ご存じのように,最近,「無線LANアクセス・サービス」がにわかに脚光を浴びている。「ホットスポット」とも呼ばれるこのサービスは,IEEE802.11bやIEEE802.11aといった無線LAN技術を使い,外出先で最大11Mビット/秒(または最大36Mビット/秒)の高速インターネット接続を安価な料金で利用できるものだ。

 現在,モバイルインターネットサービス(MIS),NTTコミュニケーションズ(NTTコム)などがサービスを提供中。NTT東日本が6月6日から試験サービスを始めており,NTT西日本も7月1日からサービスを開始する。NTTドコモや日本テレコムなども実証実験を実施している。

 無線LANアクセス・サービスは,“スポット”(点)という名称が使われているように,主に飲食店やホテルのロビー,駅構内などでの利用が想定されている。飲食店でコーヒーを飲みながら,あるいは駅やロビーでの待ち時間などにインターネットに接続し,ノート・パソコンやPDA(携帯情報端末)を使って電子メールの送受信やWebアクセスを行うといった使い方である。

 今のところサービス・エリアが限られており,利便性はそれほど高いとは言えないが,使える場所が増えれば十分に魅力的なサービスとなるだろう。セキュリティなどの面に若干の不安が残るが,それも使い方次第と言える。筆者自身もぜひ使ってみたいと考えている。

 そして,さらにサービス・エリアが広がると,それぞれのエリアがつながり,移動しながら通信するようなケースも出てくるだろう。こうして,無線LANアクセスのサービス・エリアが“点”から“面”へと成長する時に,キーとなる技術がある。それが「モバイルIP」だ。

すでにモバイルIP技術を使っている通信事業者もある

 一般的に,IPネットワークでは,あるサブネットに接続していたパソコンが別のサブネットに移動した場合は,新しいネットワーク・アドレスを含むIPアドレスに変更しなければ,パソコンにIPパケットが届かなくなる。サブネットとは,通常,ルーターで区切られたIPネットワークの範囲を指す。無線LANアクセスのサービスを使い続けながら場所を移動すると,サブネットを超えたとたんに通信を継続できなくなってしまうのだ。

 そこでモバイルIPの出番となる。モバイルIPとは,同一のIPアドレスをIPネットワーク上の複数の場所で使えるようにする技術である。ホーム・エージェント(HA)とフォーリン・エージェント(FA)と呼ぶ特別なルーターを使い,端末の移動先ネットワークを管理することで,それを実現する。 
 
 実際,他事業者と比べて当初から面的な広がりのある無線LANアクセス・サービスを志向しているMISは,モバイルIPを使ってIP通信の継続性を確保している。また,KDDI,KDDI研究所,シスコシステムズの3社は,第3世代携帯電話(3G)と無線LANアクセスのデータ通信を自動的に切り替えるシステムを開発。5月21日~24日に開催された「ビジネスシヨウ 2002 TOKYO」で簡易デモを披露した。このシステムにもモバイルIP技術が使われている。

 ここまで読んで,「移動しながらメールの送受信などが可能な携帯電話にも,モバイルIPが使われているの?」と疑問に思った読者もあるかもしれない。その質問に対する答えは,半分はYESで,半分はNOだ。

 携帯電話単体でネット接続を可能にするブラウザフォン・サービスに,モバイルIP技術を利用しているのはKDDIの「EZweb」だけ。KDDIは,データ・サービス系のバックボーンIPネットワークにモバイルIP技術を導入しており,EZwebだけでなくパケット通信サービス「PacketOne」も,それを使っている。ただし,モバイルIPを使っているのはKDDIの内側の話。ユーザーの端末がモバイルIPに対応していなければいけないわけではない。

 一方,NTTドコモの「iモード」やJ-フォンの「J-スカイ」には,モバイルIP技術は使われていない。というよりも,そもそも端末にIPアドレスを割り振っていないのである。両サービスは,網内ではIPを使っておらず,独自のプロトコルを使っている。インターネットとの間に設置してあるゲートウエイ・サーバーでIPに変換する。

VoIP携帯電話の高度化にモバイルIPが必要,ただしちょっと無理はある

 無線LANアクセス・サービスを移動しながら使えるようになってくると,がぜん面白くなるアプリケーションがある。VoIP携帯電話だ。ソフトバンク・グループの「BBフォン」など,VoIP(voice over IP)技術を用いて固定電話をIP化したIP電話が登場し,IP電話同士であれば通話料無料という料金メリットを武器にしてユーザーを集めている。VoIP携帯電話は,このIP電話の携帯電話版である。

 今のところ,VoIP携帯電話を提供している無線LANアクセス・サービス事業者はない。ただ,ポケベル事業者の東京ウェブリンクを買収し,さらに東京通信ネットワーク(TTNet)からPHS事業を買い取ることを決めた鷹山(YOZAN)など,構想を持つ事業者はいくつかある。YOZANは,今秋にもIEEE802.11b方式の無線LANアクセス・サービス「Bit Stand」を開始し,将来的にはVoIP携帯電話サービスを組み込む計画だ。VoIP携帯電話の加入者間であれば,月額固定料金で使い放題とする意向である。

 VoIP携帯電話は,限られたサービス・エリアでスポット的にも利用できる。しかしそれでは公衆電話とさして変わりがない。携帯電話という限りは,やはり動きながらでも使えるようにならないと魅力が半減する。

 そこで,無線LANアクセス・サービス提供事業者のバックボーン・ネットワークのサブネットを超えて使い続ける際に,モバイルIPが必要になってくる。ただし,まったく途切れなく通話し続けるには,モバイルIPでは少し荷が重い。HAという専用装置に位置を登録する際に若干のタイムラグが生じるため,通信の瞬断が避けられないからだ。

 その点は,専用のシステムを構築している携帯電話に比べると弱いと言わざるを得ない。しかし逆に言えば,専用のシステムを持たないからこそ,低コストのインフラで通話料無料のサービスが実現できる。

 VoIP携帯電話には端末の消費電力の大きさなど,他の問題点もいくつかある。低料金のVoIP携帯電話が登場したからといって,すぐに既存の携帯電話やPHSを一掃するほどの力を持つとは考えられない。しかし,IP化とモバイル化は通信の世界では2大トレンド。この二つを併せ持つVoIP携帯電話は魅力的だ。

古い技術だが環境の変化で重要性が増す

 モバイルIPは,インターネットの標準を定めるIETF(Internet Engineering Task Force)が1996年に「RFC2002」として基本仕様を固めたもの。それほど新しい技術ではない。

 しかも,それほど注目度の高い技術とも言えなかった。そもそもモバイルIPは,社内LANに接続しているパソコンを外部に持ち出して,営業所など別の場所で使うといった用途を想定したものだったが,DHCP(dynamic host configuration protocol)を使って動的にIPアドレスを割り振れば,モバイルIPを使わなくても用は足りていたからだ。

 それが,無線LANアクセス・サービスの登場とVoIP携帯電話の可能性が高まったことで,なにやら重要度が増してきた。無線LANアクセス・サービスを使って何か新しいアプリケーションをと考えている方は,少しモバイルIPを研究してみてはいかがだろうか。

(安井 晴海=日経コミュニケーション副編集長 兼 編集委員)

■「日経コミュニケーション」は,6月17日号に「テクノロジ・スコープ モバイルIP」,「リポート 出番うかがうVoIP携帯電話」を掲載します。より詳しい情報をお求めの方は,ぜひご一読下さい。