立って,受注,生産,出荷を統合的に管理するシステムを専務の高木信利さんがデータベース・ソフトAccessで開発した。開発までに1年ほどを要し,現在は現場で活用している。活用が定着してから本格的にISO9001の取得準備にかかる予定だという。

 かなりの長期計画だが,「情報システムで定めた業務が現場に定着し,正確なデータが取れる土台が整えば,ISO取得準備そのものは早く進むのではないか。急がば回れだよ」と笑う。

 また東洋エレメント工業では,ISO9001を取得した後に,生産管理のパッケージ・ソフトを導入した。ISO9001の取得にあたって業務を標準化してフローを整理したので,この流れに沿ったパッケージを選定しやすく,カスタマイズなどもほとんど必要なかったという。

「働く人を幸せにしよう」と気づいた経営者

 ISOの取得だけに集中せず,視野を広げて全社的な改善につなげる。情報システムだけでなく,組織の見直しや人事評価制度に踏み込む会社もあった。取材を通じて感じたのは,ISO9001は様々な仕事を見直す“きっかけ”ということだった。

 ISO9001が最上の規格を備えているわけではないし,文書管理の煩雑さや審査,維持にかかる費用の高さなどの問題も多い。しかし,これを取得することをきっかけに,これまでたまった問題を整理して改善を図る。その後,より良い方法が見つかればISO9001の維持を中止してもかまわない。

 ISO9001を取得した山形市の日本旅館,古窯(こよう)で女将をつとめる佐藤洋詩恵さんは「働く人を幸せにしたのがISOの最大の効用」と話す。

 古窯のような日本旅館では,接客や清掃などの仕事はベテラン従業員が若手に手本を示し,見よう見真似で覚えていく。しかしそのやり方はベテランによって少しずつ違う。例えばベテランのAさんは客室に浴衣を置く時,帯を浴衣の上に載せるが,Bさんは横に置くといった具合だ。若手がAさんにならうと,Bさんからやり直しをさせられたりする。

 小さなことだが,これが続くと従業員にストレスがかかり,仕事のやる気をなくすことにもなりかねない。古窯ではISO9001の取得に取り組む過程で,無駄なあつれきを減らし,働きやすい雰囲気を作り出せたという。
 
 「せっかく勤めてくれた人が楽しく仕事をできるようにするのは経営者の義務。でも毎日の仕事に追われているとなかなか気づかない。ISO9001を取るのは本当に大変だったけれど,こういうことに気づかせてくれて感謝している」という佐藤さんの言葉が胸に残った。

(小林 暢子=日経IT21)